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今日の小さな悟り
1
名前:
ナナシンクロニシティ
2004/12/09 21:49
ただここに増えていくのがたのしい。
どんどん書こう
49
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/02 01:07
[URL]
宗教に懐疑的な人に言わせると
あの弘道おにいさんにも裏の素顔があって政治と絡んでる
てかクスリやってる
50
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/09 00:55
70年代のラックスをニアフィールドで聴いたら手放せなくなった。今のアンプは温故知新でもっと生命感を高めてほしい。ローテルなんかはそのへんずっと守ってる。中身みるとスカスカでこれで**万か!とか素人ながら思うけど基盤がソノリティを濁していることは確かで、いかにノイズ対策素子とか使わずに設計されているか… 玄人の人はその努力をスカスカの中に垣間見るわけだ。人との接点は大切にしたいけど、機械的な接点はなるべく少なくしたい、というのがローテルの有名な理念。
人間の本質も機械の本質も変わらない。
十年前にONKYOがA-927/A-929という無帰還の回路で設計されたアンプを出したけどそれはそれはモダンアンティークなアンプでデザインにはある種の完璧さがあった。古い良く感じられるものと新しく斬新なものとの融合、とはいうけどこの世界はあれを取ればこっちが損なわれるという感じで、A-917の音に比べたらA-927は生々しくもなんか素っ氣無い感じ。ぬくもりとか空気感なら今のデノンやマランツのが上。でも原始楽音の持つソノリティや鮮度や生命感 このへんは昔のアンプのが上。今のアンプでそれを出そうとしたらパワードライブして出す感じになる。だから少々うんちくくさいんだな。
51
名前:
自由と平等について
2006/07/29 01:41
自由であれば人は平等ではない
平等であれば人は自由ではない
52
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/29 01:47
色=目に見える世界(明在系)
空=目に見えない世界(暗在系)
人はただ色不異空でありさえすれば落ち着くのである
53
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/29 01:57
容姿、運動神經、知能指数、音感、霊感、倫理的判断能力、各種才能 etc. さまざまな差異がある。おなじものはない。
その自分にとっての色が、努力したさいに(思い上がりや無自覚はなかったという前提で)それ相応の評価・権力・給料・信頼という空を得られていれば、人(≒人々)は落ち着いている。(この場合は立場が逆になれば、色空は反対になる。)(受想行識は空なので、固体化こそが諍いの元になるのだけど。)
54
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/07/29 01:57
反対に努力しなかった場合も、傑出したある側面を見て宝の持ち腐れだとか、劣ったある側面を見てだめなやつはなにやってもだめだと、不増不減に評価されるのであればその人は納得しているもの。
世の中は慣性任せに自然のバランスは保たれている。
実際より低い立塲に追いやればその人(か神)に落とされる(因果応報)。実際より高く評価すれば外の人には馬鹿にされるか文句言われる。
しかしスーパーツイーターを使えばなぜか低域がまろやかになるように(SACD発売時のTANNOYの出展でやっていた)、自然に回歸して来る現象は、じっさいのところ想像力を超えている。(たとえNASAに比べてはるかに限定された世界であっても)。
料簡通りに一筋縄にはいかないから、現象を説明することは宗教なのだ。(輸入代理店のTEACがインチキしていたということも、なきにしもあらずではあるけど)。
55
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/04 01:03
相手を実際より外れて大きくではなく
実際の一部としてしか表現してないのは
僕ぐらいかな
56
名前:
観音経・心経
2006/08/23 02:48
色不異空なら唱えればいいという問題でもなくなる。唱えるのが口先だけなら口先だけにしか作用してこない。祈りにおける空の濃度が濃厚なほど作用は長く続く。心がこもってないとだめだ。観音経も般若心経も、唱えることにより辺りが「氣」に充満するのは、心と心が干渉するからだよ。お亙いが干渉して意識を読み合う。それがもっと仏の心に近づければ、仏のほうが光を発するようになる。燃えるかと思うのに。
霊性の高いものほど先がある。僕はまだまだ中途だけど。
57
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:38
また『ダキニ、仏教名「茶枳尼天」。シヴァ神の妃パールヴァティーの化身のひとつカーリー女神(黒き女神)の従者であったが、仏教に取り入れられた神のひとり。その願望達成力はすざまじいものがあり、密教の秘伝の呪法で祈ると少々無茶な願いも叶えてくれるという。そのかわり見返りもキッチリ求めてくる神様なので、ある意味すごく怖い神様です。まっ、触らぬ神に祟りなしですよ・・・。』とのこと。
回向する対象によって影響も反応も違う。
58
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:40
