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さとりのしょ
1
名前:
ナナシンクロニシティ
2004/12/09 21:49
今日の小さな悟り
ただここに増えていくのがたのしい
どんどん積み重ねていこう
1000まで行ったらダーマの神殿でご希望の職に転職することができます
33
名前:
ナナシンクロニシティ
2005/11/24 20:41
金を求めているうちは金に満たされはしない
金なんかなくともたいして困りはしない日本人
お金がないない病に困るのみ(「金」の部分は替えられる)
ただ働く、ただ踊る、ただ芸術にたゆたう
という原始性は、悟られるとまずい欲念があると難しい 高尚なもの
34
名前:
ナナシンクロニシティ
2005/11/24 20:59
ということを、自分の馬の暴れに抑えがきかないときに、書いた
35
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/01/10 23:18
無諍三昧・・・諍いの生じない境地が天国
特に難しいわけではなく、葛藤がなければ爲せる業(初歩)
36
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/01/27 01:20
神の実在、靈魂の実在とは・・・
http://tukipie.net/forum/dark_matter.htm
これは分子になる暗黒物質があればの話
まぁ暗黒物質じゃないだろうけど
37
名前:
早雲
2006/03/08 08:43
情けは人のためにならず
つまり人に優しくしていればするほど見返りがある。という意味ですね。
されど、優しくしても以外と見返りなんてないもの。つまり損する。しかし、数多くすれば必ず見返りはある。ただし。10あったら3あるかないか。
でもこの「損」ってのが人の価値を決めるんじゃないかと思いはじめた。
世渡り上手な人にある特徴を見出した。世渡り上手の人って周囲とうまくやって、人脈もあり得ばかりしてると思った。されどよく見ると周囲に気を配り小さな親切を積み重ねている。つまりそういう意味では「損」の方が多いわけだ。
これですね。「損」というのが人の価値を決めるというのは。人間というからには人の間にいる。人の間で自分を磨くということです。
あっここに遊びに来てください
http://8005.teacup.com/zhi/bbs
38
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/03/22 23:04
なるほど〜
BBS見たよ〜
39
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/19 01:28
/) /)
(´・д・) キコキコ
( O┬O
ε=◎ヽJ┴◎)
40
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/11 07:33
[URL]
トップクオークがテパトロンで確認されたのが1994年だから僕の義務教育では素粒子は「電子」と「陽子」と「中性子」だった。その三つの素粒子が階層的に原子を構成していた。
その素粒子を構成する素粒子。それはクオーク、電荷、レプトンで、これも階層的に形成されている。なぜ対称的な階層が3世代なのかは未だ不明。
そんな緻密な自然の世界を覗いて、靈性や意識には階層があることを連想した。正直者が正直に話す時はドミソなど和音として数学的に調和している。いい流れの旋律。善人が恥ずかしく惡を振る舞う塲合はやや調性を欠いた音楽になるが、心根が浅い意味不明感ぐらいである。
でもトップやボトムに欺瞞や欲望のあるばあいはドミソ♯とか、あるいは倍音の伸びが悪かったり弦の調律が合っておらず不協和音を醸す。漏尽通はそこを嗅ぐ。瞭察力はその仕組みと成り立ちを読む。写実主義はさらにそれをストーリー上に表現するのでボヴァリー夫人クラスともなれば神業。
41
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/08/15 22:17
厭世に頷首すれば…信じられるものといえば絶望的な前途。
悪魔に頷首すれば…ハイなときはよくても途端に欝になる。
靈性は信仰する対象の影響を受ける。
仏に向かうか仏を名乗る未完聖人に従うか。
徳のないものに頷首すれば喜んでついてきてしまう。
その世界で「神」とされているものの愛情の基盤になっているものがあははうふふ撃退的なルサンチだとしたら、愛情に満ちている高いときは慈悲深くても愛情が欠けて低くなると途端に罪着せたがりになるとか考えられる。
仏閣でも開祖の人は聖人であっても、三代四代になって格式が保てなくなってくるところがある。普通にその高すぎるレベルを保てないってだけならいいんだけどね。でもどっかの新興宗教みたく、二代目で体質が変にセクト的になるってところは、もとがたいしたことなかったんだと思う。あるいはそういう階層にて高みに至ってたんでしょう。いずれカルト臭を釀してくる。
同調すれば霊性はそのとおりになっていく。何に同調するのかが人格を決定付けている。創価に同調すれば創価的な審美眼しか得られないし、低俗な論理に同調すれば低俗な宗教観しか得られないだろう。
ゆえに涅槃の完成されているところにしか回向(エコー)しないほうがいい。変なやつはつかず離れずがいい。低い階層が依然霊障に満ちていると、それが連鎖してこちらが業を負ってしまう。なまじ親切にしてはいけない。『超バカの壁』
徳のあるものに付き従えばこちらの徳性も階層的に明るくなる。よい波紋を広げていこう。そういうのは当たり前すぎてわからないぐらい。自然だから。
42
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/19 01:50
最も自然な精神は
意見をいわないところにある
最も不自然な精神は
人爲でなんとかしようとするところにある
最も不自由な精神は
毀損趣味に走るところにある
43
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/17 00:07
[URL]
言葉で感謝できないなら心で感謝する
心で感謝できないなら言葉で感謝する
言葉で懺悔できないなら心で懺悔する
心で懺悔できないなら言葉で懺悔する
44
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/06/23 19:50
