■掲示板に戻る■ 検索 全部 1- 101- 201- 301- 401- 501- 最新50
さとりのしょ
512 名前:ナナシンクロニシティ 2018/03/30 19:09    
友達同志は違う。
友達の場合は『口にもろもろの穢れを言ひて心にもろもろの穢れを言わず』。友達は友達か否かの決定権は心にある。相手を論っていても心では悪く論っていないことを分かりあっている間柄が友達。
同志の場合は友達とは反対に『心にもろもろの穢れを言ひて口にもろもろの穢れを言わず』の間柄。
なんでそんな定義をしたかというとお寺の同志会がそんな具合だから。心に何を思っていても口にさえ出さなければよい。映画の制作とかイベントとか環境問題とか信仰とか、根深いところで共有するものがあれば成り立つ。仕事場でも同じ。先輩は「なにかカチンとくることを言われても相手の言うことに一理あるのなら『はい』と言って流しておけばいい。男でも女でも気の強い人は言い返すけどカッとして言い返しても仕事の流れに支障が出てくるし、首切られるし、いいことない」「心では『コイツ!』と思っていても表では合わせておけばよい」と言っていた。まさに同志会だ。宗教の付き合いも仕事の付き合いも似ている。環境問題に関してなら、たとえそれが営業文句や政治的な行動であっても、その人や企業が実際それをいかに実践するのかを考えて経費削減でプリント用紙をケチらせて毎日きっちりゴミを分別しているのなら、まぁいいや。となる。環境保全活動は絶対量の問題。そう合理的に割り切る。
その人が友達で同志なら親友になるけどそんな人は数少ない。親友が多い人はたぶん一般的で平均的な観念の持ち主だろう。師匠が言うには宗教団体は拡大路線に走ると霊性が落ちるらしい。同調圧力が増すし、その人が幸せになるかどうかは関係がない (こちらの思い描く通りに信仰さえしていればよい) し、親友の集まりにはならないからだろう。友だちの数も同志の数も多いとしても知り合い全体の2割には満たない。掛け合わせて親友など4%にも満たない。せいぜい2%ぐらいだろう。それほど親友は得がたいのだから同志の定義はこれでいいと思う。『意にもろもろの穢れを思わず心にもろもろの穢れを思う』。神様仏様のことは崇敬してるけど同志である信者の事は好きではないから。好きだとしても、その人が自分と同じ神仏を崇敬してるからであって、その人自身の事が好きではないから。もし友達ならば、その人がその神仏の崇敬をやめても連動して無関心にはならない。

288/1000k

名前: 〔空欄〕:
メッセージ:


投稿する前に
Ctrl+A→
Ctrl+Cしておく
〔空欄〕:
 sagestay等幅画像投稿パスワード:

- Flash CGI/Mini Thread Version 3.31β -