心も空なので、一番暗いのは実はあの人なのよみたいなあるいは占い番組的な鼓舞みたいなのは、実体とかけ離れている。一時のたしなみによって普遍性からは遠のく。一度普通から離れると、なかなか元にはもってこれない。よくあるカルトは、意表をついたような、それはものすごいことなのよ的な判断にむしばまれているので祈りも過激になる。祈りの方が思想より退屈では心が安定しない。どんどん過激に呑まれてゆく。もっとも普通の祈りとはなかなか難しいものだ。
59
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:41
ご利益信仰のメンタルはたしかにへぼいけど、それをカルト的に馬鹿にする者はもっと馬鹿である。
絶対神としては神道にも宇宙根源神はいるけど中間にいる神も宇宙的にすごいことはあまり意識されていない。
御利益ばかり求めやがって、自分のことばかり願ってやがるなどという言動を生じる原因は本質的にはアカルマではないゆえのもの。心の闇的なもの。
自分のための行いによる業(ヴィカルマ)には当然善因によるものから惡因によるものまで無限にあるわけだけど、惡因しか見たくないとか、そうであってほしいという願望を産み出すのは心の冥。ライバルが神社にでも巡ろうものなら弱者扱いの興奮や極度の唯物論に陥ったりと。(高台の上に登って)見ろあれを、人がアリのようだ的な鼻息の荒さの間隙には張り合いしかないよ。
それは惡因となる。
どれほど「神」を信仰していようが、自分は絶対神に導かれているゆえに邪教の神に目頭が立つというのではアカルマ的な信仰をしているとはいえないね。まだマイトリーやらカルナーが未熟であるか、素直な反応を歪ませる因が遺ってるか。
http://tukipie.net/bbs/test/read.cgi/log/1102596566/41-42
意識と霊性は階層的になっている。ということで、かならずしも清淨な無我とは言えないことも多い。
霊性は顔に。御利益信仰に目頭の立つ人はヒス目に、皮肉を抱く人はナイロニックな口元に、高悦の人は天狗の鼻に、えもいわれぬ感情を抱く人はえもいわれぬ顔付きになる。たいていその生きざまは慣性をもってるので人生前途でどつぼに嵌まり死ぬまで抜け出せずにいることだろう。ゆえに死んでからも世評から見て竒矯な性質とされるところ相変わらずで不淨霊となるのは毎回そういうタイプなのである。そんな醜い、気感の気持ち悪い、ここなんか寒気のする、品の卑しい汚れた、そんなえげつない自分が原因なのに人にやり返しばかりする北朝鮮な一般的な平和者には救いようのない存在汚物になるぐらいなら、美しくなりたい願望を抱き続けるほうがいい。そいつ棄てて自分も美しい神様を信仰すべきなのである。そもそも何かひとつ願い事が叶えてもらえる状況になったとき、何も思い浮かばない人間はつまらない想像力欠如ケースバイケースの柔軟性のなさただの虚無なのであって、あえて自分には願い事がないのですなどとお伽噺の方式にのっとって教科書的回答をする輩は想像力欠如アドリブの効かなさ原罪の囚われ意識ただの虚実とされる優等ぶりなのである。
60
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/12 07:33
すべての神仏は宇宙根源神につながる。基音には必ず倍音が含まれているのに天地の中間をなくしている議論がほとんど。哲学/宗教どちらかしかない。共産馬鹿は虚構論理を信仰している。
61
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:20
キリスト教では宇宙は創造された
神道では宇宙から生まれてきた
文学においても同じで捏慥でなければよい
音樂においても同じで模倣でなければよい
心は、自然に生まれた素性に拠るところであるならばよい
62
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:28
超越願望から魔境に陥る者多し
靜けさを保つのがよい
自然についてくる
63
名前:
百体清浄
2006/08/23 02:28
目(め)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)て心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を見(み)ず、耳(みみ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きい)て心(こころ)に諸(もろもろ)の不淨(けがれ)を聞(きか)ず…
http://boo.arinecoinco.com/hyakutaishoujoh.htm
百体清淨は、武士の靜けさに通じる
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89&lr=
64
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:29
武道で得られるものは武術
神道で得られるものは神霊
靜寂のうちにこそ最高のものが宿る
65
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
もちろんドミノ倒しで悪い部分がぜんぶなくなるわけじゃない。あれを取ればこれを失うというものはある。攻撃性が縮小し、竒矯態度がなくなるのはいいけど、世間一般から見て竸争力や魅力も消えているかもしれない。自我は安定しても創造性は失っているかもしれないし、霊性の機微は増しても危機感は減っているかもしれない。結局はどの絶対量を取るかになる。大学受験のときも青舂を犠牲にするか将来の安心感を取るかで、だいたいの人は受験を取ってきている。勉強のその内容が当時から好きだった人は、高学歴層にもそんなにもいるものではない。もちろん好きこそものの上手なれであり、偏差値は勉強にどれだけ没頭できたかに比例していると思われるけど。
