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さとりのしょ
511 名前:ナナシンクロニシティ 2018/03/30 00:30    
なにか才能に溢れていたり、容姿が美しかったり、多くの美徳を持ち合わせていたり、運動神経が優れていたりする人が、悦に入ったり、期待通りに謙遜をしていなかったりすると、社会性の優れたる凡庸な宗教の信者は、その時点で、その優れた資性を備えたその人物よりも無条件で上に立ってしまう。それが宗教の危ういところである。オーディオでもどの理論を最優先するのかで出てくる音が変わる。撚り線が優れているか単線が優れているか、その決定はどの現象を大きく見たかによる。宗教では稲穂のように頭を下げない時点で(それがその人の世界を損ねない最も大きな部分だから)、その人は現実がまだ見えていない人、さらには態度によっては魔に憑かれた人間だとされる。自分を磨くことも断食もせず、「自分が」信仰する団体のために奉仕をして自分を犠牲にする事が出来ると思ってる。その宗教に従わないとあの人は「まだ至っていないから」と成す。でも現実はどうだろう。その人のほうが、たとえ謙遜をしていなくとも、あらゆる側面で自分より勝れてはいないだろうか。哲学も感性も(あってはならない事だが「人格」も) 磨かれていないだろうか。宗教ではなく勉学やスポーツや芸術を通して。

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