■掲示板に戻る■ 検索 全部 1- 101- 201- 301- 401- 501- 最新50
さとりのしょ
1 名前:ナナシンクロニシティ 2004/12/09 21:49
今日の小さな悟りを書くスレです
どんどん積み重ねていきましょう
1000まで行ったらダーマの神殿でご希望の職に転職することができます

453 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/13 23:08
「しない善よりする偽善」なのか本当に?
偽善は、それが本質的な偽善者が行為する場合、その場限りの体のいいもの。最大多数の最大幸福など願ってはいない。偽善者は余所で別の人を常に不幸にしている。善い行為をされた人間も、付き合いを重ねるうちに「タダより高いものは無い」と泣き寝入る結末に。偽善者は向社会的共鳴;ミラーリング衝動を遺伝的に持ち合わせていない。自己愛性パーソナリティ障害の人は自己愛性の欲望を満たすためにそれをやる。
「しない善よりする偽善」は調べると2ちゃんねるが発祥の新しい諺だった。そういう事するのは偽善ではないかと煽られたことにたいする偽悪的な返しだから良い印象があるけど、偽善者がこの諺を使うと全く意味合いは異なってくる。まぁ偽善者は自己愛性の問題にひっかかって、なかなかこの諺をスムーズには使えないとは思うけど。

454 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/13 22:34
148000円の洗濯機を六年弱使った。年間27000円。あと1年長持ちさせれば22000円得したことになる。あと2年使えば38600円。

455 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/19 23:21
仏縁は本堂の中が最も強く、外の拝殿はそれよりは弱く、境内は護られているが、山門から外に出るとほとんどなくなる。本堂は大祭の時が最も強い。だからそこに入れないと仏性には染まりにくい。

456 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/19 23:30
演歌のこぶしを効かせたようなお経を唱える人がいるけれど神や仏と一体になれるんだろうか。そのトーンが下品でなければよいが。お経を唱えることとなった当初の動機に問題があるように思える。本気で唱えてるならともかく、妙に声が聴こえてくる人のお経には自己主張が感じられることがある。仏様と一体になることをせず自分を主張している。

457 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/20 01:37
自分は仏様のことや信仰のことが解っていると思い他人に教えたがる人がいるけど本堂で仏様に感応しないのなら何も解っていないと思う。解っているのならなんで本堂にお参りしないのだろう。

458 名前:ナナシンクロニシティ 2016/04/29 21:21
人間の欲望が自然を破壊したのだから
自然のない土地が美しくないのは当然だね

工場は物欲なしには成り立たない

459 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 15:57
「伊勢神宮の本殿では『願掛け』をしてはいけない」

という教えがあるが、愛知学院大学国文科の教授の本(名前忘れた)によると、伊勢神宮の神主さんはその教えが流行している事を存じてはいるけれど、迷信・俗信の類いのようだ。願掛けしてもいいですよ、との事。この教授がなぜそのような教えが流行っているか追跡してみると熱心な信仰者のブロガーがそのように書いているからのようだ。迷惑な話である。そういう人らに限ってその信仰を自己中心的なものだと自覚する事がない。器が足りてない。もちろん御利益信仰に留まっていてはだめなんだろうが、禁じられているわけではない。批判される筋合いもない。そもそもそれはお前ではなく、天照大御神様が決めることだろうと。
この前伊勢神宮に行った時、車酔いをして気持ち悪く、本殿では苦しみから逃れるような願掛けになってしまっていたようで、お腹辺りが癒された。無意識が通じてしまう。せっかくの御稜威をそんなところに使ってしまった。まぁ、神社仏閣には歩いて行ったほうがよいということだな。スマホは身体に悪いと。伊勢神宮には車酔いを治すために行ったようなものだけど天照大御神様のご加護が本当にありがたかった。それだけでいい。
「神社仏閣に行くと、知らず知らずのうちに願をかけている」と教唆する人の中には蛇に憑かれているような人もいる。お前は知らず知らずのうちに願をかけているのだよ、と。念を押してくる。願をかけてお礼参りしなかった時の因縁はすごいようだ。そうして他の神社仏閣に行かないようにさせ、自分の宗教に囲い込んで支配する。相手を追い詰める事は興奮する事である。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=876862105759134&id=100003060589362

460 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 16:31
宗教の熱烈な信者に有馬君は「自由業」だからと笑われた。自由業=無宗教で教養なくタブーも束縛もなく自由に身勝手に生きている身分、といった感覚か。その人は他人に自由意志がある事が気に入らない。自己愛性パーソナリティ障害というのもあるが、宗教を信じている事を何度も人生経験で否定されるとそうなる。世界の宗教を統一する協会でもそうだった。拡大路線を狙っている宗教団体には特にそういうのが多い。僕もよく弟が旅行に行く際にお守りを持つを勧めるなどしてやんわりと断られる経験をする。お守りぐらい持っていけばいいのに、と思うが、そういうものに囚われたくないから持っていかないのだろう。相手にとってはマイナスな事が多い。お守りのプラス以上に、マイナスになっている。そう思えば諦めがつくけど、自分の宗教や価値観は絶対的だと固定化していると人の自由意志が気に入らない風になる。

補足; 人に自由意志はあるらしい。リベットという学者によると準備電位と意識的決定のはざまにある。決定論的な意味でなくとも人に権利の自由がある。サイコパスが宗教の信者になると決定論をゴリ押しする。

461 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 17:03
なぜ旅にお守りなんて持っていこうとするか、というと、導かれるから。僕はAmazonや価格コムで買い物をする際にも「抑止」が入る。でも物欲に負けて強行突破すると後で後悔する事が多い。高級家電では数週間迷ったりする事が多いけど、キタこれ!という時、その選択は正しい。物欲に負けて衝動買いでも良い。元来ご縁になってるから決定論的にキタコレなのだ。(抑止が入るときは他の人のご縁を奪ってしまうとか保管状況が悪いとかなにかしらあるんだろう)。
旅行でも同じだ。ご守護があれば変なものに引っ張られる強度が減ると思う。また、ご縁のところに心が引っぱられる頻度も増えると思う。

462 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 17:06
「しない善よりする偽善」なのか本当に?
偽善は、それが本質的な偽善者が行為する場合、その場限りの体のいいもの。最大多数の最大幸福など願ってはいない。偽善者は余所で別の人を常に不幸にしている。善い行為をされた人間も、付き合いを重ねるうちに「タダより高いものは無い」と泣き寝入る結末に。カラパイアによると偽善者は向社会的共鳴;ミラーリング衝動を器質的に持ち合わせていないようだ。自己愛性パーソナリティ障害の人は自己愛性の欲望を満たすためにそれをやる。
「しない善よりする偽善」は調べると2ちゃんねるが発祥の新しい諺だった。そういう事するのは偽善ではないかと煽られたことにたいする偽悪的な返しだから良い印象があるけど、偽善者がこの諺を使うと全く意味合いは異なってくる。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=864325777012767&id=100003060589362

463 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 17:08
事実か願望か。
統一教会の霊の母(面倒見の人)は僕が少年愛者だと言うと、自我を保てなくなったり、教義が成り立たなくなるから『サタンに誑かされている』と判断した。統一協会では、自分に騙されている人に騙される経験が出来た。
事実ならすんなりと心に入ってくる。その後に縁が出来た神道の先生の場合、神様におうかがいを立てた内容はすごくすんなりと入ってくる。(自己愛性パーソナリティ障害のアスペルガーの人は障害の表れ方が素直で、都合の悪い事を指摘すると、事実がすんなりと入ってくる前に別の話題に移行する。でもそれが 事 実 じ ゃ な い 場 合 は 移 行 し な い)。
一方、宗教の信者の『霊的な真理』は入ってこない。それは願望だから。その人の現実とか相手の心に沿っていないから入ってこないんだろう。
「有馬くんの家系図を見てすごく重大な霊的真理がわかったの」と言われた。その後すぐに辞めたからどんなすごい重大な霊的真理か聞きそびれたけど、いつものように宗教の信者には都合の良い内容だったと思う。都合の悪い内容はすぐさま脳外に押しやられて伝えられない構造を宿してる。(彼女の心にとっては正直な有様だと思う。正直に素直に都合の悪いサタンを脳外に押しやっている)。
神道の先生は神様におうかがいを立てて聞いた内容を、その人にとって有益に働くか無益に働くかで伝えるかどうかを取捨している。 宗教の信者は自分にとって有益(統一教会を信じてくれるか、取り込む事が出来るか)か否かで伝える内容を取捨していた。(もちろん『あなたのため』を想ってやっている)。

噂話は楽しい。事実ではないから。
現実は本当につまらないものである。
噂話の相手はみんなで結託してエタヒニンだったのに。
知能指数に大差がない。平均的な範囲におさまってしまう。

464 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 16:02
宗教団体は、自分達の宗教以外に救われる道はないと思い始めると話が変わってくる。自分達に都合の良い人が「素直」になる。リーダーからお願いされたことにたいして「はい!」と答えないとその人は我を持っている事にされる。従わなければ自ら道を閉ざす事になるとしたら、やがて世界中の人が信者にならなくては成り立たなくなってしまう。「うちの宗教は全宗教を統一するの、全宗教を統一し終えたらうちの宗教団体は無くなるのよ、だからよくある『宗教団体のための宗教団体』ではないの」。その支配欲と排他性はどこから来てるのだろう。
自分が良いことを勧めて相手が聞かないと信仰の強度に比例してどんどんフラストレーションが吹き溜まってゆくのは誰でも同じだが (そもそもなにかを勧められてストレスにならない人はいない)(また逆に他人をコントロールする願望の強い人ほど怒りやすいらしい)、宗教団体はそこで完結した世界が出来上がっているから、素直に従わない人物は裏切り者のユダになりやすい。教えが絶対的に正しい。人の自由意志に我慢ならない (そういった側面に付け込む信者もいる)。普通、相手にとってお節介とかマイナスになっているのなら考え直すべきところ、循環論形式で完結した世界が幸福のすべてになっていると、それ以外の選択肢はなくなる。離れていった人は皆、中途半端な奉仕になった事を後悔しているのである。仕事が続かない。離婚をしている。そのような願望については、教えや同じ方向を向いている仲間によって正当化されているから修正が効かない。宗教をやる人は人間に興味がある。面白くて笑いの止まらない噂話やそれらしい人物批評、予測の誘導を疑えるような洞見や精神力を持つ人は信者の中にはいないだろう。根回しされていても気づく気配がない。急に態度が変わる。噂の当事者には「あぁそういう風に持っていかれてるんだ」と間接的にわかってくるものだが。… 奉仕が絶対量の問題ではないのなら、初めから関わらないほうが良かったことになる。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=876819475763397&id=100003060589362

環境問題と同じで、奉仕は絶対量の問題。その物理原則を壊すのは人間の観念。「ある一つの事が出来ないと、すべての事はパーになってしまうの」。どこの宗教団体でもそう言う。ある一つの事が出来なくてもそれ以外のことが出来たのなら、それに応じた果報がある、と考えるのが普通だけど、そう言ってしまうとその人は留まってくれない不安がある。環境問題で考えるのなら、ある一つの事が出来なくて地球が滅んでしまったら、たしかに地球を守るという大局的な目的はパーになっている。でもやった分だけの果報はある。たとえば少しでも農薬を撒かなかったのなら、その土壌の細菌類や虫などは、その分苦しまないで済んでいる。