祝詞においてはなにより神気に満たされるのが大きい。それを疑われて病人扱いされるという不快量より神気のすがすがしさが勝っている場合は神に向かうだろう。見ざる聞かざる言わざるで世界が喜ばしくなれば自己矛盾・思考停止・原罪意識な循環論法が100倍に煽る微細な要素のことは気にしなくなるだろうし、人々の平和と幸福を守る・拡大させる希求が強ければ強いほど時間を犠牲にしても祝詞の奏上に励むだろう。入学後に初めて純粋に励めた人はそれが将来の糧になっている。
66
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
百体清淨が成立するのは日本人は空気が読めるから。日本人ほど空気を読める民族はいない。だから表面的にもろもろの穢れを言いても、文字通り捉えられたりしないし表面的な穢れを穢れとして見て喧嘩になったりしない。
67
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:34
身にも心にも素朴さを保つべし
弦樂のような竝の波紋で
68
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/23 02:53
コジコジを読むとよい
69
名前:
3のつがい
2006/10/19 00:19
[URL]
「仏陀はこの断見を常見とともに二つの極端な見解(辺見)として斥けて、中道のあり方としての縁起を説いた。」-『岩波仏教辞典』-
核力には中間子の働きがあるが、仏教でいう縁はそれに似ている。神話でも多くの場合、三つになっている。ボッティチェリの
La Primavera
の真ん中にいる三美神はなぜか三人であるし、古事記の始まりにおいても高御産巣日神、神産巣日神と天之御中主神という神様がいる。こちらはどれも
独り神
であるが、性別的な位置付けもできる。男性的な高御産巣日神と女性的な神産巣日神の一対の神格のほかに、天之御中主神という神がいる。原子の構成に於いても、陽子だけでは存在できない。中性子が必要。さらに、その間をとりもつ力が必要になる。
中間子
を発見したのは湯川秀樹。π中間子以外にもη中間子、ω中間子などが見つかっている。
70
名前:
色不異空
2006/10/19 00:24
普通の目に見える粒子で考えてみると、原子核の大きさは原子の10万分の1(約10兆分の1センチメートル)。原子を甲子園だとするとその中のボールよりも小さい。それほどまでに原子はスカスカなのだけど、太陽を見ればわかるとおり光が強いと実際の面積より大きく見えてしまう。実際はスカスカな構慥でも光を反射した物体はスカスカには思えない。暗闇ではそうでもないのに。網膜は目に見えるもの(色)緻密な物体だと認識する。光を反射するのは原子全体からみてほんのわずかな素粒子なのに。その意味で、この世の一切は空なのだとする解釈も正しい。
71
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/08/25 23:46
「いとしい夫であるいざなぎよ、こんなことをするのなら、あなたの国の人たちを毎日千人しめ殺してやる!」
「愛しい妻よ、おまえがそうするなら、わたしは毎日千五百人の子どもが産まれるように産屋を立てよう!」
そう黄泉の国の帰りにいざなぎ・いざなみのお二方は話されました。
神代には濃密であっても今は希薄かもしれない魂。ひとつがふたつになりみつがよっつに。輪廻のたびに薄まる一方…? 大昔はふとした病気で死ぬのは当たり前、食物は随分まずしく冬に寒いは当たり前だった。その現代人から見て生きるだけでも修行になっているという人生の輪廻で最終的な高みに至っているのが現在の氏神の霊性かもしれない。霊性を退行させる働きをする苦労を誇り実績を掲げるという感覚はいにしえの世界には生じえない。
古代より現代へ進むにつれ、どんどん悟りから遠くなっていく。平均寿命が高くなるのはいいが生きることに苦労しなくなるので、平均霊性は伸びにくくなる。ウナギが神の使いとして保護されていたとしてもおいしいから喰う。それを批判するのはまた馬鹿げたことになるけど、自然の秩序、神性の秩序を亂せば自然災害に見舞われ、自然災害なら見えるからよいが手厚い守護まで減らし拡大した黄泉からの影響力も増して心は寂寞となり行いも亂されるそんな風水的諸現象はそのうち物理学世界でも検証されるたしかなことなので、考えにいれておく必要はあると思う。
今や霊性を向上させようなどという意識はほとんど思いもつかないことだが、秩序を亂してしまい石戸を開けられ浮遊するようになったものどもを(それは都市化の必然で致し方ないことなので)われわれはそれらを癒すとか光明にもっていくぐらいのモチベーションで祝詞やお経を唱えるなり禪なりヨガなりよりよく反省する生き方をするなどの必要があるんじゃなからうか。
72
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/01 00:06
祝詞で変えられるものはありとぞ大風呂敷ひろげてあまりに多くを変えようと望まないこと。泣く子が一たび泣くたびになだめる一唱の子守唄のような一貫の祝詞。そのようにして地道に緻密に形成されていくこころとからだ。
73