概念を衝突させてどちらが正しいかという結論を追うものが多いけど色不異空。色不異空で捉えればわざわざ衝突させることはしなくなる。
見えているとおりの縁起(暗在系)・・・太陽が輪廻しないのは、太陽だからとなる。また太陽に魂があるのなら輪廻もしようもの。魂がないという概念における太陽が輪廻しないので、魂のある世界でも輪廻などないのではないかなどと結論を唯一に限定しようとすれば、色不異空から離れる。テクストコードが読めなければ衝突する。
45
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/07 20:51
水子の解釈もまちまちで、@受精した時点で、人となるとか、A妊娠数ヶ月で、魂が胎児の中に入るとか、B出産した時に、魂が赤子の中に入るとか、いろいろ説がある。@なら中絶したら水子になるし、Aなら中絶した時期により水子ができたり、できなかったり、Bなら中絶しても水子は発生しないことになる。
そこで色不異空なら、暗在系においてその反応があれば、いるなぁ、ということになり、因は生来の霊か、あとから霊化したものか、憑依霊か、御霊の主張から判断することになる。
聖典は霊性で読み解くことが肝要であるが、空即是色なら神話作用も神話作用としてちゃんと理解できる。よくある霊的な解釈は空乖離色で、そこに暗在させられているものが現実とかけ離れている。初めからビジネス的意味づけやサービス精神的解釈なのかもしれないが、因や結論を一つに限定したがると自然からは離れる。宗教の場合、自然精神から離れるからノープロブレムじゃ済まされない。
目に見えるものと暗在系はかけ離れてはいない。虫やミジンコには前世があるのか。人間だけが特別なのか。…単細胞生物にはやはりミクロなものしかないと思う。でも虫にも三分の魂というから、カルトにむかついても過激な虚無論へ向かうではなく、大切にすることは大切。
46
名前:
月に疲れたピエロ
2006/11/16 23:59
闇というと光も何もない暗闇みたいだけど、心の闇には手が生えている。触手が相手を求めている。闇のサーベルが切り裂こうとしている。闇の縄が心臟を止めようとしている。
後の世で、己の愚かさに恥じいるがそれが最も大切なことだ。ジャンクDNAは記憶している…「嫌な予感」は過去に過ぎたあの闇の連想でもある。
47
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/09 00:31
夏は炎熱に苦しまず、冬は寒くないために髮はある
出家してあたまを剃るということは、覚悟のあらわれになるのかな
あたまに何かがぶつかることを考えると、たいへんにこわいよ
48
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/09 00:56
今の巨人が弱いのは中日のように巧みでないから。福留とかはフライを余裕で取れるふりして、実はそれはフェンスに当たる打球で二塁ランナーを三塁までしか進ませないとか、おとついの試合でも荒木が盜塁するに見せかけてストレートを誘い、井端にホームラン打たれた。打撃でも二人の連係プレーにやられてる。おととしにも、8回同点満塁のチャンス、落合監督は左打者の井上に替えて右投手相手に高橋光信を代打に送った。あの場面で死球を撰べるのは渡邊か高橋だけという選球眼の起用。相手投手の定まらない投球につけ込み、押し出し勝ち越し。
パワーゲームがケースバイケースな小賢しさにやられてる。
宗教的行いでも、懺悔の心持で反省すればジンテーゼされていくが、もちろん見ざる言わざる聞かざるもいい。こういうのはケースバイケースなのである。頭の固い人は原罪意識などにも凝り固まるからちょっとアレなことも多い。アルカイック・スマイルからは却って離れていく。子どもにあるのは好き嫌いで、大人にあるのは偏見だ。やったことのないことも試みてみる。
神を信仰するとか、阿弥陀に帰依するとか、遊歩道を散歩するとか、無酸素運動とか、坐禪とか、靈驗を集めるとか、無念の念に帰するとか、読経とか(調心)、祈りでも祝詞を選ぶかお経を選ぶか、ストレッチとか(調身)、深呼吸とか(調息)、瞑想やヨーガは指導が必要なのでやめたほうがいいけど、メソッドの選択は豊富にあったほうがいいと思う。且つ臨機応變で。
49
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/02 01:07
[URL]
宗教に懐疑的な人に言わせると
あの弘道おにいさんにも裏の素顔があって政治と絡んでる
てかクスリやってる
50
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/09 00:55
70年代のラックスをニアフィールドで聴いたら手放せなくなった。今のアンプは温故知新でもっと生命感を高めてほしい。ローテルなんかはそのへんずっと守ってる。中身みるとスカスカでこれで**万か!とか素人ながら思うけど基盤がソノリティを濁していることは確かで、いかにノイズ対策素子とか使わずに設計されているか… 玄人の人はその努力をスカスカの中に垣間見るわけだ。人との接点は大切にしたいけど、機械的な接点はなるべく少なくしたい、というのがローテルの有名な理念。
人間の本質も機械の本質も変わらない。
十年前にONKYOがA-927/A-929という無帰還の回路で設計されたアンプを出したけどそれはそれはモダンアンティークなアンプでデザインにはある種の完璧さがあった。古い良く感じられるものと新しく斬新なものとの融合、とはいうけどこの世界はあれを取ればこっちが損なわれるという感じで、A-917の音に比べたらA-927は生々しくもなんか素っ氣無い感じ。ぬくもりとか空気感なら今のデノンやマランツのが上。でも原始楽音の持つソノリティや鮮度や生命感 このへんは昔のアンプのが上。今のアンプでそれを出そうとしたらパワードライブして出す感じになる。だから少々うんちくくさいんだな。
51
名前:
自由と平等について
2006/07/29 01:41
自由であれば人は平等ではない
平等であれば人は自由ではない
52
名前:
ナナシンクロニシティ
2011/07/14 21:00
色=五蘊で知覚する世界など
空=空気?。プラーナ的な世界と思う
人はただ色不異空でありさえすれば落ち着くのである
逆に自分の存在と外界からの評価とかも
53
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/29 01:57
容姿、運動神經、知能指数、音感、霊感、倫理的判断能力、各種才能 etc. さまざまな差異がある。おなじものはない。