宗教団体を離れると不幸になる。神様仏様が罰を与えないのなら、信者の生き霊が原因だろう。「メシアをお証しされた人は、ルシファーにずっと狙われる事になるの」。いやいや、あなたがたにずっと狙われる事になるんですよ。なにか怪我したり身の上に不幸が起きたとき「火の神様にご無礼があったから」とお話する講師様は、本当に純粋だなと思うけど、それに向かって感動的な振る舞いでスタンドアップして大きな拍手を延々と手向ける人は怪しい。多数論証で事実にしたいのだろう。そのような講師様のような考え方をしていない人が奉仕を欠席すると、ご本尊に向かって「あの方は○○様のご意思とは関わりのない、自・分・の・世・界・を! 生きているみたいです」などと念じられる。身の修養を為されていないと物事を正しく見ることが出来ないと教祖様も言ってみえる。あの方は、奉 仕 を し て い な い か ら そのような見え方になるのである。

三班の班長の○○様は総合責任者になりました。お願い申し上げます。とモラハラの信者からは毎回遠回しの誘いが来る。僕が班長にならなければ会が成り立たないようだ。モラハラはパワハラと違い、隠蔽により成り立つので、常に間接的な陥穽が設けられる(相手の被害妄想により成り立つように出来ている)。その習慣・習性により、そのような誘い方になるのだろう。また何故かその人と同じ班になっている。「有馬君のことは私が面倒を見ます」。宗教団体やボランティア団体はモラルハラスメントの温床になりやすい。作為的に班を決めたらいけない。常に身近にいる。その会に出れば毎回いやらしい事を言われる。僕が作業している近辺で大きな事件が起こる。

前回参加した時は、僕が掃除をした側溝の蓋に躓いて佐藤様が「大怪我を」しそうになった。モラハラがなにか騒いでいるので「誰か怪我をしそうになったのですか?」と佐藤様に聞いたら「いや?」と答えていたが。側溝の蓋は老朽化でグラついている。その側溝の蓋の方に「僕はもう歩けないんです((笑))」と人を誘導してゴミ袋を運ばせていたから違和感を感じていたのだが、そういう事だった。その「おおごとになる所だった」事件は後で管長様に反省会の時に伝えられている。

誘いを断ると豹変する。舞踊部総会の司会を断れば裏で勝手に「地区の幹事」に登録されている。そういう事をさせたい。本人に許可なく勝手に名前があがる事例にたいし「え!?私もですよ」。職場のロッカーから財布のお金を引き抜いている人も同じ盗難被害に遭っていた。「びっくりしましたよ」。自己保存の欲求が入ると策の練り方も高度化する。「マグネットを付けたまま塗装に廻さないで下さいね」「塗装の人間にパクられるから」「今年に入ってから多いから一応注意している」。冤罪で犯罪者に仕立て上げられている人が犯罪者然としてくるのが不思議であった。かといって誘いを社交辞令でやんわりと断れば「はい、そういう事に興味があると言ってみえました」。

465 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 15:56
主に人は、目に映るものをバッシングしている。バントを失敗した人、継投ミス、決勝点を与えるエラーをした人 etc..。また、糾弾癖の強い人はそれらしい噂に流されてバッシングする。本人には確認していない。そこを通り抜けている。異分子を排他すれば昔から自我が心地よいからそういう対象を無意識に求めているのかもしれない。社会性が高く、コミュニケーション能力が高いがそれ以外にはなんら本質的な才能 (数学、音楽、哲学、恋愛、慈悲、霊感、運動能力等) を持ち合わせていない人に多い。糾弾する事で満足した豚になってる事の因果だろう(その悪習は麻薬と同じで抜け出せない)。
結託する人の『真理』はいつも間違えている。本人が否定していても、裏が取れなくても、集団心理で出来上がった初めての真理はインプリントイメージと同じで覆らない。―(つまらないのかもしれない。たとえば6年前、鶴舞のメンタルクリニックの医師に自分はアスペルガーかどうか聞いてみたけど「可能性はほぼゼロ」と回答。そう言われている気がしたから聞いてみたんだが。「もちろん完全な脳みそというのは存在しておらず、脳の僅かの一部分にそういう要素がある場合はあるけど」。アスペルガーの人にはオウム返しが目立つらしい。話を理解できず、分かっているふりをするため。僕は三段跳びで答えている。カウンセラーの女の人も「知能測定の結果を見る限りではアスペルガーではないですよ」と言っていた。アスペルガーは各測定項目に凹凸が目立つらしい。しかしこの僕がアスペルガーじゃなかったなんて。噂話は楽しく義憤に満ち溢れているのに、現実は本当につまらないものなのかもしれない)―。世の中にはパラドクシカルなことが多い。結託するほど実在するもの(現実)には感応しなくなる。目に見えない素粒子の有り様に合致していない。
そのように仕事でもボランティアでも目に見える人の段取りの悪さや落ち度を糾弾し、非現実的でどうでもいいような人工的な決まり事が増やされてゆく(修行とか好意なら別だが)。また、そういうモラハラの段取りもある。その場では善い人も、対象を見つけた瞬間から発想が変わってくるのがわかる。
世の中の常識とかルールは一部の人のメンタルに都合の良いものが多い。部品メーカーも一つの不良が流出したとき、原因がわかり「ここからここまでロットを調べればいい」と言っても取引先によっては「だめです、全部廃棄してください」と言われる事があるらしい。どうせ「廃棄してください(キリッ」なんだろう。 環 境 問 題 は ? そういう体質になる人は厳しい世界を生きてきたのかもしれない。始末書を書かせることで何かを埋め合わせているんだなと感じることがある。ドタバタして恭しく申し訳なさそうに応対すれば相手は興奮冷めやらない事だろう (女性がリーダーの職場だとそういう状況に陥りやすい。朝の朝礼で「みんな聞いてください。昨日…、連絡がありました。…。また不良が流出しました。前回始末書を書かされて、今回こそはノーミスで…、と思ったのに…、最後の最後で……ガックリ…」とかやってる。ヤンキーとか外人しかいない工場だと締め上げなくてはならないのかもしれないが。ラインでミスをした人がいたら注目させる。「みなさん一旦手を止めてくださーい!今ここでビス浮きが発生しました!!」とかやっている。そういう風にして輪廻してゆく。同じように派遣で入っても大企業の工場ではそういうのが一切ないのはナンデダロ。この世に本当に必要な始末書なんてほんの僅かなんだと思う。取引先の従業員のメンタルさえ健全であれば健全な品物が出来上がるとは発想に無い)。
世の中は自分だけのものではない。70億人いれば70億とおりの生きている世界がある。今この瞬間でも同じ。仮にアカシックレコードとか何処かの領域で全ては繋がっているとしても、本当に他人は生きている。脳髄を入れ替えても感覚的には自分の身体が別の人の物に変わるだけである。そんな現実を理解するのは苦痛なことかもしれない。他人が自分とは関わりのない独立した世界を生きているとなると、自我が成り立たなくなってしまう場合もある。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=892212377557440&id=100003060589362

466 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 16:25
世界中を旅してきた人によると、一番危ないのはカタコトの日本語で向こうから接近してくる人で、困ったときに一番頼りになるのはおばさんらしい。それは万国共通なんだな。
大義名分を設えて向こうから接近してくる人には、それが貨幣信仰であれ神仏の信仰であれ、こちらをタゲる意図しかない。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=869744489804229&id=100003060589362

モラハラは相手を追い込みたい衝動がある時や言いたい事がある時は強引に食事の席に割り込んでくる。先週日曜日は「お寺はこれから夏に向けて薬師音頭大会一色になってゆくけど」と音響の奉仕の確認と、一つ仕事を決まっているかの様に強制的に加えられ、五万石の参加を求められた。本当にどうでも良いような特典を大仰に翳される。でもそれについて「本当にどうでもよい」と言えば信者の方々に流布される。言えない事がわかってゴリ押しして追い込む。2013年の夏のキャンプのお昼時もそうだったがその時の霊気がおかしい。「キャンプは二日目の手伝いは来る?」と訊かれ「来ない」と答えたら「今日で帰るの?」と笑って、「ほんとどうなっとるだ」と言っていた。そしてまた、断る事が選択肢のない誘いを受ける。隣の蛯原君に向って「ねぇ有馬君に仕事させてよ。名古屋別院にぜんぜん来てないよ」「9月12日は名古屋別院には来れるかな?有馬君は舞踊部の総会の司会だから。これはもう決定してる事。お庫裏様の推薦だよ」。参加しないと言えば「司会じゃ嫌か?じゃどの役割がいい?」「いや参加しません」「なんで参加しないの?」「気が乗らないから」「じゃ気を乗らせてよ(笑)」「10月の○○日は家で修養会だけど来られる?」「秋になったら文化祭ね」と延々と続く。その勧誘が悪意に満ちていてしつこい。執念深い。「参加しない」と言えば徐々に陰険な目つきになってくる。そして断った相手に対する否定論が始まる。鼻息が一層荒くなる。

467 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 17:07
子ども(他人の子ども)が嫌いな人がいるが、子どもはまだ脳細胞や肉体の汚れが少なく純粋で水の流れも早い。各瞬間に次の事に向かっている。子どもの動作は音楽的である。そんな子どもをただ単に「無秩序」な存在としてしか見れないのは、不協和音が入った複雑で高度な美しさをもつ絶対音楽が単なるノイズに成り下がる音楽感性に似ている。子供を好きか嫌いかはヒグラシの声を「ノイズ」と見做すか「音楽」と見做すかぐらいの民族的な隔たりがある。
何事に於いても「単純さ」を求める事に関しては疑問だ。原理は単純であっても現象は複雑怪奇。それが無秩序に見えるのは単に知能が及んでいないからだろう。何でもかんでも自分の主管に置かねば赦されないのは魔の支配衝動でもある。自然と共生する度量をもつことがかむながらの道だと思う
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=867256320053046&id=100003060589362

468 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/08 16:34
珈琲には発ガン性物質が含まれていたり癌の抑止効果があったりする。
珈琲の木は人間のために生きてきたわけではないから。

469 名前:ナナシンクロニシティ 2016/07/10 12:12
よく苦労自慢をする人がいるが、他人に苦労を与えた分を差し引いて考えてない。たとえば仕事でたいそうな苦労をしてきて家の中ではDVをしているとか。それで夜はぐっすりと眠っているのならその苦労度は平均的だろう。
社会の荒波にもまれて労働賛美をして他人をハラスメント(追い立てる行為)をしまくっている人間を学生時代からよく見る。その苦労を他の人が代わりに背負っている事を知らない。背負っている人自身、霊感でもない限り気づかない。なぜ苦しむかわからない。鬱になる人は自ら進んで鬱になってるのだろうか。きっと気づかない何かを背負わされているのだろう(気づかぬように差し向けられている場合も)。社会の上層は自己愛性パーソナリティ障害の比率が高いらしいがその度合いに比して努力ではなく搾取で成り立っている部分があると思う。自己愛性パーソナリティ障害それ自体は悪い事ではないが都合よく搾取したり自分が背負うべきところの労苦を背負わなかった分の埋め合わせはくるだろう。
秋葉原の無差別殺人の犯人は、犯行前には掲示板で繰り返し煽られたり叩かれたりしていた。事件の後、犯人の弟は自殺している。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39034
(僕はその弟に共感する。でもほとんどの人は世間の立場だろう。知恵袋で「これ読んでもほとんどの人は世間に共感しますよね」と質問しても返事がない)。加藤智大被告は今は死刑を求めているようだが、彼を追い込んで笑いの止まらなくなった人達も、その罪を相応しい比率で分割して背負わなくてはならない事だろう (そのような人格を生み出すこととなった風土、環境破壊の加担者、霊性、etc.も)。