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/07 02:31
キリストと釈迦の共通するところは共に虚無ではないブラフマン格の実体のないものを知っているところ。
共通してないのはキリストは初めから神として生まれてきたと定義されているので釈迦のようには凡夫の思考がわからないところ。
昨日、秋篠宮妃紀子さまが男のお子さまを出産された。
男の子が産まれてほんとよかった〜。
心底よかったのだけど問題はこの精神(これは絶對精神ではないが)を冒涜されたときの対策になる。キリストなら初めから神なので地獄に堕ちることを教える。釈迦ならその次元の低いしがらみから早く脱することを教える。
74
名前:
林浩司
2006/09/08 00:13
お寺の修行とはどんなものなのでしょうか ?
そして、それにどんな意味があるのか教えてください。
一休さんとかでみるお寺の修行というのは、座禅を組んだり、巻き割をしたり、掃除をしたり、お経を唱えたりみたいですが、どんな意味ががるのでしょうか ? 何かの本では右脳教育みたいなことが書いておりました。
お寺の修行は日常では出来ません。それで、もし出来るのならば、「反復」と言っておりました。それを言った人は、みなさまもご存知と思いますが、三浦道明と言うお坊さんです。この反復は、滝で煩悩を払うような効果があるかもしれません。
比叡山の修行で千日回峰行といものがあるらしいですが、千日で4万Kmくらい歩く荒行で50年にひとりほどやり遂げる者がいるそうです。これも、煩悩を取り払う「反復」といものかもしれません。ボクは一時期毎日15Kmくらい歩いて実戦したことがありました。
ボクはお坊さんになりたいとまでは思いませんが、いつか悟りを開いてみたいと思っています。お寺の修行はどんなものがあり、その意味を教えてください。
75
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/09/09 00:57
出家したことがないから修行内容はわからないです。お寺に聞いてください。お寺それぞれです。勉強会や坐禅会や修養会というのがたいてい日曜日にはあります。写経会や読経会など。プチ修行でもやったぶんだけ価値があります。産土の神社に参詣しつづけるのも大切ですね。
目的は、霊性を浄化・成長させることに尽きます。毎日やれることは家の仏壇と神棚をちゃんと祀ることなどがあります。お経は、お寺に通うことにしてからでもいいと思います。唱える意味を求めるのであれば、そこの坊さんに聞いてください。
http://www.shinran.ne.jp/nihongo/page1.html
悟りには52の段階があるみたいです。
いつかは高いものを悟れたらいいですね。中性的な人のほうが宗教的な才能がある傾向があるようです。それは絶對精神にかかわるもの・・・すなわち音樂や哲学にも言えることだけど。
76
名前:
ウダーナヴァルガ
2006/10/14 09:46
* 他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかしこの人も自分の過失は隠してしまう。――狡猾な賭博師が不利な骰子の目をかくしてしまうように。
* 他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する。かれは実に真理を見ることから遠く隔たっている。
* 恥を知らず、烏の首魁のようにがやがや叫び、厚かましく、図々しい人は、生活し易い。この世では、心が汚れたまま生きて行く。(
粘着
)
* 恥を知り、常に清きをもとめ、よく仕事に専念していて、つつしみ深く、真理を見て、清く暮す人は、生活し難い。(
人境不倶奪
)
* この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわり)を見分ける人は稀である。網から脱された鳥のように、天に至って楽しむ人は少ない。
* この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。(かれらには)無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しない。
* 人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりを或る人々は知らない。実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとは見なさない。
* ところがこれを、人々が執着しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、「われが為す」という観念に害されることもないし、「他人が為す」という観念に害されることもないであろう。
* この世の中の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。惡しき見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。
77
名前:
ウダーナヴァルガ
2006/10/14 09:44
* すでに得たものと、これから得られるはずのものと――この二つは塵ほこりであり、病いであると知って、心を安定統一した智者は、それを捨てよ。
* 世の中は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ。身体をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。
* つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。愚者たちはそこに迷うが、明らかに知る人々はそれに執着しない。
* つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。愚者たちはそこに耽溺する。――老いた牛はそれに対する執着を離れる。
78
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/14 16:37
[URL]
女蛇に抱きつかれているネパールの仏像。抱き合っている。解釈するに、女蛇でも愛で返してやらねばその心は満足しないから。愛情に飢えるので人を求め、枯渇しているので人を条件反射で燬損し冒涜する。はじめはそれに応戦していても、やがてはより巨大化した蛇となり、一層ダラダラした寄生虫と化す。むこうにも一理ある。悟りからは離れる論理にそれ以上埋没させるわけにはいかないので、その存在を認め、愛で応じることにしたのだ。仏陀の望みは蛇を陀にすることなので。
79
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/14 17:42
「釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり」(親鸞聖人・高僧和讚)
自力や勘案の働きを失わせてからの仏教
80
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/10/15 12:10
「帰依」というものの本質は、盲信とか服従する意思による行爲ではなく、
盲信とか服従を含む自力の働きを徹底して消し去る態度のうちにある
* この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この身体は泡沫のようにはかないものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この世界は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
* この世界は泡沫のようにはかないものだと知って、この心を城のように安立させて、明らかな智慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着するな。
原始仏教も浄土宗も通底している。臨済も親鸞も。
81
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/10 22:30
愛や慈悲を信じられない割りに煩悩と感情は信じていて、善性の在り處を追求する割には存在は芥であることは肯定する。それすらも無なのだから、無でいいのではないのか?。というかそれ以前に、愛や慈悲の在り處を求めるわりに、芥であることは在り處があるというのは既に自己矛盾。
神を否定し宗教を否定することは肯定になる。科学を宗教とするのは、言葉に在り處がないから。イデアは形而上にしかない。少年合唱団の声質がどれほど美しく、少年自体はいらずともその声だけが欲しいと思ってみても、それを手に入れることはできない。空気振動を止めることができれば手の中には入るかもしれないが。
82
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/10 22:56
低振幅なレスならいらない。
83
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/18 20:44
世の中には霰見される甘さがある。
たとえば神道はぜんぜん煩悩を肯定していない。物語(ミュートス)だからそういう解釈も生まれるんだろうが要するに、そのまんまというもの(理想でない現実)(肯定も否定もない)。言葉で考える、理論を面白がる、ってものでもない。
84
名前:
そのまんま縄文杉
2006/11/14 22:20
理想のない現実とは、人間臭くないということ。
縄文杉をみて人は教訓や理想を描いたり感動を述べるかもしれない。でも縄文杉は縄文杉。神は神。
縄文杉というのは樹齢7200年(推定)で相当でかいが、案外形状はほかのやつに比べたら普通で、(エヴァンゲリオンみたいなのは生えているが) 長生きするには、普通に成長するのがよいのだとか、大木も年輪の積み重ねとか、島の主は最も晉遍的なものだったとか、いろいろ思うけど、見たことのない人に表現するのは不可能だから、縄文杉は縄文杉
語りえぬものについては沈黙しているのが神道の姿勢。これは仏教でもキリスト教でももちろんそうだが、人間学になっている分だけ、語る傾向と布教する傾向はある。
85
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/14 22:55
仏教は人間の善でキリスト教は万軍の主で神道は自然の美。日本のカミは日本で発生して日本に住むことにしたから日本のカミなのかな。あるいはもっと起源を辿ると四季のあるこの理想的な孤島を天津神は日本として選んでここに素朴で清澄なカミが集まっていたのかもしれない。
ε=ε=ε=ε=ε=(o・゚∀゚・)o ブーン
86
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/14 23:07
古神道に日本雛形の文書がある
87
名前:
林浩司♂
2006/11/18 18:10
俺の悟りとは
精神を統一し、心身ともにきれいに、おだやかにすることだ。
そうすることで、客観的に自分が見ることが出来、足元がしっかりしてくる。
その修行法とは!?
