初め聴いたとき、そのすごいつまらん音にがっかりした。マランツマランツマらんつまらんと自動的に口ずさんでいた。今のニュープレミアムのマランツのような透明の中からのきらめきやスゥイート感とか官能的なフィーリングはない。
やがて印象は変化してきて、あまりはっきりとは主張しない全体的な楽音の中に、ふくよかな落ち着きようがあるなぁと思えてきた。波形が心地よいことに気づいていった。多分歪みとかが殆どない。上品な何かに包まれていつつ、聡明なスルーレイト感がある。減衰のしかたがきれい。
PM-95('88年 C.O.T.Y.)はPM-99SE('91)を経てPM-15('93年 C.O.T.Y.)へと変身する。PM-15は怪物のような物量が投入されている。トーンはシルクタッチで、'ようこそマランツの世界へ'というハイエンドな雰囲気がある。PM-95はまだ原初の段階でまだファジィなところがある。慣性任せに放たれた自然感がある。いずれも心臓部はしっかりしており、解像されるものの内側からじわりと意味がにじみ出てくるものがある。個人的には90年代がオーディオ的に一番おもしろい音出してる時期だった気がする。でも80年代が一番スタンダードに造化されている感覚もする。70年代の「正直、素直、自然」という特質、それにパワーとS/Nが相俟ってキメの細やかな感触が加わる。これでspendorのSP100を鳴らしてみたかったな。どれほど地味さが自然なことだろう。その駆動力で没個性した地味さが際だつと、地味さはどうなっちゃうんだろう。
「まごころとは、よくもあしくも生まれたるままの心をいう」…ほのほのと浸透してくる森の気のような、ありのままの音楽の面影。骨格的構えの滅されたところに白い優しさ。その感触はまるでプリンターのマスター紙。言葉や概念を取り払へば素顔が見へてくる。様々な文字は印刷されてもそこにあるのはマスター紙なのです..
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ボリュームを絞っても鳴り方が保たれているのも特筆すべきところ。音量を上げればふわっと自然に演繹する。
それとこのアンプはPHILIPSのD/Aコンバーターが内蔵されている。プレーヤーを買い替えることなく最新の音で且つPM-95内部に最短出力でCD再生できるので良心的・合理的な発想だったことと思う。DAT用にもOptical/Coaxial端子があって入力&出力ができる。プロセッサー入出力端子もデジタルとアナログ両方に用意されている。最近は見かけなくなったけどサウンドイコライザー等を介在さすことができるもの。というか端子類がAVアンプ並に多いでございまする。
ClassA/ABの切り替えスイッチは前面ではなく端子の上にある。音質的差異はほとんどなかった。ふつうに消費電力の少ない方を選びたくなる。PM-15からClassA/ABの切り替えはなくなって、菅野さんは「これでいいと思う」と書いていた。おもしろくないじゃーんと思ったけどそれでよかった。
ヴォーン・ウイリアムスのSerenade to Music → \ 乂 ノ゛
録音の機材はデジカメだけど(今は無きミノルタの)、PM-95の特性はよく出ている。こんな退屈な音だけど、それがいいんです。
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