仕事の苦労はそれによる対価がある。ステイタスも得られる。でも病気で苦しんでも賃金は得られない。差別もされる。自己肯定感や劣等感の強い者ほど病人を見つけ出してくる。何かを背負って言動のおかしくなった人を指差して『あの人変だよね、やっぱりそうだよね、そう見えるよね』と結託している。憐憫かました分だけ自分のマトモさを差し引いて考えなくてはならない。稼いだお金を使えば環境は破壊される。買い物をしても髪の毛を染めても環境は汚染される。社会のお役に立ちながら地球のことは破壊している。その分も差し引いて考えなくてはならない。

だいたい苦労自慢をする人はFACEBOOKにはリアルの充実した投稿をしている。貧乏自慢をしている人は「娘が住んでる大同町は30年前の昔はここが栄えるとは思わなかったのに今は一等地で」とその土地が高いことを何度も聞こえるように話す。そこに基準がある。最近SNS鬱というのが流行ってるらしい。他人を鬱にした分だけ自分が背負わないといけない。お経を唱えるなどして消す必要がある。自分もそのようなカルマを消し切る日は到底来そうもないが、やらないよりはマシだろう。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=903571053088239&id=100003060589362

自慢が戒律に触れる場合は、他人の存在価値を否定する方向にその衝動はシフトする。他人に苦労をさせ、他人の時間を搾取する。
昨日はお寺に行ったらモラハラの信者に「有馬君のご家族は働く必要がないから、誰も働いていないよね」と笑われた。よく調べ上げている。「有馬君はお仕事は車で通ってるの?」と聞かれた。さすがになぜその様な事を聞くのかその目的を悟られたと感じて開き直り「毎日家の前を通るのだけど。有馬君の事が気になって」と余裕かましてきた。毎日家にいるかチェックしているらしい。それはストーカー行為※だろう。でも信者は誰も疑問に思わない。宗教信者の思考回路では彼は御仏縁を結ばせるために「人に嫌がられる役割」を買って出ているのだと尊敬されている。
※何人も、つきまとい等をして、その相手方に身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しくか害される不安を覚えさせてはならない。

電話口だと1対1なので直接的な表現になる。以前、お寺の仕事を受け継ぐよう電話があったとき、「有馬君のお父様は退職後は家で煎餅食べてテレビ見て、ゴルフばかりしてるけど、僕は舞踊部の部長やら奉賛会の理事やら○○やら○○やら(中略)で忙しいんです!ワハハ」と言われた。2回言われた。電話口では相手はせっかくのお話を聞き取れていないかもしれない。大切な用件なんだろう。でもなぜ僕の父親が定年退職して家に居ることを知っているんだろう。小学校のソフトボール大会ぐらいでしか面識がない人のことまで。本当によく知っている。
「有馬君のお父さんのように遊んでいないから(笑)。自分は定年を迎えても仕事を辞められないんです!。奉賛会の推進委員会もあるし、舞踊部もあるし、忙しすぎて手が回らないの。どこかが手抜きになってはいけないし、自分ばかり管長様にお会いして、実際文句言われてるんです(笑)。助けていただけないでしょうか。」
「しんちゃんは?」と聞いたら「しんちゃんは仕事人間ですから。日曜日も仕事がある日もあるし、なかなか来れないと思う(有馬君とちがって)」。
自己愛性パーソナリティ障害の人は定年を迎えても会社に居座る傾向が強いらしい。モラハラの被害に遭うとその動機がよくわかる。

昨日は奉仕の作業から戻る時、使った道具を年配の方々が持って歩いているのを見てモラハラは咄嗟に「わたくしが持ちます!」と買って出た。すぐさま「有馬君にも持たせてよ」と言っていた。僕が掃除道具を持っていないのを見てそういう行動に出る。「お殿様も持たないと駄目なんだよ」と笑いながら。奉仕中、僕はずっとグレーチングを取り外す作業をやっていたが、それで疲れて、一瞬手を抜いた隙にそうもっていかれる。新しく来たおばさんは「若い人はこき使われるよ」と屈託なく言うと、モラハラはそれを遮ろうとしていた。不立文字とは正反対に他人の評価が現実の思考回路。その人が「若い人がいるといいねぇ」と褒めたらその瞬間、「若いってだけでいいねぇ」と相槌を打つ。

470 名前:ナナシンクロニシティ 2016/08/28 04:03
日本に帰ると日本の事を思い出してしまう。
そこで「現実に戻ってきた」
と言うけどではあちらは仮想の世界なのだろうか?
反意語が成立していない。

471 名前:ナナシンクロニシティ 2016/09/20 12:57
どんな人が地獄に墜ちるのだろう。
人を殺せばたとえ殺意はなくても罪を償うために地獄に墜ちるだろうが、外的・法的な要素を材料に閻魔様に判断されているわけではないと思う。障害者だからといって地獄に墜ちるわけではない。見た目が悪いからといって地獄に堕ちるわけではない事は、よく宗教かぶれに御高説されているとおりである。見た目によって区別できるほどになるのは、DV、虐待、パワハラ等々、長年にわたり隠すことなく行為してきた者だけだろう。
また、窃盗者の見た目が、見た目の通り窃盗者だとわかるほどの事もあるが、その人にというよりは社会に原因があるのかもしれない。霊性に関しても同じで、僕は障気を被った際、元を辿ってみる。その人自身のものなのか環境に原因があるのか。無為自然ではない妙な使命感に燃えている人は一週間程度では抜けない障気を放っている事がある。その障気が宗教(ご祭神)によってもたらされたものなのか、その人自身のものなのかで、まったく意味合いは異なってくる。外的要因ならば離れればよい(それには普通気付けないが)。だが、自身に由来するものなら死んでも直らない。障害者の気は障気に満ちているけど死ねば直るだろう。生きている間に苦しんだ分だけ、死んでから楽が出来るだろう。
障害者だからといって地獄に堕ちるわけではない、という説を反転させると、ふつうに見える人が地獄に墜ちることにもなる。そのことがあまりに省みられていない。子供だましの霊感持ちは、「○○さんは、魔に憑かれているかのように曇りがかって見えたの。」などと言う。そして子供だましの霊感持ち同士で「やはり、そうよねそうよね」と確認しあったら、もうその定説は覆らない。誰かにそう陥れられているのかもしれないのに。またその定説が自己の内から快楽を生み出しているとなると、死んでも離れられない。もっとも、その定説を齎したモラハラの行為者が最も笑いが止まらない事だろうが。地獄に行くほとんどの人は、世間では普通に見えている人たちだろう。

472 名前:ナナシンクロニシティ 2016/11/24 21:27
いままでいろんなサプリメントを喰ってきたけど一番よかったのはスピルリナの錠剤かな。
ふつう、効いても数回で、多くは初回だけとかなんだけど、スピルリナだけはいまだに効き目がある。
青汁も効き目が持続するけど多くは粉だから飲むのがなかなか苦痛だ。
美味しい青汁は液体のもので自宅では冷凍保存になる。新宿駅でよく飲んでたファンケルの青汁はほんとに美味しかったな。
スピルリナ錠剤は金魚の餌にも出来る。ただ金魚の場合は中性〜弱酸性の水質が理想なのでクロレラの方が良い。
スピルリナとクロレラは共に藻で、同じ味がするけど、人間はアルカリ性の生き物だからスピルリナの方が向いているようだ。

473 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:55
鑑定コムで作った知能鑑定に「あなたの知能指数は上位何%ですか?」と質問項目に入れたら、平均すると上位25%ぐらいになった。
人は自分のことを25%高く(また他人を25%低く)見積もっているということになる (知能鑑定だからそういう数値になったのかな)。知能指数なんて知能測定で結果が出てきてしまうのにその値。自分の「出生」とか「人格」とか「才能」とか「経験」とか「霊格」とか測定できないものを聞いたら、平均35%、40%、45%と、願望に忠実にかけ離れてゆくのだろう(「健康」とかは笑いネタにもするから希望的観測程度の開きだろう)。
https://www.facebook.com/daisuke.arima.12/posts/1078177352294274

日曜はお寺の節分豆まきの手伝いに行った。一日中鬼役やった。夕方、掃除を終えて椅子に座っていると、いつの間にか来ていたモラハラは隣でだれかと話をしていた。すると話に脈絡があるのだろうか「だれかさんは」という言葉が聞こえてきた。たまたまかもしれないけど昨年か一昨年は「あ がつく人」とか言っているのが聞こえてきた。皆も片付けが終わり、椅子で待っていると、係の新参の門弟さんが登場し、お開きの言葉をいただいた。その門弟さんが皆の前で話されるのは初めてなのか皆もその姿を注視していた。しっかりと合掌低頭をしてみえるけど言葉が全然出てこない感じだった。その間モラハラは、その新参を虐げたい衝動に駆られていた。終了後即座に「いい声でお経をあげますね」と大きな声でモラハラらしく彼のことを褒めた。手に取るようにわかる。衝動を抑えるためにも、やさしい言葉を投げかける。いかにも弱そうな相手を見ると支配衝動が出てきて仕方ないのは、十代のころの劣等感(生まれつきの運動能力・容姿・したけどできなかった勉強)が根源にあるから (個性を認められて育っていれば問題ない。自己愛性人格障害者の親はスパルタで他所の子供と比較をしている)。宗教は密室だからその方は常にいい言葉を投げかけてみえる。キョドりがちの新参をいい声だと励ましている。不安な彼はモラハラを魔だとまだ見抜けないだろう。
モラハラの異様な言動についてなにかを言おうものならこちらの見え方や被害妄想にされる。一般的・集合的な意識から逸脱したことを言えば「机上論じゃダメなのよっ」。理解ができないことにたいして拒絶がある。無宗教者の蜂に刺されたショックが原因だろうか(その逆も然り)。それに、信者のおばんはすぐに「経験こそが大事ナノヨ」とか決めポーズしてるけど、こちらはそれを経験をしているからわかるのに。なんでそれがわからないかなぁ。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 4月9日 1:02 · 編集済み

今日は職場で社員の変なやつに「有馬君、テーブルのコップは置きっぱなしになってる?」と聞かれた。その時、休憩所のそのテーブルでブラザーの社員の人らが会議をしていた。いつも僕のマグカップや皆のトレー類はどけられている。当たり前なことだが。(誰にもそんな事は指摘されない)(そもそも誰のマグカップなのかを殆どの人は気にしていない)(マグカップのありかを監視している事を人格的に疑問視される事までは気が回らない)中略。彼は僕が自分でマグカップをどけないと気が収まらないのだろうか、すごくいけなかった事のようで、たとえば芸能人の世界でも大御所の人のグラスが空いてるときには注ぐとかその他なにかしきたりがあるようで、後輩がそれをやっていないと「あわわ○×○×」と指差して大仰に指し示すらしいが、その社員の変なやつは「今日はブラザーの人と会議があるとか、そういうこと伝えられてないから」あわわ...といった具合だった。すげー低知能な香具師だなと思ってしまいましたごめんなさい。こちらはなんとも思っていないけど、彼はしてやったりの気分でいた。世界が狭い。その世界のしきたりが全てのようだ。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 2月1日 19:19 · 編集済み