一、瞑想する
一、ポジティブに心を持っていく
一、自分の懺悔をする
一、きれいにした心で、おだやかに掃除、洗濯をする
一、願望を唱える(5分くらい)
一、ゆったりとお風呂に入る。
体をよく洗う
お風呂によくつかる
お風呂に使ってる時に、自分の願望を唱える。
俺は自己流のこの修行法は、懺悔する事で、自分を客観的に見ることができる。ポジティブの心も大切だが、ネガティブな心も、自分の足元を見定めるためには必要なのだ。
天上天下唯我独尊
つまり、この世に自分は一人しかいず、その自分を限りなく愛してやる事。そして、自分の欠点も限りなく愛してやる事。欠点は人と比較して出るものだ。そう、煩悩を全て打ち消すことが出来たとき、悟りが開かれる。
88
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/11/20 01:06
今日の煩悩を明日に持ち越さないためにも
懺悔するのはたいせつだね
89
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/01/26 20:21
とくに眠くない変な時間に寢ると、その間にはかなりの確率で金縛りにあう。でも今回は霊的だった。般若心経を唱える少しこわい僧侶の二人か三人に助けられた。彼らも唱えていた。その般若心経はアテンポで、僕自身はあんまり仏閣の般若心経は聴いたことないはずだけど、普遍的にある唱え方だった。助けに来てくれているということはわかった。次に警察が現行犯を捕まえるときのように頭を抱えられて、僕は体内にいるものを捕まえていることをわかっているのだけど、その僧侶は本当に大丈夫なのかは疑っていた。不浄行者の類いもいるし。でも手からくる氣が、仏閣独特の清々しいやつだったので信頼して、どこで覚わったのか知らないが、思い切って顔から憑き物を放出した。すごいすっきりした。同化しているものだったのですごい苦しかったけど。離れる間顔は厭に熱かったし。でも僕自身は幽体離脱せずに、そのまま肉体のままの自我であった。それだけが連れられていった。成長してから戻っておいでと言っておいた。起きるとテレビで世界遺産がやっていたので観に行った。
90
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/10 02:28
どれほど有無の議論をしてみても、魂は半永久的だと思える。
その魂が集まる磁場に縁があるから。
だからこそ、神の前に人は平等なのだね。
自分だけ出し抜けようとしても引っ張られる。
まるでコップの水に飴玉を入れて一日置いておけば、完全に平均化するみたいに。
91
名前:
ナナシンクロニシティ
2006/12/10 02:55
ただし上のほうが透明で下のほうは濁っている
92
名前:
肉体精神力の即効性⌒
2007/01/25 22:09
たとえばある寺があって、宗主から三代目までは最高のレベルを保っていた。ちゃんとした浄土真宗の寺である。でも四代目の人が自殺し、それから末代17代まで忌まわしいものに憑かれていた。檀家の人は霊障を被る。でもそこでわいてくる疑問は、なぜ三代目までの人は力があるのに後代を救わないのだろう。夢と現実ぐらいの時間差のうちに、普通に待ったままでいて「他力本願で上がってこい」と教唆したまままだ這い上がってなかったとか。または自分まで一緒にそこに堕ちては寺がもう成り立たないというのもあったのかもしれない。でも合理的にはたぶん人が病氣やノイローゼに陥り、そこから復歸する力が威力になるからだろう。それもまた人自身の成長にもなる。
なんであれ、人は地獄に不淨と共に堕ちてもすぐに這い上がれる。下痢になってもすぐに元通りになる。その繰り返しの慣性、筋トレの超回復のようなものに乗じて快癒してゆくのは、思っているよりすばらしいことである。それを阿弥陀の力といって尊ばれているかもしれない。(その寺は、能力のある人が一代一代供養したので万事解決。3か月たらずで救われることになった方の視点で見れば、それを縁というのかもしれない。)
93
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/24 09:54
霊は起きているわけでも眠っているわけでもない状態でいられると思う。殺氣立った御霊を鎮魂で眠っている状態にすれば快癒すると思うけど、普段寢ているものをいきなり呼び起こすと人間の生体と同じく、あまり気分はよくないと思う。だから般若心経や六根清淨の前半のような、状態を詠むのだと思う。
94
名前:
ナナシンクロニシティ⌒
2007/01/25 22:09
もずくスープとかみそ汁を飲んで「おいしい」という感覚は、
幸せな御霊の供養にもなってるだろうな。
ささいな幸せも、思っているよりはすばらしいこと。
95
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/02/06 00:19
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96
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/17 22:59
