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さとりのしょ
1 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/09 21:49
今日の小さな悟り
ただここに増えていくのがたのしい
どんどん積み重ねていこう
1000まで行ったらダーマの神殿でご希望の職に転職することができます

2 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/09 21:49
自分に厳しく他人に甘く
罪を憎んで人を憎まず
自分の思想に厳しく他人の論には甘く
論を憎んで人を憎まず
自分に厳しく論に厳しく

3 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/09 21:59
言い訳がうまくなった時点で本質的な部分での成長は止まる。
言い訳をうまくするのはもっとあとでいい。死ぬ時でいい。自分の死の本物のリアルさに対峙したそのときに初めて自分は死にたいから死ぬんだ!死は苦しみからの解放だ!と言う人生がいい。

4 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/09 22:00
日記読んでいると信じられなくなるけれど
あれもこれも自分が実際に経験したことだった。
今に一定の速度で続いている時間の過程にあるものだった。

5 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/19 14:43
今日悟ったこと
おちえて君というHNで書けば素直に教えてくれる

6 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/07 19:37
思い出への執念がある。日記は8年分、デジカメの画像は4万枚以上ある。想い出は紡がれていくその過程がすきだが、老年になっても僕は退屈することはないと思う。むしろまだ死ぬのやだという。まだぜんぶ見てない。

7 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/07 19:44
一神教は科学的だが人間の多元性には沿わない。

8 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/07 19:58
節度やバランス感覚のない神が多い。
自分を信仰してくれたと得意げに神威をふるってはならない。どうせその者はそれがあなたの力だとわからずあなたは毎回のごとく怒っているのだから。
盲目に求める人にそのままに與えてはいけない。知能の弱い人間にとってはその強さはアディクトとなって、あなたにたいして絶対的一面的に依存するようになるから。

9 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/07 20:17
どの神も、頼ってきた人間を救ってやりたい気分はやまやまなんだが、敷居はやはり高くないといけないんだな。
その神に認められるほどの莫大な考察と熟練とはどれほど莫大か、どこまで求めてくるかがその神の高さだ。もちろん向こうは自分に頼ってほしいし今すぐにでも神威を見せて自分の力だと知らしめたいのだが、本当に高い神はその者が悪くなるのを懸念する。本当に高い神は、他の低いものに就いたりしないか、途中で諦めたりしないかと焦れながら、自分の求める基準にまで成長するのを待っている。

10 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/15 23:47
自分のすべきこと=自分のやりたいこと
運命に沿った人生ではこうしてうまく同調している。
自分の第六観が好むことが、今自分のすべきことだ。
それは震源地まで潤す。
自分のすべきこと>自分のやりたいこと
こんな風に生きていては空疎だ
自分のすべきこと<自分のやりたいこと
こんな風に生きていても空虚だ
宿命感を欠かしてはならない。
宿命感ではない。
僕は宿命に対して信仰している。確信に至る日も近い。
時をおなじくしておそらく神についても。
確信ではない。当然の摂理として降りてくるのだ。
生來人間は一生空虚で空疎になることはなかったということを運命まで満たされたその日に知る。
いまはただ待つのみ。

11 名前:ナナシンクロニシティ 2005/01/17 03:38
今朝家の仏壇に向かってお経を唱えていたら、無理に専門外の知識を詰め込む必要はないと思えてきた。今はハタヨーガと呼吸法をしっかりやって般若心経だけ唱えていればいいと先生には教えられている。最近になって産土の神に祓詞を3回唱えるということが増えた。未熟な癖に余計なことはしない。
まぁわかってはいても手を出すわけだけど。
仏壇で浄土真宗のお経を唱えていたらすごく充実して、まさに唱えている熟語に帰依するかのごとくになった。御霊が降りて僕の意識を介して読んでいたのかな。

12 名前:ナナシンクロニシティ 2005/04/29 19:51
自分は知っていても知らないと言う風体で生きる。
知らなければ喜ぶ。
この世にまだこんないい曲が眠っていたのか、と。

13 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/04 19:56
法隆寺のお釈迦様の像をみてきた。すごかった。お釈迦様は有名なので安直に「お釈迦様は、お釈迦様が言うには、」と引用されるのだけど、改めて(というか初めて)本当に偉大な人だったんだなぁと思った。故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 (故に知るべし般若の知恵の完成は 大いなる真言であり 無明を破る真言であり 無上の真言であり 無比の真言であり 一切の苦をよく除き 空しくない充実である)なんていう具体的な内容のない部分がよくわかった気がする。
お釈迦様は優しいが甘くなかった。かの崇高な嚴しさに対面すると、自分なんかでは恥じらいの念すら沸き起こってしまうものだ。