また、今日は別の社員に「最近有馬君はダレてるから」と言われた。何も変わっていない (むしろ今年の目標を心経12000巻に設定して唱えはじめた所なのに)。「それは、僕は元々ダレているけど、それが見える様になったってことですよ」とか言おうと思ったけどやめた。周りが急変する時、何かが背後で動いている。お寺に行くと次の週は異変が起こる。誰かの生き霊が乗っかってくる。休憩中、変な社員のやつが、遠くでのTさんらのやり取りを聞いて笑っていた。やけに上機嫌であった。以前、彼が少しおかしいことを社員に言ったら「もう気づいた?」という反応だった (経験があるから分かる) (彼は『進撃の巨人』の巨人みたいな見た目をしている)。悪質な手紙がロッカーに入ってる事件、モノが無くなる等の犯人は彼だと疑われている。でも証拠がないから動いたらいけないらしい。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 2月25日 23:06 · 編集済み

そんな話は別にどうでもよかった。
僕は別に知能レベルがどうこうは、最近はどうとも思わない。知能は霊性のあらわれの一種のものだけど、知能が高いとか低いとかよりも、その個性が問題だから。
こちらの知能の有り様を理解せず批判されることに対する怒り等から出来上がった思想なのだ (Facebookに書く事はほとんどが既に過去の想い。それが現在折に触れて投稿される)。
世の中やその集団で正しいとされている事が、本当に正しいのならよい。でも世の中の知能指数の平均値が105だとすると、やはりそのような常識が形成されてゆく。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 4月9日 1:06 · 編集済み

『かわってる』を侮蔑用語に使う知能の低い者がいる(知能指数85ぐらい)。
『かわってない』とは何か。知能指数80-120の範疇(人口の80%以上)の平均的な創造性・想像力・価値観を持つ者らが無意識のうちに取り決めた、常識の範疇に入っていることだろう。
そうなると120以上80未満の者は変わり者になる。
天才と馬鹿は変わり者である。
天才と馬鹿を区分するなら、『かわってる』を自覚しているか自覚できないか。etc..。往々にして頭の良い人はワザとやってる。世間(常識)に合わせることがバカらしくなってしまっている場合もある。
『かわってる』をステータスと捉えるか駄目なことと捉えるかは環境によるところが大きい。大学生は『かわってる』に憧れる。なぜなら彼らは天才はかわってる事を理解しているから。それが大二病(大学二年生病)につながる。一方で派遣社員の世界では『かわってる』は侮蔑用語になる。
『かわってる』を侮蔑用語に使う者は知能指数120以上の者の精神は理解出来ない。また、自分自身が変わっていたとしてもその側面を理解できない。平均の範疇にある者は、長いものに巻かれて反省しない。『かわってる』に翻弄される。知能の高い者の生態が理解できない。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 3月20日 22:04 · 編集済み


474 名前:ナナシンクロニシティ 2017/01/06 12:12
若い人は食費をなるべくケチらないように。
中年からは食費をケチるように。

475 名前:ナナシンクロニシティ 2017/01/11 15:05
化粧品による肌荒れに、こんなお薬があります。
風邪をひいて風邪薬を飲んで、血液の質が悪くなったらこんなお薬があります。

476 名前:ナナシンクロニシティ 2017/01/29 22:34
今日は寺に行き節分豆まきのあと席に座っているときモラハラは常にだれかと話をしており「だれかさんは」という言葉が聞こえてきた。
宗教は密室だから(そこに信者しかいないから)やりたい放題。秋江様はいいことを言ってみえる。

477 名前:ナナシンクロニシティ 2017/02/12 09:47
「〇〇さんの話、知ってます?」と大変な様子の信者。
〇〇さんの息子が亡くなったようだ。
それを聞いて「その息子さんはお寺に来る人?」と咄嗟にひそひそ手うちわで話し始める信者。
自分の知っている人かどうかを確認しているわけではない。
来ていない人と聞き、あぁ、とお寺に来ていないから亡くなられたと解釈していた。それが手に取るようにわかる。
お寺に来ていないからそういう不幸があるという論点先取。
お寺に来ている最中にそういう不幸があることはないだろうに。
不幸があればなにかしらその人に問題がある。信者の悪因縁が原因の場合はないのだろうか。また、自分自身が。
自分とか自分の信仰対象は絶対に悪くないという固定観念と論点先取があるから正しい事が見えない。一方的に人が離れる。

478 名前:ナナシンクロニシティ 2017/02/17 22:16
大勢の人の意識は乱数発生機の数値に影響を与えるらしい。
ランダムに出る筈の数値が偏ったりする。

479 名前:ナナシンクロニシティ 2017/04/30 01:25
人の素直さを褒める時、健全ではない事がよくある。
人が自分たちの基準に乗っかってきてくれるか否かで素直か我が強いかを判断している。
特に宗教信者はそうである。
どうせ、素直なのは初めのうちだけだ。
その器の小さなところが見えたら素直には迎合してくれなくなる。

480 名前:Facebook 自己紹介欄 2017/07/30 22:02
今はノイローゼでオワッテル脳みそだけど昔は純粋に高知能だった。そんなこともあった。中一の親子面談では担任の尚子先生に「知能測定の結果を見る限り、学校の勉強と宿題だけやってれば東大に入れます。そういう知能指数です」と言われた。先生は僕の方を見て「本当にちゃんとやればね」。塾に通わせると逆にストレスになるとも。「それより有馬君を見ていて気になるのは個性が無さすぎる事です。ね、アリちゃん」。僕は周りに合わせすぎているようだ。先生は個性がないことを結構深刻がっていたが自分には何故か分からなかった。虎の巻には僕が今のようになることが書かれていたんだろうか。でも仕方がないのです。幼少期からずっと「カメレオン型」なのだから。

─-─--- ─- ─-─---─--- ─-─-- :

やはりその周りに同化した生き方ではストレスしか残らなかった。人間のことはわかったが、自分の人生を生きられた事はほとんどない。この人格形成の反動から様々な振る舞いをなしてきたが大体失敗に終わっている (黒歴史) 。また昔はそんなことはなかったが抑圧から言葉が出てこない事が多い。話すのがしんどいからわざと言語学的なコードをはぐらかしたりすることもある (空気が読めないとか全体が見えてないとか言われている気がするが実際はその反対だから夜露死苦。医者が言うにはアスペルガーの可能性は限りなく0%に近い。アスペルガーにたいして差別もない)。また、ある種の懸隔からコミュニケーションを避けてきた経緯もあり言ってる事を理解されない事がよくある。それらの要因によりタゲられる (モラハラ、レリハラ等)。

── 最も性質の悪い魔は善人の姿をしている ──

今まで、もっともらしい噂を広められていたり 疑いをかけられていたり 根回しをされていたり 宗教的な意味付けでレッテルを貼られていた (それが 冤 罪 の場合は 徳 との相殺になるだろう) (「お徳」はお金と一緒ですぐに無くなる。我慢をすれば積み立てられるけど、普通は 罪 との相殺で使い果たしてしまう。考え方や行いが宗教や他者に肯定されていると修正が効かない。超法規的解釈をし、お徳を使って、一時的には気分が良い)。また保守的な視点での人物評価や (実物よりも良く評価する事はその人自身の精神修養になる。悪く評価すれば顔つきに出てくる)、欠席裁判をされている事もよくある (神仏の意志にたいし 恣意的でも忠実ならよいが違えていたら埋め合わせは生じる。宗教団体が集団心理を使うことは諸刃で、徳を積むか罪を作るかのメーターは大きくブレる。また、師匠が言うには「神仏の名を騙ることは通常の罪より重い」とのこと。神仏のご意思であるかのように{またそう思い込んで}勧誘することも同罪だろう。宗教は拡大路線に走るとカルト化する。途中から身勝手な世界観が出来上がってゆく)。
怒りはスパイスで、怒りがあれば思索は無理やり羽ばたく。でも多すぎると寿命を損ねてしまう。自分は短命だと思うが、死人に口なしになるとむかつくので、ここには私が一体どんな人物だったのか、私の目にはどう映るのか、何を考えていたのか、モラハラにどうハメられてきたのかその策略等ゞ(霊性含む)、 本 当 の こ と を書き遺そうと思う。

趣味はGoogle+へ https://plus.google.com/u/0/112398068137874573072
楽しい事はInstagramへ
すずめ観察記はYahooへ https://blogs.yahoo.co.jp/arinecoinco

481 名前:ナナシンクロニシティ 2017/05/08 17:48
SNSは見せびらかすためにやっていると言ってかなり差別的な言動をする人がいる。
いいね!をいただくためにわざわざ見栄えの良い料理を食べに行くのだとか。
そういう卑屈な事を言う人の方が自己愛性人格障害の可能性が高いと思う。

植物は見せびらかすために花を咲かせるのだろうか?
Flowers blooming to flaunt itself ?

482 名前:ナナシンクロニシティ 2017/05/08 17:50
目的とか報酬とは無縁に無意識のうちに行っている。(不染汚心 ふぜんなしん)
何故そうするのか、という問いには答えられない。
やましいから、なにかあるから、答えられないと判断する人もいると思う。

483 名前:許光俊 2017/06/02 01:04
,r'`"´:::::::::::::::::::::::::::`'ヽ,、
  ,r'゙::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ
 /::::::::::::::::::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;::::::::::::::::}
 {:::::::::r'"´         `ヽ:::::::{
 {:::::::::{            ';::::::}
 .';:::::/ _,,_      _,,,  ';:::/
  ハ::j "´ ̄``    '´ ̄`` !::h
  {ムリ  ィT::ァ‐、  ィァ::Tヽ ソ}}
 {ゝ{     ̄ ,イ  :.ヽ  ̄´  ヒ1
 ヾ_{     ´ .:  :{.     }リ 人目を避けて道端に脱糞するのは至高の快感だぜwイヒヒヒ

484 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 21:55
この前弟の息子が生まれて初めて怒鳴られて、その時の表情がたまらなかったらしい (居間からなにか笑い声が聞こえてきたけど、自分はちょうどコーヒー作ってたから見れなかった)。次の日も怒られたが、その時、まぶたが抑圧的に下りているのが気になった。たまにはいいけど、怒ることはなるべく抑制した方が良いのだろうな。

🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿

怒れば怒るほど、子供は人目を窺うようになる。
怒れば怒るほど才能は伸び悩むが、社会性は身に付く。
怒れば怒るほど自己愛が歪んで将来モラハラをするようになる。
ではどうやってしつけたらよいかという感じだけど、たとえばナイフとフォークで食べさせたい場合、汚い!と怒っても仕方ない。その子にとって合理的だからそうしているに過ぎない。手で食べてたらあとで手がベタベタして気持ち悪いということを自分で体験しないと、ナイフとフォークで食べるという動機は生まれてこない。もっといえば、ナイフとフォークで食べるという事を自分で思いつかせないといけない (さらにいえばナイフとフォークを自分で発明させないといけない)。
落合監督は選手の事を 見 る こ と が大切だと言っていたけどそこに行き着くだろう。怒ってはいけない、教えてもいけない、ネグレクトでもいけない。

485 名前:5月1日-7月30日- 2017/07/30 22:12
ほんとあの寺は鬱病罹患率が高いな。
幸せになる人は鬱になる人に支えられているようなもの。
自分がイライラする時、相手は気分が爽快だ。