ストア派ではヌースはロゴスに含まれるらしい
その考えはわかった。じっさいにあるイデアは
真理、論理、言葉であるから。ロゴスはヌース
の役割もあるという発見がちょっといいかんじ
97
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/04/18 21:54
泣いたぶんだけ成長できる
最近の子はあまり泣かない
進化している証拠だろうか
基準が低まったのだろうか
98
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/05/16 00:46
山は噴火するのに
99
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/05/29 00:16
愛により固成し
憎しみにより霰亂す
偉大なシステムを爲すには
合理点が優れていなければならない
反發状態であれば素直にシステムを作り替える
その繰り返しが成長といえる
100
名前:
ナナシンクロニシティ
2007/06/09 00:31
勝負亊の世界では
憎んだほうが負ける
負けるほうが勝つ
101
名前:
林浩司♂
2008/07/23 22:18
勝負事は頭を使った方が勝つ。
負けるのに慣れているのは頭が麻薬に侵されたのと同じ。
ワルの鉄則やね。
102
名前:
ナナシンクロニシティ
2008/10/19 14:11
社会は大変だ
何故かいつの間にか上に立っている人間を
落とそうとしているゆえに落ちてくるわけだが
何故かいつの間にか上に立っていると思われて
落とそうとしてくるゆえ落ちてしまう
いつの間にか上に立っているそいつを再度落と(ry
103
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/01/22 00:58
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104
名前:
無功徳の徳
2009/01/21 20:03
徳を積むに徳積みするという意識、修行をするに霊性を上げようとする目的があってはならない理由それは…たとへば見とれて誰かを好きになるときたいていその人はその姿しぐさの特定の者に放つ美しさには気付いていない。自己の美質に気付いていない人の美質のほうが自然に溢れかえるし気付いてしまえば醜い美質に成り下がるからである…また人のためにと思うてやっても、根本的にズレていれば効果は薄い。たいがいズレている。
105
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/01/24 17:36
仕事も恋愛も自分の思うとおりには事は運ばれない。
ただ一心に余念なく事に励めば想定外に良い運びになるもの。
それを大切にする。
106
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/08 16:15
維摩一黙
107
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/21 19:15
自然界の中に霊界がある・・・
自然界そのものが自然であれば
霊界そのものは神であり自然である
108
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/02/22 15:05
僕が寂しがっていたら
猫が雀をつかまえてきて
しばらくそれで遊んだあと
ふとんの横に置いてくれた
僕はそれをどうすることもできないけど
絵になるから素敵である
やっぱり失恋したかな
109
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/03/27 23:11
精子はあれだけ小さくても動いている
卵子と合わさると母の胎内で大きくなる
魂は育まれる
魂は受精した瞬間に宿るものでも
へその緒が切れた瞬間に宿るものでもない
110
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/04/03 13:47
食糧に満たされケミカルの医療は浸透し
最近は人が簡単には死ななくなってきているから
― 死んでもいい奴まで生き残り
― 生きるべき人間が生きにくい世の中になってきている
犯罪も低級化し昔の人には考えられないような精神構造になっている
命が尊ばれない
理不尽かもしれないが、劣性遺伝子は本来残すべきではないのだよ
ヒルコと同じく舟に乗せて、海のむこう遥か彼方へ流すほうがよいのだよ
この地上を護るために
111
名前:
ナナシンクロニシティ
2009/04/11 08:10
実のところ誰もその人に 遵ってはいないだろうな と思える偉い人がいる
部下はみな従うが、それは聞かざるを得ないからである しぶしぶと
―
自分で思っているほど 自分は尊敬されていない
― 肝に銘じるべき
ブッダには数多くの賢者が遵うのに、錯覚した人は歳老いるごとに離れる
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