その自分にとっての色が、努力したさいに(思い上がりや無自覚はなかったという前提で)それ相応の評価・権力・給料・信頼という空を得られていれば、人(≒人々)は落ち着いている。(この場合は立場が逆になれば、色空は反対になる。)(受想行識は空なので、固体化こそが諍いの元になるのだけど。)
54
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/29 01:57
反対に努力しなかった場合も、傑出したある側面を見て宝の持ち腐れだとか、劣ったある側面を見てだめなやつはなにやってもだめだと、不増不減に評価されるのであればその人は納得しているもの。
世の中は慣性任せに自然のバランスは保たれている。
実際より低い立塲に追いやればその人(か神)に落とされる(因果応報)。実際より高く評価すれば外の人には馬鹿にされるか文句言われる。
しかしスーパーツイーターを使えばなぜか低域がまろやかになるように(SACD発売時のTANNOYの出展でやっていた)、自然に回歸して来る現象は、じっさいのところ想像力を超えている。(たとえNASAに比べてはるかに限定された世界であっても)。
料簡通りに一筋縄にはいかないから、現象を説明することは宗教なのだ。(輸入代理店のTEACがインチキしていたということも、なきにしもあらずではあるけど)。
55
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/04 01:03
相手を実際より外れて大きくではなく
実際の一部としてしか表現してないのは
僕ぐらいかな
56
名前:
観音経・心経
2006/08/23 02:48
色不異空なら唱えればいいという問題でもなくなる。唱えるのが口先だけなら口先だけにしか作用してこない。祈りにおける空の濃度が濃厚なほど作用は長く続く。心がこもってないとだめだ。観音経も般若心経も、唱えることにより辺りが「氣」に充満するのは、心と心が干渉するからだよ。お亙いが干渉して意識を読み合う。それがもっと仏の心に近づければ、仏のほうが光を発するようになる。燃えるかと思うのに。
霊性の高いものほど先がある。僕はまだまだ中途だけど。
57
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:38
また『ダキニ、仏教名「茶枳尼天」。シヴァ神の妃パールヴァティーの化身のひとつカーリー女神(黒き女神)の従者であったが、仏教に取り入れられた神のひとり。その願望達成力はすざまじいものがあり、密教の秘伝の呪法で祈ると少々無茶な願いも叶えてくれるという。そのかわり見返りもキッチリ求めてくる神様なので、ある意味すごく怖い神様です。まっ、触らぬ神に祟りなしですよ・・・。』とのこと。
回向する対象によって影響も反応も違う。
58
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:40
心も空なので、一番暗いのは実はあの人なのよみたいなあるいは占い番組的な鼓舞みたいなのは、実体とかけ離れている。一時のたしなみによって普遍性からは遠のく。一度普通から離れると、なかなか元にはもってこれない。よくあるカルトは、意表をついたような、それはものすごいことなのよ的な判断にむしばまれているので祈りも過激になる。祈りの方が思想より退屈では心が安定しない。どんどん過激に呑まれてゆく。もっとも普通の祈りとはなかなか難しいものだ。
59
名前:
ナナシンクロニシティ
2011/09/16 19:09
本来土地は平面ではなく、土壌として深度も活かされるものであるけど(草は地表に根を張り、木は深くに根を伸ばし、共存している。自然の方が土地活用が賢い)、コンクリに塗り固められて自然の気に満たされていないから、人々は霊の躍動しない世界で意思氣を形成されている。都会のど真ん中で信仰を持っても田舎より効力が薄いのかもしれませんね。かといって機根最劣に広大な大地にバックパッカーをしても少女を売春して日本に帰ってくるだけである。宗教的ななにかに「目覚める」(なんて言葉は使いたくないが)のはその人自身の問題になる。
60
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/12 07:33
すべての神仏は宇宙根源神につながる。基音には必ず倍音が含まれているのに天地の中間をなくしている議論がほとんど。哲学/宗教どちらかしかない。共産馬鹿は虚構論理を信仰している。
61
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:20
キリスト教では宇宙は創造された
神道では宇宙から生まれてきた
文学においても同じで捏慥でなければよい
音樂においても同じで模倣でなければよい
心は、自然に生まれた素性に拠るところであるならばよい
62
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:28
超越願望から魔境に陥る者多し
靜けさを保つのがよい
自然についてくる
63
名前:
百体清浄
2006/08/23 02:28
目(め)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)て心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)ず、耳(みみ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きい)て心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きか)ず…
http://boo.arinecoinco.com/hyakutaishoujoh.htm
百体清淨は、武士の靜けさに通じる
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89&lr=
64
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:29
武道で得られるものは武術
神道で得られるものは神霊
靜寂のうちにこそ最高のものが宿る
65
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