486 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:12
「あの人は素直で」=お寺に迎合している。「気が利く、全体が見えている」=有馬くんはその反対。
あの人(新しく来た人)は1を教えて10を知る。その人は「仕事で怒られるのは自分に期待しているから」と言っている。すごく考えのしっかりした優秀な人=素直に自分達の評価を受け入れない者に対する見せしめ。「10を教えても10しか学ばない人もいる」。
「意識が高い人はちょっとでもこちらに不備があると離れてしまう」(魅力がないからではないのだろうか)(初めから数回のつもりではないのだろうか)(口煩い信者になにか示唆されたのではないのだろうか)。「後釜を連れてこない、手伝ってくれないのはその人が感謝をしていないから。心では感謝をしていないからついてきてくれない。」(集団のバッシングに遭っている人を見ているし自分の時間を搾取されたくないからついてきてくれないという解釈はお寺に迎合した解釈ではないからその人は素直ではない。だから成長しない。)
成長する=お寺に都合の良い人間性を身につける。○○様は最近成長したね(お寺のおかげで)。2年前に比べるとすごく成長しているよ(それを聞いて不愉快に思うのは心が成長していない証拠)。
オール5の女性が名古屋別院の長で、身内からは「みんなはオール5ではないから自分と同じ様になんでも出来ると思わないように。期待をし過ぎるといけない。みんなの事はオール3で見なさい」と言われていたようで、どこか見下している。悩みがあってお寺にみえることをどこか鼻でバカにしている。仏様のお陰で自分には悩みも病歴もないから。その様な高飛車な態度を反面教師にするべきだろうけど、お寺に否定的な態度だから地獄に落とされるだろう。(北欧は心理のカウンセリングが進んでいてカウンセラー自身も鬱病の患者の立場になり対話をしようとする。それにより鬱病の患者が快復している。オープンダイアローグには人間の器が問われる。なにか変な事をおっしゃってみえる方を見下していては鬱病は治せないと思うが。まぁ、上昇志向の強い優秀な人には難しいかな。鬱病の相手などするだけ無駄な時間なんだろうから)。
あの寺の名古屋別院に行くとなにかを拾って鬱になる。イライラする。それは仏様が与えてくださった悪い心だから反省して感謝しないといけない。...いや素直に解釈するならば、なにかを拾うのはお寺になにか蟠りがあるからだと思うのだけど(というのもそのお寺でだけよく拾うから)、そう言うと裏切り者のユダにされる。それが分かっているからよく出来た社会人はお寺を離れる際にお寺の人や信者が気持ちの良いことしか言わない。それが成長か。
お寺のお偉いさんはモラハラの概念がない。阿られる立場で被害に遭う事がないから。根回しをしていて信頼の厚いモラハラ信者によって時間をかけて形成された人物像で成り立っている。あとで本人が何を言おうとモラハラからはこう聞いてますよ。「全部筒抜けなのよフフン」。他の人がフォローしても「いえいえ」。根回しされた悪い部分ばかりを見ている。生存の本能から悪い事の方が意識に残されやすい (モラハラはその事をよくわかっている)。そんなバランスを欠いた評価とか教えの一面性によりストレスや鬱で人は離れていく。人が離れるのはあなたにはリーダーの人格がないから。...。
いろいろ聞くと僕が来るより以前から、あの寺にはなんか変な霊気はあったように思う。門弟様がしっかりしているからなんとか保てているけどたぶんそのうち人は来なくなる。この10年で会合に参加するメンバーは3分の1になっている。青年会のメンバーも3分の1だが有馬君の力量不足にされているらしい。有馬君がやめたら青年会はどうなるの!?とかいう反応があるから引き受けたのだけど(知るかよって感じなんだが)、初めから引き受けなければ良かったナァ。青年会のメンバーは好きだけどその根回しされた評価が気に入らん。
いいね! · 返信 · 7月25日 0:16 · 編集済み

全体が見えているのならなぜこのことに気づけないのだろうあのことがわからないのだろうなんでだろうなんでだろう
いいね! · 返信 · 5月8日 21:14 · 編集済み

天才と秀才では価値観が違う。保守的な全体主義になるのなら、各々棲み分けが必要。
いいね! · 返信 · 5月8日 21:15 · 編集済み


487 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:14
仏様に良い心悪い心を与えられ、仏様に感謝とか懺悔するというのはマッチポンプにはならないだろうか。なにか広がりがない。仏様を宇宙とすれば良いのかな。しかし自分の心が存在しているとの考えは「我」だろうか。たしかに自由意志は拒絶以外に存在しないらしいけど(要検索)。しかし細胞は育まれる。内側から悪い心が発生してきたから反省して仏様に懺悔するという構図では駄目なんだろうか。自分にとってはそちらのが自然だ。でもそうするとお寺でなにかを拾った場合、お寺におけるなにかしらの因縁から来てるという論理が成立してしまう。なにかを拾った人はお寺に背いていることになる。
「なにかを拾った」「仏様に与えられた」。自分が主体か客体かの違いだけど仏様に与えられたと解釈しないといけないのだ。我とか主体性がなければわりかし出来るけどモラハラの餌食にもなるわな。また、その信者によってそう構築されているのかもしれない。遠回しに泰然自若ともっともらしく、そうもっていかれている。
いいね! · 返信 · 5月21日 22:25 · 編集済み

その泣いてる人が「リーダーの人格がないから誰も引き受けてくれない」との事なのであのお寺の総会のポスター作成を引き受けたのだけど、やっぱりストレスが大きい。先日、お寺のお偉いオール5の女に直接メールで作ったポスターを提出するようリーダーに頼まれて送信したのだけど、直接メールするのは間違いだったみたいで (どういうことだろう)、本人から注意を受けたみたいだ。本当にお高くとまっている。自分の師匠はあんなに横柄なことはない。たくさんの部署とメールのやり取りをしなくてはならないから、という感じではなかった。ここでひとまず蹴落としておこうという種類の霊性をしていた。メールでも伝ってくるのである。もっと丁重に「わたくしが、◯◯様に直接メールをして本当によろしかったのでしょうか・・・」と書けばよかった。でも眠い目を擦りながらポスターを作成しているからそんな気分にはなれません (相手のことを好きになろうと努力したらよいだろうか)。
ポスター作成も大変だから貢献しようと思ってやっていたけど、神棚方面からは やらなくていい との反応だった。買い物をする時も「買うべき」「買わないべき」はほぼ100%的中。あとで理由がわかる。ポスターは引き受けたからにはやらないといけないのだけど結果もたらされたのはその強烈な霊障と気分の悪さ。次の日は一日中鬱積した。まぁ、お寺だから多くの人の霊障を引き受けているのだから、恨んでも仕方ないのかもしれない (自分の師匠からは霊障など1度も受けた事がないけどね)。そのメールアドレスは個人情報だから削除してください、とのお達しもあったみたいだ。G-Mailなのに。あなたと私では隔たりがあるのよとの寓意があるのだろう。イベントのリーダーは有馬君に◯◯様のメールアドレスを教えてしまった。これはもう一大事である。たぶん、モラハラに様々な段取りが用意されることだろう。なにかのサイトにそのメールアドレスが登録される等。疑われた時のための予防線が必要になる。
いいね! · 返信 · 6月17日 19:48 · 編集済み


488 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:15
愛知に戻りあのお寺に通う前、東京で半年間お世話になっていた師匠(神道やヨガの先生)にあのお寺のことを聞いた。神様におうかがいをたててもらった。岡崎本堂と名古屋別院と二ヶ所あるから総合的なものなのか「そのお寺はかなり霊性は高いが、エーテルも入り混じっている。なにか変な物が祀られている。そのエーテルのものを見つけたら近寄らないように。」と言われた。エーテル = 先生らが霊格を評価する言葉で最低のランク。平均的な人間よりもかなり低い。それが未だになにかわからない。エーテルなんてすぐにわかるものだけど (屋久島とか究極に高いものは自分にはわからない。繊細すぎるのか通過するからなのか)。祀られていると言われていたから境内の外宮とか全部確認したけど、たぶん、人じゃないかと思う。仏様の分霊を引き受けている人とか、その人に直接影響を与えている信頼の厚い人とか。旅行の宴会で無理やりカラオケを歌わされたことがあるけどその時のあの女の顔が忘れられない。カラオケを歌わせるよう御使いを出して、本人は8m先からこちらをじっとりとその様子をほくそ笑みながら見ていた。他の人は出番が用意されていたようで宴会の準備も万端だった。僕はトップバッターでいきなり歌わされた。宴会で無理やりカラオケを歌わせることは、ネットで調べると パワハラ みたいだ。上はパワハラ、横はモラハラ。エーテルの低い霊性が影響力をもっているとそういう部分が出てくる。(こちらが勘づいているからそう反応が出てくるのかもしれない。職場の鍵のかかってないロッカーの財布から札を引き抜いてる人も、犯人が自分だと勘づいているような人には態度が変わる)。
いいね! · 返信 · 6月17日 19:51 · 編集済み

自分の師匠のもとには多くの若い人がおのずからたくさん (例祭の時には30人ぐらい) 集まってくるけど、あの寺は無理矢理に仕事を作って、やらなくてはいけないからという状況にぼわれて人が集まってくる。それをあの人らはマウンティングしている。それはさぞかし気分の良いことである。マウンティングされればあの場所にある穢れを供養することにつながる。マウンティングしなくてはならないなにか原因があるんだろう。靖国神社でも日本の戦争を称揚している。そうでなければ無駄死にした事になるし、そうすることで供養されていると思う。
いいね! · 返信 · 7月20日 22:50 · 編集済み

先日知立の弘法山の般若心経を唱える会に参加したら、あのお寺で会った懐かしい人に出会った。僕は弘法山遍照寺は産土の神社の次にたくさん参拝している所だけど (もう200回は行ってる)、この会は初参加だった。早起きしてよかった。いい出会いだった。
その日はあの寺でも大祭があるから「今日は行きますか」と聞いたら一瞬 顔が曇ったのがわかった。その人はあの寺の名古屋別院の奉仕とかに昔はよく参加していた。名古屋別院には数回しか行ったことのない木村さんという方に名古屋国際会議場のオーディオフェスタで出会ったときは「まだあの寺行ってるの?」とライトな感覚で聞かれた。誘われたら嫌だろうがとくにしこりはないんだろう。
弘法山で出会ったあの人は敬虔な仏教徒で、あの寺でNさんに弘法山のことを紹介されたようだ。Nさんにも弘法山で会ったことがある。あの寺では「お寺を離れた人はみんな不幸になっている」とか言われているけどお寺以外のところで出会ってもそうは感じない。統一教会を離れたときは自分は大きな不幸に見舞われたけど、それはエーテルランクだからである (でもそのお陰で師匠に巡り会えたので必要な経験だったと思う。神様の段取りのうちにあったのかもしれない)。
いいね! · 返信 · 6月17日 20:29 · 編集済み


