SONY MDS-JA22ES
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今は何が主流なのか知らないけれどけっこう安かった。今まではONKYOのMD/CDミニコンポをMD録音用に使っていたのだけど、曲目選んで74分59秒のうち70分は消費するよう計算してせっかく脂汗かいて録音しても出てくる音はスカキンだった。ちょっとオーディオがわかりはじめた人間は 高二病にも B&WやJBLをスカキン呼ばわりするが、本物のスカキンとはそんなものではない。こちらはデジタル臭さそのものなのだ。スカキンという言葉の本質をおまえたちは理解しているのか?と言いたくなるほどだった。 そして安物買いの銭失いで一年でCD部が故障した。 |
ポータブルでもそうだが、ソニーでは録音日時が記録されるのだった (TEACは録音日だけ記録される)。忘れてた。これは重要だった。そしてこの開閉トレイのMDらしくない高級感、たくさんのボタンが合理的に配置された操作性のよさ、たぶん気のせいだがデッキの中身が詰まってる感触、録音された音もなんとなく諧調が深い気がする。苦労して録音してちゃんと活きる心地がする。リモコンのレスポンスが鈍いのと、AMSノブが少し馬鹿になっていたのは残念だけどいい買い物した。 TEACのMD10のアナログ出力はVRDS25xのDACを介在させた音とまったく変わらなかった(その反対も)。でもVRDS25xをJA22ESのDACから出力させた場合はかなり違う。横に広がる感覚。うどんこを延ばされた平面的な解像をする。搭載されている出力アンプの違いだろうな。落ち着くのはTEACだった。SONYのJA22ESはメリハリがあってはっきりした感じに聞こえる。やや硬質である。またMDは230MB程度の容量はあるけど、CDの音に比べるとやはり機械的で、長時間流してると耳が疲れるとかの違いがでてくる。空気感レベルの素粒子的な違いも、ふつうに聞き分けられるほどである。 |
カーステ用に録音。MDの録音はノルマとして作ってもいいものは生まれない。次に何入れようか、どれがかっこよく続くだろうかと考えながら録音しているのが楽しい。イメージだけでは思ったとおりにいっていない。曲の全体のイメージで選曲していては前後がうまく続かない。うまく続いた感があるのはボロディンの『イゴール帝』の次にグレッキの交響曲第二番第二楽章とか。クリティカルはなかなかないけどチャイコフスキーの悲愴の第一楽章の次にローマの噴水、シンディングやオルセン、ハルヴォルセン、グリーグの小品、そこで武満徹の夢想、最後はホルストのサマーセットラプソディ。これで74分。こういうことをしているとバッハの『王の主題によるソナタ』はLargo-Allegro-Andante-Allegroとなっていてソナタ形式の神秘がわかってくる。 また食傷気味の曲は入れたくないが知らない曲ばかりでもつまらない。だから今までにじっくり堪能してなかった楽章を入れる。チャイコフスキーの第五番の第二楽章とか聴いてなかった。感情過多のロマン派や現代音楽ばかりでは疲れるのでジョスカンデプレやオケゲムのミサの一部を入れて癒したり。普段は聴かない美しく青きドナウとか。それとカーステではクセナキスが楽しめるときがある。クセナキスがフェ−ドしてカーナビのアナウンスが流れるとかっこいい。こういうことをしていると料理とか霊薬調合の神秘もわかってくる。 何も計算せず直観に任せて選曲しているのも楽しい。録音している最中に楽しめる。録音しているときほど音楽をじっくりと堪能できていることはないかも。没我しやすい。こういうことしてると高校のころV-6030sで録音していた日々を思い出す。自意識がなくなり音楽に積極的に委ねられた状態になるとほとんどどんな曲でも楽しめるね。三年前にはつまらなかった曲のよさがわかったり。ほどよい距離感で目立たないものが崇高なのかもしれないとも思えた。高木先生はよい本は読めば読むほど味わいが増すと言っていた。高校のころ読んだ『風の歌を聴け』を大学1年で読んで、そのことを思い出し、この本もそういう本なのかなと思っていた。高木先生は村上春樹ぐらいじゃそうは言わんだろうけど。ドビュッシーもチャイコフスキーも、名曲の中の名曲は何度でも反すうできる。鳥や虫の声、水の音、月の光をモチーフとしたものがいいな。一見単調でも旋律は葉脈的フラクタルで、自然を愛でるかのような音楽。メンデルスゾーンがあんなに美しいとは思わなかった。バルトークのピアノ協奏曲第三番があんなにいい曲だった。 |