もちろんドミノ倒しで悪い部分がぜんぶなくなるわけじゃない。あれを取ればこれを失うというものはある。攻撃性が縮小し、竒矯態度がなくなるのはいいけど、世間一般から見て竸争力や魅力も消えているかもしれない。自我は安定しても創造性は失っているかもしれないし、霊性の機微は増しても危機感は減っているかもしれない。結局はどの絶対量を取るかになる。大学受験のときも青舂を犠牲にするか将来の安心感を取るかで、だいたいの人は受験を取ってきている。勉強のその内容が当時から好きだった人は、高学歴層にもそんなにもいるものではない。もちろん好きこそものの上手なれであり、偏差値は勉強にどれだけ没頭できたかに比例していると思われるけど。
祝詞においてはなにより神気に満たされるのが大きい。それを疑われて病人扱いされるという不快量より神気のすがすがしさが勝っている場合は神に向かうだろう。見ざる聞かざる言わざるで世界が喜ばしくなれば自己矛盾・思考停止・原罪意識な循環論法が100倍に煽る微細な要素のことは気にしなくなるだろうし、人々の平和と幸福を守る・拡大させる希求が強ければ強いほど時間を犠牲にしても祝詞の奏上に励むだろう。入学後に初めて純粋に励めた人はそれが将来の糧になっている。
66
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
百体清淨が成立するのは日本人は空気が読めるから。日本人ほど空気を読める民族はいない。だから表面的にもろもろの穢れを言いても、文字通り捉えられたりしないし表面的な穢れを穢れとして見て喧嘩になったりしない。
67
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
身にも心にも素朴さを保つべし
弦樂のような竝の波紋で
68
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:53
コジコジを読むとよい
69
名前:
3のつがい
2006/10/19 00:19
[URL]
「仏陀はこの断見を常見とともに二つの極端な見解(辺見)として斥けて、中道のあり方としての縁起を説いた。」-『岩波仏教辞典』-
核力には中間子の働きがあるが、仏教でいう縁はそれに似ている。神話でも多くの場合、三つになっている。ボッティチェリの
La Primavera
の真ん中にいる三美神はなぜか三人であるし、古事記の始まりにおいても高御産巣日神、神産巣日神と天之御中主神という神様がいる。こちらはどれも
独り神
であるが、性別的な位置付けもできる。男性的な高御産巣日神と女性的な神産巣日神の一対の神格のほかに、天之御中主神という神がいる。原子の構成に於いても、陽子だけでは存在できない。中性子が必要。さらに、その間をとりもつ力が必要になる。
中間子
を発見したのは湯川秀樹。π中間子以外にもη中間子、ω中間子などが見つかっている。
70
名前:
色不異空
2006/10/19 00:24
普通の目に見える粒子で考えてみると、原子核の大きさは原子の10万分の1(約10兆分の1センチメートル)。原子を甲子園だとするとその中のボールよりも小さい。それほどまでに原子はスカスカなのだけど、太陽を見ればわかるとおり光が強いと実際の面積より大きく見えてしまう。実際はスカスカな構慥でも光を反射した物体はスカスカには思えない。暗闇ではそうでもないのに。網膜は目に見えるもの(色)緻密な物体だと認識する。光を反射するのは原子全体からみてほんのわずかな素粒子なのに。その意味で、この世の一切は空なのだとする解釈も正しい。
71
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/25 23:46
「いとしい夫であるいざなぎよ、こんなことをするのなら、あなたの国の人たちを毎日千人しめ殺してやる!」
「愛しい妻よ、おまえがそうするなら、わたしは毎日千五百人の子どもが産まれるように産屋を立てよう!」
そう黄泉の国の帰りにいざなぎ・いざなみのお二方は話されました。
神代には濃密であっても今は希薄かもしれない魂。ひとつがふたつになりみつがよっつに。輪廻のたびに薄まる一方…? 大昔はふとした病気で死ぬのは当たり前、食物は随分まずしく冬に寒いは当たり前だった。その現代人から見て生きるだけでも修行になっているという人生の輪廻で最終的な高みに至っているのが現在の氏神の霊性かもしれない。霊性を退行させる働きをする苦労を誇り実績を掲げるという感覚はいにしえの世界には生じえない。
古代より現代へ進むにつれ、どんどん悟りから遠くなっていく。平均寿命が高くなるのはいいが生きることに苦労しなくなるので、平均霊性は伸びにくくなる。ウナギが神の使いとして保護されていたとしてもおいしいから喰う。それを批判するのはまた馬鹿げたことになるけど、自然の秩序、神性の秩序を亂せば自然災害に見舞われ、自然災害なら見えるからよいが手厚い守護まで減らし拡大した黄泉からの影響力も増して心は寂寞となり行いも亂されるそんな風水的諸現象はそのうち物理学世界でも検証されるたしかなことなので、考えにいれておく必要はあると思う。
今や霊性を向上させようなどという意識はほとんど思いもつかないことだが、秩序を亂してしまい石戸を開けられ浮遊するようになったものどもを(それは都市化の必然で致し方ないことなので)われわれはそれらを癒すとか光明にもっていくぐらいのモチベーションで祝詞やお経を唱えるなり禪なりヨガなりよりよく反省する生き方をするなどの必要があるんじゃなからうか。
72
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/01 00:06
祝詞で変えられるものはありとぞ大風呂敷ひろげてあまりに多くを変えようと望まないこと。泣く子が一たび泣くたびになだめる一唱の子守唄のような一巻の祝詞。そのようにして地道に緻密に形成されていくこころとからだ。
73
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/07 02:31
キリストと釈迦の共通するところは共に虚無ではないブラフマン格の実体のないものを知っているところ。
共通してないのはキリストは初めから神として生まれてきたと定義されているので釈迦のようには凡夫の思考がわからないところ。
昨日、秋篠宮妃紀子さまが男のお子さまを出産された。
男の子が産まれてほんとよかった〜。
心底よかったのだけど問題はこの精神(これは絶對精神ではないが)を冒涜されたときの対策になる。キリストなら初めから神なので地獄に堕ちることを教える。釈迦ならその次元の低いしがらみから早く脱することを教える。
74
名前:
林浩司
2006/09/08 00:13
お寺の修行とはどんなものなのでしょうか ?