総会のポスターを引き受けたはいいけど結局ボツにされた。10回以上も校正をかけて、ボツの理由が「画像がボヤけているから」。初めからわかっていたことなのに。最後までもっていって、会議でダメ出しをされた形になった。「本音は言ったらいけないんだけども」。そして期日に間に合わなかったとのことで大袈裟にドタバタして総会の場所に急遽写真を撮影しに行きましょうとなったけどお寺の長の女の方が忙しいから無理で、ベテランの人にポスターは任せることになった。また僕のせいですごい迷惑がかかったことにされているのだろうな。お寺に対しての態度や、リーダーのコミュニケーションの問題、お経を唱えてから作成していなかったことが原因にされていた。中心にある想いが、外に行くほど薄れてゆく (お寺の方を向いていない)。人が集まらない理由が自らにあるとは思えず、長の女はモラハラの信者に欲望を読まれて評価を成り立たせている。今回はAdobeイラストレーターのソフトのために4万円払った。ここまであくせくと作った苦労を無駄するのが一番堪える(笑える)事なので、そういう人らの供養にはなっているかな。言い聞かせたい事があるから最終的にボツにして大問題にして取り扱われたのだろう。リーダーの人は人に頼む時、相手にも仕事があるし断られたら悪くて頼めない、と真っ当な感覚を持っているけど「そこは遠慮が要らない」とご指導を受けたようだ。タゲる対象が必要なので、去るものをぼっていく。虐める風土がある (言い聞かせたい事があるから苦労をさせるというのは親心ではない。ほくそ笑んでいる)。「有馬君も残念だな、ここまでやったのに、徳積みにならなくて」 (と成すのなら時間を返していただきたい)。最近役員になった人も、それまでは大祭とか楽しみで来ていたのに昨年の薬師音頭でカメラマンへの誘導を任されたとき不手際があったようで会議で問題にされ、冷めてしまったようだ。長くいる人は徐々にそういうはけ口にされてゆく。いつまでも気分の良いお客様では駄目だろうというフラストレーションを抱かれやすい (そういったフラストレーションが生じること自体が問題にされるべきだろう)。
今年は12000巻 般若心経 or 六根清浄を唱える目標があるけど、まだ3565巻しか唱えていなかった。目標の6〜7割のペースだ。途中経過は神社仏閣に伝えに行ってある。
いいね! · 返信 · 7月21日 12:39 · 編集済み

大祭のプラーナが良くなかった。弘法山のお経を唱える会は相変わらず深みのあるプラーナなんだけど。僕が座っている付近に目頭の立ちやすい男がカメラマンをやっていたからかな。その人は、僕の隣に座ろうとした人に「後ろから写真を撮るのだけど、その際に席に穴が空いていると良くないから、悪いけどこの辺の空いている席に座ってもらえる?」と、何も考えずに座ろうとする人を誘導した。先日は奉仕作業の休憩中に僕がツルハシで穴をひと堀りすると甲子園球場の外野応援席みたいな声で野次を飛ばしてきた。それを見ていた二度目の参加の35歳ぐらいの方は来月からもう来ないだろう。自分もいずれそういう扱いになるのだから。道路を挟んで向こうにいるグループにその人物のことが嫌いな人がいたのか、じゃぁって事でツルハシで穴を掘り始めたけれど、そのカメラマンは何も言わなかった。まぁ綿密に書こうとすると無限に出てくるな。
そのカメラマンは保守的で面白い事を言ったことがない。機嫌のいい時は笑顔で非常に寒いことを言い、気に入らない人物にたいしては口煩い指摘をして、新参には物々しく布教しまくる。布教をする時は「自分はわかっていて相手は何も知らない」といった風情。ジャンケンをして「私は頭がパーだけど」という振る舞いをなすが、無知の知を知る事がない。相手はお寺以外のことを知っている。そのお舅のおかげで何人ハッピーかいから人が離れたろう。「新しい人をお寺に連れてくることが最大のお徳積になる」のなら、人を引き離す事はどうなるのだろうか。「その離れる人自身に前世からの因縁とか、人格上 何かしらの問題があったから、お寺の外に引っ張られてしまった」のだろうか。レッテル貼りが事実と食い違っている場合は 冤 罪 になるはず。人をお寺から引き離した場合は最大に徳を失うことになるはずだ。お薬師様は正しい判断が出来たから人はたくさん集まり、神様仏様とは食い違ったことばかり言っていると人は離れる。正しい判断には合点がいって心が休まる。間違えた判断にたいしてはイライラする。食べ物に含まれる有害な物質が体内に入ると人はイライラする。師匠によると自分よりもかなり高い霊性が来たときも体調を崩すらしいが、たぶんイライラはしないでしょう。
普通、自分のことは自分が一番よくわかっている。アスペルガーの傾向でもない限り。「あなたは自分ではそう思っているけど実際にはこうなのですよ」というのは過去にも書いたが魔の支配衝動だろう (その場合、人が思い通りにならないと来たしてしまう)。もし自分よりも他人の方が自分の事がよく分かるというのなら、その評価・判断は一致するはずである。実際、メンタルクリニックの医者の判断は一致する (もちろん僕はそれ以上に自分のことがわかっているが) (わからない部分ももちろんある)。評価が食い違うのはペルソナに惑わされているからだろう。ペルソナ=仮面。ペルソナは悪いものではない。心理学者はペルソナは多い方が良いという。被暗示的で外的側面に影響を受ける人・表面上のことしか見えていない人ほど「私にはこう見えるの」と自信満々に言う。自分の見識を疑わないから。心眼を鍛えるにはどうしたら良いだろう。エポケーとか目隠しで(ry
いいね! · 返信 · 7月16日 22:40 · 編集済み


489 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:16
今日は名古屋別院のフラワーアレンジメントに行ったけど行かなければ良かったかな。欝になった。名古屋別院に行って何も拾わないことは過去5年で1度ぐらいしかなかった(その1回も多分拾っている)(次の水曜日までは怒りや霊障で苦しむ覚悟で行っている)。今回はフラワーアレンジメントの先生の進行役?やっている女の人(40代OL)が最悪だった。心眼の欠けている人は噂話に食らいつき、根回しをされやすい。その女はモラハラに根回しされているのか、他の人のフラワーアレンジメントは延々と誉めて、僕のことはハブだったりした。他の人は先生の説明を聞いただけで「すぐに出来て頭が良いんだね」と誉めて、先生の補助のナンバー1とナンバー2となっていった。立場のある女性特有のやり口だった。それを最後まで続けられた。有馬君は絡みづらいからではない。そういう発想とオーラだった。前回の陶芸教室にもその兆候はあった。僕が冬のシアター用に大きなサイズのマグカップを作っていたら、その女は「何作ろう。(粘土は倍の量があるけど) あんまりデカいマグカップ作っても『頭大丈夫?』とか思われるし」とか言ってきた。僕が発言する時にはあちらで盛り上がってみせて話してたの?存在感がないのよと成す。その人は2016年の正月の時は良かった。半年後に会った時には最悪化していた。せっかく関係が悪くなくなったと思っていたけど (元々向こうの一方的な形成だが)、案の定というか心配のとおり、裏で何かが行われていた。少しの悪感情に付け込まれている(別の人にも知らない場所で同じ事が起きている)。噂話を信じるか本人の主張を信じるかは、敵か仲間かの違いである。10年前、仲の良い人に「食堂のおばさんは俺に気があるぜ」と学生のノリで言ったらその人は面白かったのか今もずっと言い続けている。言葉は一人歩きをするという教えをよく聞いた時期だが、その言葉は今やその女が僕が本当にそう思っているという解釈で一人歩きをしている。「有馬君だから 真 意 がわからない」と言っていたが好意的な理由では納得したくないからだろう。多数の選択肢や可能性が浮かぶ際に人は自分の心が納得しやすい選択肢を選ぶ。本当は口が滑ったのだけどあとになって往生際の悪いことを言っているのだというのがしっくりとくる。だからその問題は僕が白状するまで棚上げにする(霊的にも法律的にも冤罪だがね)。フラワーアレンジメントのリボンを選ぶ時も、先生曰く茶色のやつがフランス製で高額らしいが、ほかには乙女な色のやつしかないから、茶色を選択したら「高いやつ」と指摘された。思考を読んでいるかのごとく。そういう際は「その高いやつ」下さいと言って茶色を受け取るべきだけど他の男性陣の真似とか追従になるから出来なかった。必ずそう指摘が来ることがわかっていたからフラワーとの色の兼ね合いを確かめるような振る舞いをしたのが、却っていけなかった。まぁ向こうの思考パターンからすればそうなるけど想定が追いつかない。心安くない人といるとどうしたら良いだろうかわからなくなる。生き霊を拾っているし。常に陥穽と裏をかいた解釈に構えていないと付いていけない。そのためにお寺に行けば成長に繋がる。
オフィスには怖い女が多くて、コミュニティにおける暗黙の了解が出来ない人はイジメの対象になる (男は天然の方が好きだから埋め合わせは生じてる)。あのOLの場合は、他人が暗黙の了解で自分を落としていないと自我が成り立たない。なぜ成り立たないかというとお庫裏様に厳しくされてきたからかもしれない。あの当時、よく耐えられるな、信者だからかなと思ってた。でも目つきは少し浮いていた (あの当時は機会人形みたいで、とても美人には思えなかった。でも今日は美人になっていた。もうお庫裏様はいないからやりたい放題で生気を取り戻しているんだろう)。お庫裏様のシゴキは感情的・生理的であれ魔祓いのようなものであったけど、結局、その人に器が足りてなかったり型に嵌らなかった分はひずみ、時間を置いて自分あるいは他人に向けられる。こちらは、一切関係ありません。被害にあった時だけ文句を言っているだけで、こちらからは何もしていない。至らぬ所があり誠に申し訳ございません。
あの寺に行っても幸せにはなれない。抱え込む人が多い。仏様の霊性は良くても常にスケープゴートになっている人がいる。人口密度が高すぎるのかな。
いいね! · 返信 · 7月21日 17:35 · 編集済み

人に褒められても喜びながら断る感じの人は、普段からお世辞しかいってない。そういう政治的な人間関係だから、翻ってきても相手に心を許すことはなく、相手に借りを作らせないよう身をかわす。はじめは自己保身であったものが、他者棄損に移り変わる。味方を付けるためにとかく褒めるが、味方が増えたら褒めながらこき下ろすことをやり始める。元々の基軸がそこにある。心から褒めているわけではない人はクセ者だ。
🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿 🗿
フラワーアレンジメントに行く途中の喫茶店で、お互いにベタベタ賞賛しまくるAKBみたいな喋り方の若い28歳ぐらいの女のグループが「SNSは画像の載せ方が悪いと叩かれる」など助言を出し合っていた。なぜ人は叩くのか。なぜ数割のOLは他人の虚栄心とか自尊心がギャグにならないほど内面で深刻化するのか。それは幼少時代に厳しく育っているからだろう。女の子のほうが母親に厳しく育てられやすく、男の子は母親には甘やかされる (傾向にある)。男の子が箸を持って振り回したり刺したりする時はさすがに周りが怖がって制する (その抑制は将来のもっとあぶない行為に発展する)が、母性本能は正直で、お寺のお庫裏様も女性には厳しかった。男の子は水遊びに親が1時間も2時間も付き合ってくれる (そこで願望が叶えば 200円の水道代と200円分の環境負荷で済むから得策だ)。女の子は少しでもホースで水を撒きまくったり やんちゃな事をしたら躾けられてしまう (気が済んでいない) 。
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」『エミール』の序章:要検索。
いいね! · 返信 · 7月20日 22:39 · 編集済み