14 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/12 00:23 [URL]
中沢啓治の「ゲキの河」を翻訳して出してくれたら韓國や中國との関係もよくなる。「ある日突然に」もよかった。原爆の奇を衒わない普通な描写がリアル。戦爭の恐ろしさを訴えるのは概してくどいが、それを芸術化したものは素晴らしい。

15 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/12 22:52
馬鹿が恐れているのは芸術・文化それ自身だ
自身を超越したものを見てしまう

16 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/15 16:33
馬鹿は言葉の定義からを必要とする

17 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/15 16:36
そして言葉尻を追いかけることはできても表現力をもたない
心のうちに宝石がないから
天才はジャンクDNAを土台にするが
馬鹿にはサムシンググレートが欠けている

18 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/16 22:44
エルは暗くなると吠える
耳が冴えるんだろうか

19 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/24 21:40
ルイが、松の木を登って家の屋根に渡って、窓から僕の部屋に入ってきて部屋を物色しつつ横切り、階段を降りていく。一日何回それを繰り返しているんだろう。

20 名前:ナナシンクロニシティ 2005/05/24 21:40
小学校のころ掃除が好きだった。地面の板の隙間にはネズミ色の粉状のホコリが詰まっていた。今はそういうのはすぐに積もるのでキリがない思いがするが、あの頃はホウキで取り除くことそれ自体が好きだった。

21 名前:ナナシンクロニシティ 2005/06/20 18:36
お釈迦様は苦しみを生の前提にしあらゆることに耐えることを苦行にした
性惡説とかマイナスの波動云々を掲げてルサンチしてる奴とは違いそれは前向きだ

22 名前:ナナシンクロニシティ 2005/07/22 22:22
http://www.butuzou.net/02info-b/kouzannze.html
マウンティングにワラタ

23 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/17 00:03 [URL]
http://www.butuzou.net/thai/007.html
そしてこれはニート君

24 名前:ナナシンクロニシティ 2005/08/17 22:22
驕り高ぶる者は
次の瞬間には脅えている
頭の良いものは因果に脅えていることを知っている
だから頭の良いものは驕り高ぶらない

25 名前:ナナシンクロニシティ 2005/08/17 22:32
人畜無害な人間になるためには
相当な行をつまないといけない
つまんないのもいけない

26 名前:ナナシンクロニシティ 2005/08/17 22:33
だいたい人が何を言いたがっているのか読めるが、
あるいは人がどんな思考のプロセスによりそれを誇るかはわかるが、
そしてそれは低次な思念であるということを証明せんとする鼓動は高まるが、
それでもなお怒るという度合いの激しさが減じてきた。
神の分靈による精神の牽引も、その助けをなしている。

27 名前:ナナシンクロニシティ 2005/08/17 22:34
怒りで焼失するものはあまりにも多い。
あまりにとか言ってると他人が見ると暑苦しいが脳みその正常さとか心情の清らかさとか哲学の健全さとか電波とかお花畑とか霊性とか人徳とか良い因果関係とか考えるとやはり、あまりにあまりになのなのだ。

28 名前:ナナシンクロニシティ 2005/08/19 00:33
またキャパを超えたものはやはり維持するのに困難で、つい外に流してしまう。いくら譽れ高いものも、自分以上に高いものであってはつい誇らしげで誇るほどに薄まる。そこを断固として口を守ろうとしてもつっつかれて吹いてしまえばTHE END。気息暴發。そして空に。徳は財産のように。ふうせんのように。

29 名前:ナナシンクロニシティ 2005/11/08 22:46



30 名前:ナナシンクロニシティ 2007/04/21 00:38
物理学的に靈性を証明できる人はいないのかな。形態までは無理でも、存在の有無ぐらいは…。霊感と物理学の両方がなければ片側は思考停止だから無理だろうけど、両方持ち合わせていてもMENSAでなければその推論は恣意的になるだろうし。

31 名前:ナナシンクロニシティ 2007/04/21 00:44
でもまぁ、結局努力相応の進化しかないのが現実だし、有ることが証明されても有に固執して原理主義にもなりうるのがお馬鹿な人間なので、やはり人間自体を洗練させていかないといけない。証拠があってもたいして意味ないし、世の中をよくしたいのなら声高にプロパガンダをするより、まず自分が心経を唱えないといけない。高校の現社の先生はたとえば政治家に文句つけるばかりの人に限って、自身は投票してないと言っていたな。政治に参加してないから、蚊帳の外で語る。参加していればもう少し自分のことも見えてくる。

32 名前:ナナシンクロニシティ 2005/11/24 20:41
仏祖の道を行ぜんと思はば、所期も無く所求も無く、所得も無うして無利に先聖の道を行じ、祖々の行履を行ずべきなり。所求を断じ、仏果をのぞむべからず。