そして、それにどんな意味があるのか教えてください。
一休さんとかでみるお寺の修行というのは、座禅を組んだり、巻き割をしたり、掃除をしたり、お経を唱えたりみたいですが、どんな意味ががるのでしょうか ? 何かの本では右脳教育みたいなことが書いておりました。
お寺の修行は日常では出来ません。それで、もし出来るのならば、「反復」と言っておりました。それを言った人は、みなさまもご存知と思いますが、三浦道明と言うお坊さんです。この反復は、滝で煩悩を払うような効果があるかもしれません。
比叡山の修行で千日回峰行といものがあるらしいですが、千日で4万Kmくらい歩く荒行で50年にひとりほどやり遂げる者がいるそうです。これも、煩悩を取り払う「反復」といものかもしれません。ボクは一時期毎日15Kmくらい歩いて実戦したことがありました。
ボクはお坊さんになりたいとまでは思いませんが、いつか悟りを開いてみたいと思っています。お寺の修行はどんなものがあり、その意味を教えてください。
75
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/09 00:57
出家したことがないから修行内容はわからないです。お寺に聞いてください。お寺それぞれです。勉強会や坐禅会や修養会というのがたいてい日曜日にはあります。写経会や読経会など。プチ修行でもやったぶんだけ価値があります。産土の神社に参詣しつづけるのも大切ですね。
目的は、霊性を浄化・成長させることに尽きます。毎日やれることは家の仏壇と神棚をちゃんと祀ることなどがあります。お経は、お寺に通うことにしてからでもいいと思います。唱える意味を求めるのであれば、そこの坊さんに聞いてください。
http://www.shinran.ne.jp/nihongo/page1.html
悟りには52の段階があるみたいです。
いつかは高いものを悟れたらいいですね。中性的な人のほうが宗教的な才能がある傾向があるようです。それは絶對精神にかかわるもの・・・すなわち音樂や哲学にも言えることだけど。
76
名前:
ウダーナヴァルガ
2006/10/14 09:46
* 他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかしこの人も自分の過失は隠してしまう。――狡猾な賭博師が不利な骰子の目をかくしてしまうように。
* 他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する。かれは実に真理を見ることから遠く隔たっている。
* 恥を知らず、烏の首魁のようにがやがや叫び、厚かましく、図々しい人は、生活し易い。この世では、心が汚れたまま生きて行く。(
粘着
)
* 恥を知り、常に清きをもとめ、よく仕事に専念していて、つつしみ深く、真理を見て、清く暮す人は、生活し難い。(
人境不倶奪
)
* この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわり)を見分ける人は稀である。網から脱された鳥のように、天に至って楽しむ人は少ない。
* この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。(かれらには)無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しない。
* 人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりを或る人々は知らない。実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとは見なさない。
* ところがこれを、人々が執着しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、「われが為す」という観念に害されることもないし、「他人が為す」という観念に害されることもないであろう。
* この世の中の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。惡しき見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。
77
名前:
ウダーナヴァルガ
2006/10/14 09:44
* すでに得たものと、これから得られるはずのものと――この二つは塵ほこりであり、病いであると知って、心を安定統一した智者は、それを捨てよ。
* 世の中は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ。身体をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。
* つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。愚者たちはそこに迷うが、明らかに知る人々はそれに執着しない。
* つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。愚者たちはそこに耽溺する。――老いた牛はそれに対する執着を離れる。
78
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/14 16:37
[URL]
女蛇に抱きつかれているネパールの仏像。抱き合っている。解釈するに、女蛇でも愛で返してやらねばその心は満足しないから。愛情に飢えるので人を求め、枯渇しているので人を条件反射で燬損し冒涜する。はじめはそれに応戦していても、やがてはより巨大化した蛇となり、一層ダラダラした寄生虫と化す。むこうにも一理ある。悟りからは離れる論理にそれ以上埋没させるわけにはいかないので、その存在を認め、愛で応じることにしたのだ。仏陀の望みは蛇を陀にすることなので。
79
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/14 17:42
「釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり」(親鸞聖人・高僧和讚)
自力や勘案の働きを失わせてからの仏教
80
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/15 12:10
「帰依」というものの本質は、盲信とか服従する意思による行爲ではなく、
盲信とか服従を含む自力の働きを徹底して消し去る態度のうちにある
* この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この身体は泡沫のようにはかないものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この世界は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この世界は泡沫のようにはかないものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
原始仏教も浄土宗も通底している。臨済も親鸞も。
81
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/10 22:30
愛や慈悲を信じられない割りに煩悩と感情は信じていて、善性の在り處を追求する割には存在は芥であることは肯定する。それすらも無なのだから、無でいいのではないのか?。というかそれ以前に、愛や慈悲の在り處を求めるわりに、芥であることは在り處があるというのは既に自己矛盾。
神を否定し宗教を否定することは肯定になる。科学を宗教とするのは、言葉に在り處がないから。イデアは形而上にしかない。少年合唱団の声質がどれほど美しく、少年自体はいらずともその声だけが欲しいと思ってみても、それを手に入れることはできない。空気振動を止めることができれば手の中には入るかもしれないが。
82
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/10 22:56
低振幅なレスならいらない。
83
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/18 20:44
世の中には霰見される甘さがある。
たとえば神道はぜんぜん煩悩を肯定していない。物語(ミュートス)だからそういう解釈も生まれるんだろうが要するに、そのまんまというもの(理想でない現実)(肯定も否定もない)。言葉で考える、理論を面白がる、ってものでもない。
84
名前:
そのまんま縄文杉
2006/11/14 22:20
理想のない現実とは、人間臭くないということ。
縄文杉をみて人は教訓や理想を描いたり感動を述べるかもしれない。でも縄文杉は縄文杉。神は神。
縄文杉というのは樹齢7200年(推定)で相当でかいが、案外形状はほかのやつに比べたら普通で、(エヴァンゲリオンみたいなのは生えているが) 長生きするには、普通に成長するのがよいのだとか、大木も年輪の積み重ねとか、島の主は最も晉遍的なものだったとか、いろいろ思うけど、見たことのない人に表現するのは不可能だから、縄文杉は縄文杉
語りえぬものについては沈黙しているのが神道の姿勢。これは仏教でもキリスト教でももちろんそうだが、人間学になっている分だけ、語る傾向と布教する傾向はある。
85
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/14 22:55
仏教は人間の善でキリスト教は万軍の主で神道は自然の美。日本のカミは日本で発生して日本に住むことにしたから日本のカミなのかな。あるいはもっと起源を辿ると四季のあるこの理想的な孤島を天津神は日本として選んでここに素朴で清澄なカミが集まっていたのかもしれない。
ε=ε=ε=ε=ε=(o・゚∀゚・)o ブーン
86
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/14 23:07
古神道に日本雛形の文書がある
87
名前:
林浩司♂
2006/11/18 18:10
俺の悟りとは
精神を統一し、心身ともにきれいに、おだやかにすることだ。
そうすることで、客観的に自分が見ることが出来、足元がしっかりしてくる。
その修行法とは!?