数10%程度の女の性格がやがてどぎつくなるのは、 幼 い 頃 から 言 わ れ 続 け て い た からである。仕方ない。フラワーアレンジメントのその生き霊のOLも母親が熱心な信者で「お庫裏様の言うことには ハイ! ハイ! とだけ言っていればいい!」と教育されていたろうから。子供のようにあやしてもらえてないと思う。(それゆえか、あの人は心の底から笑っているのを1度も見たことがない。人間的な情緒が欠落している雰囲気がある。進行役の時はオチを用意しながらマイペースに楽しく進める技量があるけど、心から笑うんだろうか。人の悩み事や不幸はコミカルに明るく振舞ってなんとか聞き出そうとする。他人の自尊心に対して脳波の反応が大きい人ほど、他人の不幸話が好きなのである。彼女は韓国ドラマのドロドロな展開が好きなようだ。急に「新しく始まった日本のドラマがドロドロの展開で」という話になった。その話が言葉というより念でこちらに飛んできて気になったが、そのうち理由はわかるだろう。言いたいことがそこに詰まっていた。OLの世界では、いかに言いたいことを話の流れに乗せて伝えるかの技量が問われるが、さすがに年季が入ってる人は違うと思う。ベテランの域に入ってきたんだろうなぁ) (それと六年前 彼女の母親が経営する飲み屋での独身男女の会に参加したが、話す事が苦手な自分は馴染めず恨みにしかならず。すると次の機会にまた誘われ、「飲めないから」と断っても「飲めなくても関係ないから」と誘われた。そういう人には何らかの目論見がある)。
話を戻すが整膚のババアも以前「娘は(自分にたいし)劣等感があったんじゃないかな」とか鼻の穴を広げて言っていて、こいつマジで言ってるのかなと思ったけど案外 母親と娘はそういうものなのかもしれない。自分の父親も子供相手にライバル心剥き出しで、「俺は徒競走やマラソン大会で2年生から6年生の時までずっと1位だったんだぞ!」、「(自分の事が好きな女の子が) 1人か2人ならいいよな。自分は5人いたから。(いろいろと大変だったらしい)」、僕が家でわんわん泣いていたら「俺が泣いたのはバスケットボール大会の決勝戦で、負けた時だけだぞ !!!」とか言い出した。そのことを学生時代にツレに言ったら爆笑されたのでうちとか整膚のババアだけかもしれないが。
いいね! · 返信 · 7月26日 12:35 · 編集済み

あのAKBの28歳のグループは男との付き合い方や遊び方などを話し合っていた。後輩は「すごーい。〇〇さんは私の尊敬する人の10人に入ってます」などと のたまっていた。そのバリエーションの豊富なこと。それは男性より女性のほうが優れている部分であるが。他にも料理とか論理の通用しないところとか。あの女らは印象深かった。そこまで褒め合わないとハブられる娑婆の世界を生きているのだよ..というお導きやお知らせだったのかもしれない (下衆の後知恵だが毎回)。あの女は生き霊持ちだからと避けていても駄目で、ある程度の反応はしないといけない(それが苦手)。しかし共通の話題がないからというのもあるが、次から次へとお寺の行事に(紹介者を自分の名前で) 誘ってくる人と関わるのは疲れた (お寺の地位とかほんとどうでもいい。以前、そのOLの前で、僕は今は青年会の「部長」だと誰かの質問に答えたら「副部長でしょ。私 知ってるよ?」と反応された。部長は門弟先生らしい。門弟先生も青年会員ということなのだな。.....はァ。部長だろうが会長だろうが副部長だろうが副会長だろうが、ほんとどうでもいい。僕が少しでも地位を高く見せたいゆえにそう答えたと脳内でなっている。有り得ない。要らない。二世の価値観だろう)。
やるか殺られるかの厳しい世界を生き抜いてきた女とうまく関わりながら褒めることのできる女の人はすごい。かなりすごいスキルだ。男性脳の自分には脳細胞の無駄遣いに思える。
いいね! · 返信 · 7月20日 22:14 · 編集済み


490 名前:ナナシンクロニシティ 2017/08/13 21:41
4週間か5週間前、夜中にモラハラが家の前を通る夢を見た。目が覚めて神棚に「覚えておくように」言われた(と思う)。次の日、その通り沿いの玄関のドアの左右に水の入ったいろはすのペットボトルが置いて(捨てられて)あった。偶然かご縁か。見回りに来ていただいたのだろうか。
今日は父親のクラウンが盗まれた。
埋め合わせが生じたとか言われそうだけど、こちらは何も危害を加えていない(常に被害者だ)から、これから埋め合わせが生じるだろう。方位等の埋め合わせがあるとしても限界がある(やっている事や陰徳は無視か)(師匠も暗剣殺と五黄殺は避けた方がいいと言っていて自分はそうしてるし弘法山遍照寺で方災厄除けもしている。家族の行き先も偶然かお導きか地図で確認したものは避けられている。オカルト的な理由付けは無限に出来るので、神社仏閣の拝殿で諮って自分には分からないことはお任せする。自分の前世まで把握している神様仏様なら本当の事がわかるはずだから)。
自分が思うに原因は結構鮮明。先日イベントリーダーに「派遣制で期間を設けて奉仕をする事ができればいい」旨を伝えたら、理由を聞かれて「やめる時になってなにか言う人がいるから」と伝えた。誰がそういう事を言うの!?聞かれたから秋〇様と伝えた。他にもいるが。その事がお寺の長から本人に問われているかもしれない。そのモラハラは付きまとい系の信者で、家の前を毎日通り(本人曰く)、車が止まっていることを確認している (優越感)。古い(笑)クラウンから新しいクラウンになった時はすぐさま言ってきた。(そういう風にコントロールする)
昨日はまだ生き霊の影響もあり一日中欝だった。神棚の御饌を取り替えたらその霊気で楽になったが、なにか恣意的なレッテル貼りをされていたのだろう。自己愛性パーソナリティ障害(のケが濃厚)の口煩いカメラマンの古参は「ここまで成長をさせていただいたのに仏様に申し訳ない」「後釜を作らずに辞める人は子孫を繋げず...」等々と因縁を吹っかけてくる。それを拵えて遠距離わざわざ持ち運ぶ役割の御霊もいると思う。モラハラはハッピーかいの休憩中に木と木の隙間からじっとりとこちらを陰湿な目で伺っているし、奥さんもちょっとすれ違うだけで拾う。後ろからかなり重いのが入ってきたと思って振り返るとこちらを見ていた(勝手なことを話されて世界がそれで成り立っている) (自分の家のシャッターはいつも閉められている。なぜか)。新しいクラウンにはかなりの因縁をつけられていたと思う。また父親には守護がないからそういう時に盗まれる。盗んだやつが一番徳を積んでいるのかな。「有馬君に気づかせるために良い行いをした」と。
師匠は「信仰を取りやめしたら、なにか起こる」と言っていたが、神仏が罰を与えるわけでないのなら、裏切り者のユダにたいして我慢ならない取り巻きの霊性が 徳 との相殺で罪を働いてくるのだろう。(以上想像)
法隆寺は1年だけ御札をお祀りした。返しに行った時はすごかった。金堂には入らず拝殿から名残惜しく祈ってたら延々と黄緑色のオーラがフローしてきた。1年だけどよい思い出になった。それは初めに「1年だけお祀りします。よろしくお願いします」とたしかに取り決めて伝えておいたからだと思う。
クラウン一台分の埋め合わせはこの先 楽しみにして生きていこう。
いいね! ・ 返信 ・ 7月27日 7:32 ・ 編集済み

昨日は昼食中に妙な事を言いながらいきなり同席してきた。「弟さんにはよく会うよ」と陰険な顔つきで言ってくる。辞めようとしても無駄なのだよ。「鏡の間に桜吹雪がたくさんあったでしょ」。1人で鏡の間でうろちょろしていたのを聞きましたよ。「五万石が金曜日にあるけど参加する?」(勧誘支配すると同時に祭りに誘っただけですよと言い逃れ出来るようにしている)。有馬君のことはすべて見抜いているからね。ということを何度も何度も伝えてくる(それがモラハラの生業だから)。その後小学五年生の女の子と一緒に作業をしていると上機嫌な風情で「有馬君よかったねー優秀な子に手伝ってもらえて。」と急に接近してきた。それはガスライティングの手法だろう。もう岡崎本堂の管長様も引退して現場にいないし、彼はやりたい放題になる。
お寺の信者の中には、前回会った時と急に態度が変わる人がいる。半数近く。それはいろいろな疑いを持たれているからだろう。いきなり桜吹雪が崩れていた。有馬君は1人でうろちょろしていたけど有馬君は青年会の灯篭を確認してみえたはずですしね。(今回はそれは被害妄想で、モラハラ本人に「なにか問題があったかのようでしたけど」と追求してしまい、ガスライティングの材料を与えてしまった。最近の有馬君ちょっとね、そっとしておこうね。サークルでの不手際を森田さんによく謝られる)。そういうのが通用する人と通用しない人の両極端に分かれる。あまり話したことのない人には疑いが積み重ねられている。よく話す人でもドロドロした話が苦手な人は洞察力がないから、あぁそういう事なんだ、と誘導される。
いいね! ・ 返信 ・ 11時間前 ・ 編集済み

今日も色々とむかついた。会館で音響やってたけどモラハラが「マイクの音が小さい」と陰険な言い方で言いに来た。それは別に良いけどなにか会館の音響に問題があると話題になっていたようでやっぱりそうなるわなと思った。マイクの音が小さかったとしても1dBか2dB程度。その1dBか2dBの音量バランスの悪さについては以後気を付けないといけないと思うけど、そのようにあら探しをして全体的には問題なくうまくいっているものを大々的に問題視して、まるでその日奉仕をする価値が無かった(あんな心掛けでやっていて徳積みになっていない)かのようにもっていかれる。
あとアンケート用紙の回収係がモラハラになっていたけど、これは相当問題がある。なんで「舞踊部の部長様」に預けることになったのか。アンケート入れの箱だと逆に誰かに読まれる危険性があるからかな?しかし信用を置く人を間違えている。あの人は全員のアンケートを読んでいるはず。なにか自分に引っかかることを書いている人には以後陰湿な仕打ちが待ち構えていることでしょう。
という事は青年会の係の門弟先生にLINEで送っておいた。お疲れなのに申し訳ないし、毎回こんなことを送っていたら怖くて仕方ないだろう。でもお寺のレリハラやガスライティングを放置(或いは正当化)した結果、今があると思うので、伝えるだけは伝えた方が良いと思う。なにも情報がないのでは対策の練りようがない。そんな事があるわけないと思ってる。またそういう事は成熟した大人には言えない。気づく人も非常に少ない。
いいね!他のリアクションを見る ・ 返信 ・ 8月7日 10:01 ・ 編集済み

