ROTEL RC-1090 |
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このプリアンプにするとプレイヤーを新しく替えたみたいな印象になる。エアー感・エーテル性の成分の損失が少なくて、RC-1090自体にはパッシブプリのように個性・脚色がなく、そのかわりニュアンスを濃厚に感じられる音になっている。また、耳(音楽性)で音を作られているといわれるローテルだが、要素の目立つところのない音が市民の意見のサンプリングから導かれてるからなのか、創造的には作られてない。AccuphaseやLUXMANは咀嚼された知識量による普遍性が身についてる。RC-1090はいたって無難に通過させてる感覚がする。蒸留水的な鳴り口。RHC-10の新型ですよと言われても疑わない。 RC-1090はDレンジが広い。トランペットのソロもひび割れないし四角形の音像にならない。円形のままに出てくる。情報をほどかずに、そのまま出してこれる。特徴を感じさせる要素の無さは、フルートの自然感の中にも。つまり「さはり」という魅力を、オーディオのフルートが音色するときになったら、それはフルートの声門ではない。とか言いたくなる。弦の振動は細かいしハープもちゃんと咲き乱れる。パーツが良いのかな、たとえば安いボリュームだと弦の振動はクリアルなマーブルの流れの中にメランジェ(melangee)している。RC-1090はアッテネーター式のボリューム並みに鮮明で、ハープの咲き乱れも爪音の弾く連続音となってる。子供が(,゚ ゚)ブーと唇を震わせるようなのである。モニター的なシステムでは多くそんな具合だけど、ROTELは楽音に伴うものがあり微粒子に包まれる。背後にはホールトーンを湛えているけどその表情は海のようである。ホールトーンの固形分で印象派の油絵のようにはなってない。 |
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音楽性と聴き疲れのない音の両立は難しい。入門機の場合、聴き疲れしなさ加減はアンプにかかってる。聴き疲れには有随神経の疲れと感性の疲れがある。神経の疲れはパルス性ノイズとか数学的不協和・奇数倍音などに直接与えられている。感性の疲れは「波形の単調さ」がひとつの原因になる。オーディオは機械なので常に1種類の音しか出ない。 パルス性ノイズとか機械的な数学的不協和音は、鼓膜に近い神経の集合体に蓄積する印象。神経にストレスを与えている。歪みを取り除かれたシンプルで透明な傾向のオーディオはその点は有利になる。 オーディオは常に自分の音以外を出せないと考えると、音色的な問題は大きい。たとえば不協和の生じにくい電子音でも、ずっと流しっぱなしにすれば嫌気がさしてくるように、単調な音では飽きたりげんなりするものである。匂いでも、たとえばみんな自分の香水には鈍感。ただし嗅覚の場合はその匂いを嗅ぐ神経が疲れれば眠るだけである。オーディオは香水よりも不利である。オーディオは音楽が停止されるまでその音を出し続け、強制的に鼓膜を振動させてくる。 測定器で測ることが出来るのは質量の「量」である。ノイズやレンジは計測できるが密度や空気感は測定器の限界までしか測れない。機械的に協和した音かどうかまではわからない。すべての設計者はナチュラルな音を目指しているが、あとは使う人の判断。 |
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オーディオを感じさせないアンプは飽きることもないけど、音楽的に不完全燃焼であることも多々ある。基本的な音が良ければ音楽には没頭できるけど、オーディオ的な快楽には乏しい。その独立変数と従属変数の交点が高いのが好き。ローテルはどちらかというと機械的完成度寄りだと思うけど音楽性も高い。RC-1090は濃厚な音ではないけど、ブラックホールを連想する広大な宇宙の音。太陽のフォトンは、スモッグとか障害物がない宇宙空間を通過して地球に降り注ぐ。空気感よりはファンダメンタルな音の立ち上がり感がよい傾向の音造りだが、受動的に有機物やハーブの種類が豊富に導き出される。 |