Pathos


音符は原子核、音楽はホール全体へ。色不異空。雨上がりの空隙の中にも生きられる世界がある。浅薄な科学觀とか迷信が溢れているせいで崇高なものがおろそかにされてるのがむかつく。


 神は実在する・・・ 残念ながら神は実在するのだ。妄想と現実の区別がついてないという批判は冒涜になる。いやそうではない そんなことが言いたいのではない。
 人間は様々な考え方をすることができる。いろいろな方面からいろいろな解釈を産み出すことはできる。しかし真実は真実であり創作は創作である。哲学は人類の偉大な叡智で、心理学は人間精神におけるサムシンググレートを解明するものであるが、宗教は人類の偉大な発明品という類のものではなく、神は人間に創造されたものではない。そこの神がそう言っているからそこのリージョンではそう従っているに過ぎない。神を志向するなら戒律も厳しくなるが、それは人を倫理にしばりつけるためのものではなく、本気で自分の霊性を高めてもらいたいと願う人のためのものである。霊性を言語化するので現象には沿わないものの、言うことを文句言わずに聴けるかどうか。向こうにとってはそれがほとんど全てである。(ゆえにそれが神でない場合は悲惨だが)。本当に霊格の高いところはそのモスクや寺院に異教徒を入れない。観光客はその中に踏み入ることはできない。権力者が中で酒まみれ女まみれの好き勝手なことをしているというのは下種の勘繰りであろう。
 「今は(神の実在性について)客観的証拠の客観性が問はれているって分かるかな?その上で科学的な論理的思考を前提に話を出来ていないのは分からない?」…と言う人が多いけど客観的証拠って100年周期で定説の覆る物理学のことだろうか〔cf.CERN〕。蓋然性の高い仮説より経験の方が更に正直である。もちろん論理的思考も必要だけど。神・仏・雑霊・もののけというもろもろの存在は、妄想と現実ではなく、妄想と妄想ではないもの、という境界性に基づく。霊的な力は実在しているし、喚起されたイメージは実在していない。でも実在してる。