整膚のBBAがまた自慢話をしてきた。僕は派遣で働いていて苦労をしていないから職業で見下されている。見下された時に、その人の本性を知ることになる。その人が普段なにを考えているのか。それの受け皿になる。奉仕もしていないという前提で「すっごい久しぶりの奉仕」と即座に反応してきた。前提にあるものがおかしい。無職になってから急に態度が変わったのでそういうところで優劣を測っているのだろう。自己愛性人格障害は定年退職をしないで居座るが、忙しい自分でないといけない。
偏見の目は診断にも表れる。行きつけのタイマッサージの方(おばの同級生)は「今日は肩がこってる」と言われ、接骨院でも「肩がこってる」と言われ、美容院でも「コリがヤバい」「MAXで揉みましたよ」等と言われている(その自覚がある)最中、整膚の渡辺さんは「全くこってないわよ」(貴方は何も苦労をしていないのだから)と馬鹿にした口調で言ってくる。偏見のない真面目な人は共通することを言うのに、偏見の目で人を判断する人は逸脱したことを言う。(そして共通の認識を持たせようとする)。
今日の話は1年半前に聞かされた話だが、娘はブラックに勤めて、かなり仕込まれた話を聞かせられた。その仕込まれた高いスキルを買われて今は三井造船に事務で入ったらしい。それだけスキルが高いの。このお寺でも短い間だけどバイトした事があるのよ。すっごい厳しかったみたいで、背筋もピンと伸びているのよ。管長様にも認めて頂いてるの。ブラックに3年務める以前は保育士を8年間やったけど、娘は 完 璧 主 義 で仕事があると徹夜でもやっているくらいだから、体調を壊してしまったの。ピ ア ノ を や っ て い た か ら 完璧主義なのかなぁ。保育って割り切れない仕事なのよ。だから合わなかったのかしらね、保育士は辞めてしまって、「ピアノとエレクトーンが無駄になっちゃったの」。←念を押してきた。今は弾いてないってことは「音楽は好きじゃないんだ」と僕が言ったら、ショパンは昔、弾いていたのよ。ショパン。「僕はドビュッシー派」だと答えたら「あぁ、技巧派の」と知ったかしてきた。僕がクラシックに詳しいなんて思いもよらないんだろうな。派遣だから。しかしドビュッシーの何が技巧派なのだろう。クラシックファンの中にドビュッシーを技巧派だという人はいないだろう。ショパンなら技巧派と言ってまだピタっとくるけど。「ドビュッシーはJaponismの影響を受けているから曖昧で抽象的で、技巧派ではない」と答えたら、いやだから「繊細な、という意味の」と言ってきた。は?。リストには超絶 技 巧 練習曲があるけど。どういう意味のなんだろうか。音楽のことなど何も知らない。中身スカスカ。娘はピアノを弾けるのよ。今は残業したら駄目な会社なの。語尾に「だからすごい」が付いている。
キリスト教に「あなたは花の名前は知っているけど、花を知らない。」という言葉があるけど、そんな簡単な言葉の意味も理解できないかもしれない。それくらいに中身がない。スカスカ。ショパンが弾けるのよ。ではショパンの音楽とは一体なにか。あのBBAは音楽に聴き入ることはあるのかしら。一瞬でも聴き入ったら言い聞かせてやろう...という目付きになってるだろう。そんな奴は存在自体が音楽に対する冒涜だ。自分を着飾る材料しか見ていない、ショパンの心臓を埋められている祖国ポーランドのワルシャワの教会から、それを破壊して奪ったヒトラーのほうがショパンをわかっている。わかっているから恐れたんだろう。内容の分からない人は、それを軽んじる。もう娘も(三井造船で周りに恵まれていて)最近 全 然 弾いてなくて、 ピ ア ノ と エ レ ク ト ー ン が 、 も っ た い な い の !! ! !
いいね!他のリアクションを見る ・ 返信 ・ 8月9日 12:35 ・ 編集済み


491 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:22
子供を厳しく育てるか、好きなだけやらせて育てるか。--- --- --- ---
これは社会性の高い人間に育てるか、知能レベルの高い人間に育てるかの性質や方向性の違いで、どちらが正しいとか間違えているではない。三つ子の魂百までで、厳しく育てれば「親の目」を気にしていたのが「社会の評価」に移り変わる。水遊び砂遊びをさせればその間に知能は発育し (手のひらを刺激すると知能が発育する等)、それが「才能」になる(知能指数はほぼ先天的なものらしいけど)。
反抗期のある子供とない子供がいるが、その違いは「親と子の信頼関係」の有無にあるらしい(信頼関係がないと反抗期は訪れない)。反抗期を迎えた人とそうでない人とで将来の犯罪率を比べると反抗期を迎えた人の方が犯罪率が低いらしい(あくまで統計上)。また、知能指数の高い子ほど反抗期も酷いらしい(反抗する必要性がないような親子関係もあるがそれは除く)。

492 名前:ナナシンクロニシティ 2017/07/30 22:34
高知能な人のほうが孤独を好む傾向があるらしい。
http://blog.esuteru.com/archives/8541715.html

宗教とかの団体に所属する人が「皆と共同作業をすると、不思議と家庭もうまくいくようになる」とか言い始めると鬱になる。それも一理あると思うけど同じ価値感を有するもの同士でしか成り立たないし知能レベルが乖離していたらどちらかが無理してる。
それに (重要▶)自分が人に何かを勧めるのなら、自分も人から何かを勧められないといけない。それでやっとフェアなトレードが成立する。

人になにかを勧める場合は、3言以上話したらいけない。ある式典のお楽しみ会にて、最後に司会の人が、自分がこの会に入った経緯、入って良かった事、こんな行事があるという事を、会をアピールするために話したら、3事目から空気が急に冷めはじめた。まだ続くの?せっかく和気あいあいとしてきたところだったのに・・・。集められた人は会に入れさせるために設えられた場所だったのね、と理解し始める。2言で終わっておけばよい。3言目から急転する。その空気を読める人が、信者にはいない。司会のスピーチを聞いて、大勢にアピールできて、満足している。なにごとにつけ人に勧める人は常に気分が良い。その間、お客様は日常とは異質の場に監禁されている状態なので危機感を募らせている。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 4月19日 15:02 · 編集済み

「知能レベルの高い人ほど怠惰である」というデータもあるけど、万物は流転するで、身体を動かさないと身体に連動する機能は失われてゆく。人類の脳みその容量は何千年かのうちに30%程度軽くなっているらしい。
いいね!他のリアクションを見る · 返信 · 3月27日 23:18


493 名前:ナナシンクロニシティ 2017/10/24 18:52
高知能の人の方が、人や物事を信じやすい。一つの理由としては 人や物事を理解しやすいから。ある種類の精神 (たとえば環境保護への精神) を理解しやすければ、体得しやすい。車を持っていない人が「環境に悪いから車に乗らない」と言った場合、その精神を理解しにくい人は「あぁ、車が買えないことの言い訳にそう言ってるのだね」とか「そういう理由を用意しておけば車を持っていなくても変には見られないね」と納得しやすいように判断する。でもその精神を体得しやすい人は ふつうに納得する (環境保護に関しての意識にはジェネレーションギャップもあるが。たとえばHONDAのマーケティング調査を参照)。

494 名前:ナナシンクロニシティ 2017/10/26 12:39
学生に授業で、鞭打ちされたり指を落とされたりして拷問されて叫んでいる人の映像を見せると、ほとんどすべての学生は「その人がなにか悪いことをしたから」といった解釈を付け加えるらしい。宗教団体の成り立ちや仕組みに通じる。原罪とか先祖の因縁など。その人が無条件に苦しんでいるなどとは思いたくない。なにか罪がなくてはならない。老人の場合、自分が一番苦労をしてきたという前提を壊されたくない。それで納得のしやすい方にもっていく。あの人には 先 祖 の 因 縁 が あ っ た か ら !

495 名前:ナナシンクロニシティ 2017/11/03 11:22
不幸な人や社会的弱者には憐れんで募金するけど、幸せな人や社会的強者にたいしては攻撃的になっている。なにか不祥事を起こしたらカモになる。そういう傾向がある場合、憐憫の方も自己愛からきている。

496 名前:ナナシンクロニシティ 2017/11/10 17:34
よく褒める人も心の奥底では否定的なこともあり(かなり多くの場合そうだが)二人になると本性が出てくる場合もある。
人間だもの、どこまでプラスを積み重ねるかだけど、ほめてきた功徳はけなす悪徳で埋め合わせられる。
ただ、今までの反動で否定的な文句を相手に言い聞かせて、ほめた徳は失われるが、仏教やって無駄だったではない。
ほめてきた期間の修養分だけは自力として残る。

497 名前:ナナシンクロニシティ 2017/11/10 17:38
誰にでも人に言い聞かせたいことがあるが
その言い聞かせたい内容にその人柄が出る。
表向きのふるまいにもその人柄は間接的に出るが。

498 名前:ナナシンクロニシティ 2017/11/10 17:53
昂った使命感を以て他者否定をよくする人がいる。
また、宗教には教えがあれば差別が生まれる。(差別=強烈な他者否定)
その裏にあるのは強烈な自己肯定。その使命感だとか教えによって自己を肯定している。
独身⇔既婚 低学歴⇔高学歴 社会性の高さ⇔低さ
なにかを否定する際、裏には自己肯定がある。
低学歴の人が、高学歴の人がやっているように低学歴を否定することはないでしょう。
それによって自己を肯定してきた過去の積み重ねがあるからそれが生まれる。
結婚30周年=独身を下に見てきた過去30年の積み重ねがある。
「自分たちは苦労をして今の夫婦仲を形成してきた」
といっても個人差がある。↑も自分たちの問題で終始する場合があるし、他者に仕向けられている場合もある。
また他者否定の度合い、言い聞かせたい内容の度合いに比した度合いの自己肯定(自己愛)がある。
それにおける一生分の他者否定の量は、幼少期にすでに形成・決定している。

499 名前:ナナシンクロニシティ 2017/12/05 21:47
ケチか否かは、金離れの良さでは決まらない。自分のためになら残高ゼロになるまで使い続ける。
利他をするときに金離れの良い人がケチじゃない人。
この前「ウルトラマンの森」に寄付するとき、自分の場合、かなり努力をして2口投入した。お賽銭なら結構よろこんで500円とか小銭入れすべてを投入とか出来るけど、これは見返りがあるからでもある。心のどこかでそう思っているし、実際、この前も岩津天満宮で1万円のご祈祷をしたらかなり大きな御稜威をいただけた。すごいパワー。貧乏根性で普段している昇降参拝より気合をいれて姿勢を正して集中力MAXで祈ったからでもあるが。でもウルトラマンの森に寄付したって、自分が植樹したものが50年後子孫をつないでいるとは限らない。数年で枯れているかもしれない。日常生活で納豆のトレーとか水洗いしてちゃんとより分けるとか、自家用車になるべく乗らない等の積み重ねの方が環境には貢献していそうだ。でも「自然環境のことを思ってはいるが実践できていない」という人の場合は、その心のひっかかりを取り除く作用はあると思う。お金を払ったから赦されるという気分がある。

500 名前:ナナシンクロニシティ 2017/12/05 21:03
平均値が問題。
一時的に良くても人生を通して良くなければ平均的なのかもしれない。
おみくじを月に3回ずつ引き続けて、人生のトータルで大吉率が何パーセントかが、その人の人間の器かな。
一度や二度、苦しい経験をしても、すぐまた元に戻る。人生を平均するとどうなのか?

501 名前:ナナシンクロニシティ 2017/12/09 13:34
痛い目に遭ってから「それはだめだよ」と教えた方が良いのかな。
子供にダメダメ言っていたら叩くようになってきた。

502 名前:ナナシンクロニシティ 2017/12/09 15:41
神社仏閣は観光客が集まると、珊瑚礁の海のように、霊気はどんどん濁ってゆく。
透明化する努力、掃除等をすればいいのかな?

274/1000k

■掲示板に戻る■ 検索 全部 前100 1- 101- 201- 301- 401- 501- 最新50 新着レス
名前: 〔空欄〕:
メッセージ:


投稿する前に
Ctrl+A→
Ctrl+Cしておく
〔空欄〕:
 sagestay等幅画像投稿パスワード:

- Flash CGI/Mini Thread Version 3.31β -