一、瞑想する
一、ポジティブに心を持っていく
一、自分の懺悔をする
一、きれいにした心で、おだやかに掃除、洗濯をする
一、願望を唱える(5分くらい)
一、ゆったりとお風呂に入る。
体をよく洗う
お風呂によくつかる
お風呂に使ってる時に、自分の願望を唱える。
俺は自己流のこの修行法は、懺悔する事で、自分を客観的に見ることができる。ポジティブの心も大切だが、ネガティブな心も、自分の足元を見定めるためには必要なのだ。
天上天下唯我独尊
つまり、この世に自分は一人しかいず、その自分を限りなく愛してやる事。そして、自分の欠点も限りなく愛してやる事。欠点は人と比較して出るものだ。そう、煩悩を全て打ち消すことが出来たとき、悟りが開かれる。
88
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/20 01:06
今日の煩悩を明日に持ち越さないためにも
懺悔するのはたいせつだね
89
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/01/26 20:21
とくに眠くない変な時間に寢ると、その間にはかなりの確率で金縛りにあう。でも今回は霊的だった。般若心経を唱える少しこわい僧侶の二人か三人に助けられた。彼らも唱えていた。その般若心経はアテンポで、僕自身はあんまり仏閣の般若心経は聴いたことないはずだけど、普遍的にある唱え方だった。助けに来てくれているということはわかった。次に警察が現行犯を捕まえるときのように頭を抱えられて、僕は体内にいるものを捕まえていることをわかっているのだけど、その僧侶は本当に大丈夫なのかは疑っていた。不浄行者の類いもいるし。でも手からくる氣が、仏閣独特の清々しいやつだったので信頼して、どこで覚わったのか知らないが、思い切って顔から憑き物を放出した。すごいすっきりした。同化しているものだったのですごい苦しかったけど。離れる間顔は厭に熱かったし。でも僕自身は幽体離脱せずに、そのまま肉体のままの自我であった。それだけが連れられていった。成長してから戻っておいでと言っておいた。起きるとテレビで世界遺産がやっていたので観に行った。
90
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/10 02:28
どれほど有無の議論をしてみても、魂は半永久的だと思える。
その魂が集まる磁場に縁があるから。
だからこそ、神の前に人は平等なのだね。
自分だけ出し抜けようとしても引っ張られる。
まるでコップの水に飴玉を入れて一日置いておけば、完全に平均化するみたいに。
91
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/10 02:55
ただし上のほうが透明で下のほうは濁っている
92
名前:
肉体精神力の即効性⌒
2007/01/25 22:09
たとえばある寺があって、宗主から三代目までは最高のレベルを保っていた。ちゃんとした浄土真宗の寺である。でも四代目の人が自殺し、それから末代17代まで忌まわしいものに憑かれていた。檀家の人は霊障を被る。でもそこでわいてくる疑問は、なぜ三代目までの人は力があるのに後代を救わないのだろう。夢と現実ぐらいの時間差のうちに、普通に待ったままでいて「他力本願で上がってこい」と教唆したまままだ這い上がってなかったとか。または自分まで一緒にそこに堕ちては寺がもう成り立たないというのもあったのかもしれない。でも合理的にはたぶん人が病氣やノイローゼに陥り、そこから復歸する力が威力になるからだろう。それもまた人自身の成長にもなる。
なんであれ、人は地獄に不淨と共に堕ちてもすぐに這い上がれる。下痢になってもすぐに元通りになる。その繰り返しの慣性、筋トレの超回復のようなものに乗じて快癒してゆくのは、思っているよりすばらしいことである。それを阿弥陀の力といって尊ばれているかもしれない。(その寺は、能力のある人が一代一代供養したので万事解決。3か月たらずで救われることになった方の視点で見れば、それを縁というのかもしれない。)
93
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/24 09:54
霊は起きているわけでも眠っているわけでもない状態でいられると思う。殺氣立った御霊を鎮魂で眠っている状態にすれば快癒すると思うけど、普段寢ているものをいきなり呼び起こすと人間の生体と同じく、あまり気分はよくないと思う。だから般若心経や六根清淨の前半のような、状態を詠むのだと思う。
94
名前:
ナナシンクロニシティ⌒
2007/01/25 22:09
もずくスープとかみそ汁を飲んで「おいしい」という感覚は、
幸せな御霊の供養にもなってるだろうな。
ささいな幸せも、思っているよりはすばらしいこと。
95
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/02/06 00:19
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96
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/17 22:59
ストア派ではヌースはロゴスに含まれるらしい
その考えはわかった。じっさいにあるイデアは
真理、論理、言葉であるから。ロゴスはヌース
の役割もあるという発見がちょっといいかんじ
97
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/18 21:54
泣いたぶんだけ成長できる
最近の子はあまり泣かない
進化している証拠だろうか
基準が低まったのだろうか
98
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/05/16 00:46
山は噴火するのに
99
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/05/29 00:16
愛により固成し
憎しみにより霰亂す
偉大なシステムを爲すには
合理点が優れていなければならない
反發状態であれば素直にシステムを作り替える
その繰り返しが成長といえる
100
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/06/09 00:31
勝負亊の世界では
憎んだほうが負ける
負けるほうが勝つ
101
名前:
ナナシンクロニシティ
2011/08/19 20:32
陰徳をする人は
名前を名乗らないが
中傷をする人もまた
名前を名乗らない
102
名前:
ナナシンクロニシティ
2011/08/19 20:33
神社のお札はパワースポットだが