33 名前:ナナシンクロニシティ 2005/11/24 20:41
金を求めているうちは金に満たされはしない
金なんかなくともたいして困りはしない日本人
お金がないない病に困るのみ(「金」の部分は替えられる)
ただ働く、ただ踊る、ただ芸術にたゆたう
という原始性は、悟られるとまずい欲念があると難しい 高尚なもの

34 名前:ナナシンクロニシティ 2005/11/24 20:59
ということを、自分の馬の暴れに抑えがきかないときに、書いた

35 名前:ナナシンクロニシティ 2006/01/10 23:18
無諍三昧・・・諍いの生じない境地が天国
特に難しいわけではなく、葛藤がなければ爲せる業(初歩)

36 名前:ナナシンクロニシティ 2006/01/27 01:20
神の実在、靈魂の実在とは・・・
http://tukipie.net/forum/dark_matter.htm
これは分子になる暗黒物質があればの話
まぁ暗黒物質じゃないだろうけど


37 名前:早雲 2006/03/08 08:43
情けは人のためにならず
つまり人に優しくしていればするほど見返りがある。という意味ですね。
されど、優しくしても以外と見返りなんてないもの。つまり損する。しかし、数多くすれば必ず見返りはある。ただし。10あったら3あるかないか。
でもこの「損」ってのが人の価値を決めるんじゃないかと思いはじめた。
世渡り上手な人にある特徴を見出した。世渡り上手の人って周囲とうまくやって、人脈もあり得ばかりしてると思った。されどよく見ると周囲に気を配り小さな親切を積み重ねている。つまりそういう意味では「損」の方が多いわけだ。
これですね。「損」というのが人の価値を決めるというのは。人間というからには人の間にいる。人の間で自分を磨くということです。

あっここに遊びに来てください
http://8005.teacup.com/zhi/bbs

38 名前:ナナシンクロニシティ 2006/03/22 23:04
なるほど〜
BBS見たよ〜

39 名前:ナナシンクロニシティ 2006/10/19 01:28
 
      /) /)
      (´・д・) キコキコ
      (  O┬O
   ε=◎ヽJ┴◎)

40 名前:ナナシンクロニシティ 2006/08/11 07:33 [URL]
トップクオークがテパトロンで確認されたのが1994年だから僕の義務教育では素粒子は「電子」と「陽子」と「中性子」だった。その三つの素粒子が階層的に原子を構成していた。
その素粒子を構成する素粒子。それはクオーク、電荷、レプトンで、これも階層的に形成されている。なぜ対称的な階層が3世代なのかは未だ不明。
そんな緻密な自然の世界を覗いて、靈性や意識には階層があることを連想した。正直者が正直に話す時はドミソなど和音として数学的に調和している。いい流れの旋律。善人が恥ずかしく惡を振る舞う塲合はやや調性を欠いた音楽になるが、心根が浅い意味不明感ぐらいである。
でもトップやボトムに欺瞞や欲望のあるばあいはドミソ♯とか、あるいは倍音の伸びが悪かったり弦の調律が合っておらず不協和音を醸す。漏尽通はそこを嗅ぐ。瞭察力はその仕組みと成り立ちを読む。写実主義はさらにそれをストーリー上に表現するのでボヴァリー夫人クラスともなれば神業。

41 名前:ナナシンクロニシティ 2009/08/15 22:17
厭世に頷首すれば…信じられるものといえば絶望的な前途。
悪魔に頷首すれば…ハイなときはよくても途端に欝になる。
靈性は信仰する対象の影響を受ける。
仏に向かうか仏を名乗る未完聖人に従うか。
徳のないものに頷首すれば喜んでついてきてしまう。
その世界で「神」とされているものの愛情の基盤になっているものがあははうふふ撃退的なルサンチだとしたら、愛情に満ちている高いときは慈悲深くても愛情が欠けて低くなると途端に罪着せたがりになるとか考えられる。
仏閣でも開祖の人は聖人であっても、三代四代になって格式が保てなくなってくるところがある。普通にその高すぎるレベルを保てないってだけならいいんだけどね。でもどっかの新興宗教みたく、二代目で体質が変にセクト的になるってところは、もとがたいしたことなかったんだと思う。あるいはそういう階層にて高みに至ってたんでしょう。いずれカルト臭を釀してくる。
同調すれば霊性はそのとおりになっていく。何に同調するのかが人格を決定付けている。創価に同調すれば創価的な審美眼しか得られないし、低俗な論理に同調すれば低俗な宗教観しか得られないだろう。
ゆえに涅槃の完成されているところにしか回向(エコー)しないほうがいい。変なやつはつかず離れずがいい。低い階層が依然霊障に満ちていると、それが連鎖してこちらが業を負ってしまう。なまじ親切にしてはいけない。『超バカの壁』
徳のあるものに付き従えばこちらの徳性も階層的に明るくなる。よい波紋を広げていこう。そういうのは当たり前すぎてわからないぐらい。自然だから。