市民にまんじゅう配るみたいに渡しても
なにかよいことあっても棚からぼた餅
103
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/01/22 00:58
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104
名前:
無功徳の徳
2009/01/21 20:03
徳を積むに徳積みするという意識、修行をするに霊性を上げようとする目的があってはならない理由それは…たとへば見とれて誰かを好きになるときたいていその人はその姿しぐさの特定の者に放つ美しさには気付いていない。自己の美質に気付いていない人の美質のほうが自然に溢れかえるし気付いてしまえば醜い美質に成り下がるからである…また人のためにと思うてやっても、根本的にズレていれば効果は薄い。たいがいズレている。
105
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/01/24 17:36
仕事も恋愛も自分の思うとおりには事は運ばれない。
ただ一心に余念なく事に励めば想定外に良い運びになるもの。
それを大切にする。
106
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/08 16:15
維摩一黙
107
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/21 19:15
自然界の中に霊界がある・・・
自然界そのものが自然であれば
霊界そのものは神であり自然である
108
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/22 15:05
僕が寂しがっていたら
猫が雀をつかまえてきて
しばらくそれで遊んだあと
ふとんの横に置いてくれた
僕はそれをどうすることもできないけど
絵になるから素敵である
やっぱり失恋したかな
109
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/03/27 23:11
精子はあれだけ小さくても動いている
卵子と合わさると母の胎内で大きくなる
魂は育まれる
魂は受精した瞬間に宿るものでも
へその緒が切れた瞬間に宿るものでもない
110
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/04/03 13:47
食糧に満たされケミカルの医療は浸透し
最近は人が簡単には死ななくなってきているから
― 死んでもいい奴まで生き残り
― 生きるべき人間が生きにくい世の中になってきている
犯罪も低級化し昔の人には考えられないような精神構造になっている
命が尊ばれない
理不尽かもしれないが、劣性遺伝子は本来残すべきではないのだよ
ヒルコと同じく舟に乗せて、海のむこう遥か彼方へ流すほうがよいのだよ
この地上を護るために
111
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/04/11 08:10
実のところ誰もその人に 遵ってはいないだろうな と思える偉い人がいる
部下はみな従うが、それは聞かざるを得ないからである しぶしぶと
―
自分で思っているほど 自分は尊敬されていない
― 肝に銘じるべき
ブッダには数多くの賢者が遵うのに、錯覚した人は歳老いるごとに離れる
112
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/08/16 19:48
人は卑怯であることを恥じる
卑怯は、恥という有益な作用を生む
113
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/08/16 19:54
何かを教えてもらうという事は
自分のDNA(霊性)がその様に変化するということ
その人のように成りたくないなら宗派を変えるべし
むしろ教えたがりの人は人生に成してない事が多く、自分のDNAを育みたい状況にある
教える側は有限性のうちにある自己の一部を共有していただいた事に感謝すべし
114
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/09/03 21:45
暗いのにしゃべる人よりかは、たとえ無口でも、心に愛のある人の方がよい。
115
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/09/06 19:18
世の中を見て厭わしがるよりは厭わしがらないほうがいい。
でも悦に入るよりはグレているほうがいい。
116
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/10/06 21:32
幼稚な考えほど客観しにくく客観されやすい。
高尚な考えほど客観しやすく客観されにくい。
117
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/26 21:35
電波っぱが理解できない人間が
いるもんだなぁ。世の中には。
やっぱり義務教育時にIQ計測は必要だわ。
118
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/26 22:26
文体【エクリチュール】に美意識があると
音楽がどんな風にでも解釈できるように
その文意は解釈できてしまう
119
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/26 22:30
しかし人がそのエクリチュールが意味不明と投げ出す時は
たいてい美意識か集中力を欠いている
読解以前で止まっている
120
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/26 23:18
でもそのエクリチュールはエクリチュール自体が構造なんだよなぁ
論理的に正確に再解釈する必要はない
右脳で読め
121
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/30 17:40
ブリジストンのクロスバイクが盗まれた
不偸盗戒が破られている人間に盗まれた
やっぱ縁が悪かったんだなぁ
階層の低い人は我慢できない
122
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/30 17:45
たとえば すぐに犯罪をしてキレる人間が健康的な姿で居られるとしてもその臨界点は低い。
キレる事が許されなくなればすぐさま顔面精神は歪んでくるだろう。
仏様は気が長い。だからいつまでも仏様としての美しさと慈悲を保っている。
一時的に仏様になったとしても臨界点の低い仏様は下仏である。
進化をするなら臨界を広げられなくてはならない。どうせすぐに限界が来て元の姿に戻るので。
どんな境涯でその健全な姿を保てるか。空気の薄なるような高い場所で中庸や美意識を保つことが難しい。高ければ高いほど。
123
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/30 19:27
http://jobkingdom.co.jp/mag/katei/014.html
すごいいい事が書いてある。
褒めることのプライオリティの高さは、体育会系に多い未熟で未開発な部類の、他者にたいする「構え」でしかない。人を懼れ過ぎると子も会社もそうなる。
高学歴ほど言い訳が少ない。親に言い訳の多い人間は、自己のことしか見えていないし、子も言い訳をするようになる。それでいいやと思えてくる。楽な世界だな。
しかし言い訳の段階でプラーナの流れが止まっているから、それ以上には進化しない。キレる人間は同時にビクついている。縁がそのようになっているのもあるが。
一度しか褒められた事のない人はそれを永続して憶えている。
人は褒めるという事をしないのでいかに価値があるか今の時代。
自分のことばかりにかまけている。非我に美を移せば何倍にもなるのに。
どんどん褒めて利他で埋めれば思い出せば思い出すほどに記憶が洗われる。
そんな恥を棄てた自己では鎧がオブラートすぎて胸や股間がすーすーするんだろう。
だから自分がやるのは嫌なのだ。それが言い訳を生む。みな嫌だから、そうだよね、そうだよね (*゚ゝ゚) (゚<゚*)
ちょっと変だよね。<・・・こいつらに理解できるかな。褒める行為の裏には 構えを無くす修養のあること。
124
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/30 21:21
今は交通事故より自殺する人の方が多いらしい。お金はいくらでも遺されているらしい。
近所には退職金もいいときにやめて、何千万も残して、子供や人にあげてエバってる人がいるようだ。
その人の話を聞いて親父は、「そういう人って、働いてる時、どこにも遊びに行かなかったんだろうなぁ」と言った。
この言い訳が解るかな。臨界点が。
魔のささやきとはそういうものだ。自分だけが昇ろうとすれば、そういう悪魔のささやきが襲ってくる。
魔…。相手に言いたくて仕方がないのだろう。だから言い訳なのだ。思うだけに留まってない。
125
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/31 13:07
札を刷れば景気が回復するというのは一理あるよと主張する人も居るそうだが
誰も根本的な解決には結びついていない
パラダイムの転換(変化)を受け入れられない頑固な脳では発想も狭く偏り
カンフル剤を投与しているうちに寿命が来る
126
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/31 13:17
世界の終わりには火災風災水害が来る
その前の段階では刀兵災と疾病災と飢餓災が来るが
今はそれより一つ前の段階だろう
悟りを衒う者すら神仏の霊性を宗教とか言ってる
今の社会にはマトモな霊性をしている奴はいない
127
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/12/31 14:01
造花か本物か
本物の植物には人工では作れない繊細さがある
花びらにはヒューミッドな感触がある
雄しべと雌しべが分かれる過程にはL'elan vitalがある
勝手に分かれてたまたま合理的で生き残っているわけではない
どういう意志でどうやって分かれたのか?を考えなくては
その人の哲学は神などには到達しないだろう
Yahoo!質問箱には浅薄な回答人間が溢れている
L'elan vitalが欠けているから知性を諷意するも容姿はそれに伴っていない
128
名前:
ナナシンクロニシティ
2010/01/01 00:29
目にもろもろの穢れを見て
心にもろもろの穢れを見ず
心にもろもろの穢れを触れず
心にもろもろの穢れを思わず
あけましておめでとうございます
129
名前:
ナナシンクロニシティ
2010/01/02 21:24
ゴルバチョフは核戦争には勝者がいないと言っていた。
最も憎むべき相手と中距離核戦力全廃条約を結んだことは、
キリスト教の「左の頬を叩かれたら右の頬を向けよ」という努力の体現だろう。
自己表現が出来ない環境にある人はプラーナが滞り歪むので人を信用できず、自分だけが生き残ろうとする。生き残るために環境に悪いものを省みず生産し、使う人間のみでなく周りも間接的な中毒にさせる。
床にワックスを散布する事は自己満でしかない。小中学校で休み前に塗っていたものはいい匂いでまだ健康的で良いと思うけど、今の住宅用の使い易い化学薬品のスプレーのワックスって意味があるのか。使うほうも馬鹿である。
見た目イカニモ何かを散布しましたという趣味の悪いテカリ具合、シンナーが入ってるし、よくわからない匂いする化学薬品を吸引し、気持ち悪いし気管支が妙な感覚だし、この真冬にそれらが完全に気化するまで換気しなければアトピー(弱い癌)になる。寒すぎる。
お寺で供養をする事は、マイナスよりプラスのほうが大きい。修羅の戦いでも霊性が人を促し物質的に何かケミカル等を大量生産でもしない限りプラマイほぼゼロである。資本主義からパラダイムが転換するには「人間なんか信じてるから騙され」という悦の常識から変えるという苦痛が伴う。一種の恥が。自分だけが生きて性交をするという狩猟民族の非我との関わりを体現するほどに、恥にも気付かなくてはならなくなる。供養はしたほうもされたほうも嬉しく、供養力や質量を競って負けても勝ち組である。相手の方が供養力がありその質量が勝っていればそれは霊性的に自分より優れており進化しているわけだが進化するほど自我も普遍的なものになり勝ち負けで負けても良い価値体系や行為の枠組みにいるわけだが僕に多少未熟さが残っていて負けて悔しいと思っても負けるほうがありがたいという行為の枠組みに居る。
130
名前:
ナナシンクロニシティ
2010/01/02 21:58
エコーには長さがある
長いエコーがエコーとして聞き取れない場合
こじづけに聴こえる
131
名前:
ナナシンクロニシティ
2010/01/11 20:59
人生経験の深さと浅さは、肯定か否定かで成り立つ
132
名前:
ナナシンクロニシティ
2010/01/14 07:36
世の中、たいしたことない奴がえばってる
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