42 名前:ナナシンクロニシティ 2006/10/19 01:50
最も自然な精神は
意見をいわないところにある
最も不自然な精神は
人爲でなんとかしようとするところにある
最も不自由な精神は
毀損趣味に走るところにある

43 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/17 00:07 [URL]
言葉で感謝できないなら心で感謝する
心で感謝できないなら言葉で感謝する
言葉で懺悔できないなら心で懺悔する
心で懺悔できないなら言葉で懺悔する

44 名前:ナナシンクロニシティ 2006/06/23 19:50
概念を衝突させてどちらが正しいかという結論を追うものが多いけど色不異空。色不異空で捉えればわざわざ衝突させることはしなくなる。
見えているとおりの縁起(暗在系)・・・太陽が輪廻しないのは、太陽だからとなる。また太陽に魂があるのなら輪廻もしようもの。魂がないという概念における太陽が輪廻しないので、魂のある世界でも輪廻などないのではないかなどと結論を唯一に限定しようとすれば、色不異空から離れる。テクストコードが読めなければ衝突する。

45 名前:ナナシンクロニシティ 2006/07/07 20:51
水子の解釈もまちまちで、@受精した時点で、人となるとか、A妊娠数ヶ月で、魂が胎児の中に入るとか、B出産した時に、魂が赤子の中に入るとか、いろいろ説がある。@なら中絶したら水子になるし、Aなら中絶した時期により水子ができたり、できなかったり、Bなら中絶しても水子は発生しないことになる。
そこで色不異空なら、暗在系においてその反応があれば、いるなぁ、ということになり、因は生来の霊か、あとから霊化したものか、憑依霊か、御霊の主張から判断することになる。
聖典は霊性で読み解くことが肝要であるが、空即是色なら神話作用も神話作用としてちゃんと理解できる。よくある霊的な解釈は空乖離色で、そこに暗在させられているものが現実とかけ離れている。初めからビジネス的意味づけやサービス精神的解釈なのかもしれないが、因や結論を一つに限定したがると自然からは離れる。宗教の場合、自然精神から離れるからノープロブレムじゃ済まされない。
目に見えるものと暗在系はかけ離れてはいない。虫やミジンコには前世があるのか。人間だけが特別なのか。…単細胞生物にはやはりミクロなものしかないと思う。でも虫にも三分の魂というから、カルトにむかついても過激な虚無論へ向かうではなく、大切にすることは大切。

46 名前:月に疲れたピエロ 2006/11/16 23:59
闇というと光も何もない暗闇みたいだけど、心の闇には手が生えている。触手が相手を求めている。闇のサーベルが切り裂こうとしている。闇の縄が心臟を止めようとしている。
後の世で、己の愚かさに恥じいるがそれが最も大切なことだ。ジャンクDNAは記憶している…「嫌な予感」は過去に過ぎたあの闇の連想でもある。

47 名前:ナナシンクロニシティ 2006/07/09 00:31
夏は炎熱に苦しまず、冬は寒くないために髮はある
出家してあたまを剃るということは、覚悟のあらわれになるのかな
あたまに何かがぶつかることを考えると、たいへんにこわいよ

48 名前:ナナシンクロニシティ 2006/07/09 00:56
今の巨人が弱いのは中日のように巧みでないから。福留とかはフライを余裕で取れるふりして、実はそれはフェンスに当たる打球で二塁ランナーを三塁までしか進ませないとか、おとついの試合でも荒木が盜塁するに見せかけてストレートを誘い、井端にホームラン打たれた。打撃でも二人の連係プレーにやられてる。おととしにも、8回同点満塁のチャンス、落合監督は左打者の井上に替えて右投手相手に高橋光信を代打に送った。あの場面で死球を撰べるのは渡邊か高橋だけという選球眼の起用。相手投手の定まらない投球につけ込み、押し出し勝ち越し。
パワーゲームがケースバイケースな小賢しさにやられてる。
宗教的行いでも、懺悔の心持で反省すればジンテーゼされていくが、もちろん見ざる言わざる聞かざるもいい。こういうのはケースバイケースなのである。頭の固い人は原罪意識などにも凝り固まるからちょっとアレなことも多い。アルカイック・スマイルからは却って離れていく。子どもにあるのは好き嫌いで、大人にあるのは偏見だ。やったことのないことも試みてみる。
神を信仰するとか、阿弥陀に帰依するとか、遊歩道を散歩するとか、無酸素運動とか、坐禪とか、靈驗を集めるとか、無念の念に帰するとか、読経とか(調心)、祈りでも祝詞を選ぶかお経を選ぶか、ストレッチとか(調身)、深呼吸とか(調息)、瞑想やヨーガは指導が必要なのでやめたほうがいいけど、メソッドの選択は豊富にあったほうがいいと思う。且つ臨機応變で。

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