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洗脳の角笛
1 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:39
 

    
 

101 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:26
被洗脳を押し付け続ける非洗脳も被洗脳原理主義。
システムを解さない者に対して直情的になり
相手が要求通りに原理主義であることを認めなければ
▼視界に居るもの=被洗脳者という結合
その結合が原理になり直情性も相まって加速する原理主義。
次に出てくる言語はその既成被洗脳への既製軽蔑用語。
世界は己の描いたとおりでなければ成り立たない。
譲歩できない頑固さが原理主義の特徴になる。

102 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 01:28
人は自分と同じ事を言わなければ気に入らない
食い違っていれば気になるというだけのこと
他者解離性が自己に結晶化した時分に於いては
もしも他人が自分よりも高尚なことを述べでもしたら
その瞬間から腹蔵の黒いエキスは|管|を伝って心頭へ

103 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 21:18
あの世でまた会おうね
といえばあの世でもうまく会える、が、当然この世のようには会えない、しかし、そういう意識がないからこそ、崩れずに会えるのである
それを純粹自然な信仰[=交点]だという

104 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 22:45
物理學では記号を交点とし
西洋哲學では言語を交点とし
芸術ではミュトスを交点とし
宗教ではアウラを交点とする。
結局は信じる處を交点としているので、
すべては循環論法のうえに成り立っているともいえる。
しかしその交点を無くせばリジン化する。

105 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:21
循環論法は搦め手にも使える。
「自覚症状がなくなってきたら末期」

106 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:05
今の自分を批判されれば怒る。でも過去の自分のことならそれほど怒らない。
自我に密着した批判される側面が、早く消えうせればいい。

107 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/22 01:20
自己宗教の枠組みから脱せなければやがてそれに束縛されるのは、たとえば恨みなどの根深い感情は、肯定されやすいのに似ている
自淨のない者を潰すのは簡単なほうだ
潰し合わせればよい
たぶんアプラクサスはそう言う

108 名前:ナナシンクロニシティ 2008/03/23 00:36
何かを肯定するエネルギーと
何かを否定することを肯定するエネルギーの総量はイコールになるのかな。
だとすると~は惡と必死になって戦っていることになる
聚が友愛を確かめ合う量が、癒着のしつこさを超えれば‥

109 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:07
破壞された遺跡の写真からは怒りが表れてくる
その遺跡を供養するためには、一生を費やすぐらいかかるようだ

110 名前:不瞋恚戒 2006/11/19 21:09
叫ばないことが自殺予防にはよいこと。
過激になると腦はそのストロークに準じて蝕まれていくようで。
逆によい睡眠や忍耐、神仏からのホルミシスをいただけば
腦は平靜さと濃密さと繊細さを取り戻してゆく。

111 名前:Mental disorder 2006/11/26 01:19 [URL]
思想的な食い違いが生じても、普通の人はある程度讓歩することができる。しかし衝動のコントロールがうまくゆかず、相手を損なう(かつ救わせない)ための最も攻撃的な表現を用いてしまうような態度が多く見られるようになると、パーソナリティ障害を疑われる。慢性化すれば意味のない主張にまで内なるテロルが含まれている。
対処療法
高照度光療法で徐々に親和させてゆくことができる。

112 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:37
神はいないを熱烈に信仰するあたりに反動形成を見る。自分と他人を滅ぼす以外の何があるのか。まさに部落的発想。友だちのバスケ部遠征の話を思い出す。
感覺の幅は昔の人のほうが広いということも解せないだろう未発達では。今は脳に''阻害''の多い時代だから仕方ないが。ましてトルエンに蝕まれてしまったものは。

113 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:41
宗教問答を完成していない場合はいずれ宗教問答をするようになる。(ゆえに人は何にも気づいていない無自覺に生きているようにも映るが、それは單に宗教的に覺醒している時間帯のズレである。)
問答は形のないものを対象とするので信頼関係が必要になる。が、人間不信のばあいはその問答はやたらとくどく長くなる傾向がある。わかったから… 。
いつまでも理解されていないつもりでいる疎外の時代。

114 名前:ナナシンクロニСティ 2006/11/21 02:05
バランス感覚という言葉は2003年のBBSによく使っていた。その手のものは美意識に反したので殆ど消したが。なぜ感情的にバランス感覚について連呼していたのかというと普通すらもおかしいものとして観る自己肥大した思想因果のうちにいたからだが反面、結局はバランス感覚とは無我のうちにしかないもの。天秤を根深いマナ識で操作してしまううちは自然ではない。普遍的でない。自然はそのままのうちにある。自然そのままに発育してきたもの、無意識の主観までも投射・反動形成し歪ませているのは人間くらいである。

115 名前:因果応報の無化 2006/12/02 01:45 [URL]
カルマ'は斷片的にしか解釈不可能…塩基配列が読めるレベルの人ならまだしも…
因果応報とは不確定要素の多すぎる天氣予報的な現象のことであるが、因果応報という思想にあたる殆どの者が、天氣予報を信じる馬鹿は報われないといらんお世話を妬いているだけであった。
論理的には二律背反の世界。五体不満足だから前世で悪業があったと断ずるのは短細胞的すぎるしそこまでの一面的断言者(教祖の劣化コピーは除く)はあまり存在しないだろう。カルマは'存在する'。神は'存在しない'。ならわかる。普通は'その'障害の原因には前世のカルマがあると言う。(しかし前世なんて人は軽腰に引合いに出しているけど現実それはダイレクトに読めるものなんだろうか。物語や比喩にマジレスする器についてはそれ以前に頭を疑うが、浮ついてる。現世に継続してきたスペクトラムから推察はできるのかもしれない。でも智性の高い者ほど逆にそういうことには興味ないだろう。)(またネガティヴな人は前世とかカルマについてとやかく否定(肯定)しながら修行を目的する慣性からその生き方を選んだ等という発想が殺されているのは共通してる。)(人間本来の純粹さが損なわれていないこと、足りていること・命の大切さを悟っていることについても触れられてない。)(道を歩くだけでも人々に教訓を與えながら歩いていることについても、感性無化では避けられる。)
人間不信の人は人の実際(実状)より不信を深めるから安心できない。これはかなり直接的な因果応報だろう。
カルマ的な障害があるとしたら…母親が身ごもっている間のカルマ・病障が強ければその催奇形性に比例して予定(通常)より変な子が産まれてくる指数は高まる。だから結婚式は神社がよいというに。身ごもっても感動がなければあれだが神社にいくといいのに。法則は確實なところから攻めるべき。
世界が言い表せないのならカルマにも多種多様な要素がある。憑きものの世界においてはカルマの人はだいたい悪い衝動に負ける。良いものまでかなり悪く毀損するからギャップが深まり悪化する。その信仰を維持しなければならなくなるので深みに嵌る。
一般的な人が幸福な無知のうちにいるように見えるがそれは'衝動'の裏返しでもある。その時期には自分が解放されたくてルサンチに同意をするもので、論理もそのように形成されるものであると思い込んでいる。精~力に乏しい人は自力ではなかなか払拭できない。

116 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/02 02:21 [URL]
自分は寺で身辺の魔払い(茶葉とあわせて五百円)をしてもらい一瞬で払拭できた。そのときのゴールドのメラメ〜ラはよかった。これが100%プラシーボ・幻覚なら100%自力ということにもなる。もとから霊などないのなら。しかし「口先ではなんとでも言える」が口先ばかりになればその人の本質は発育しなくなるのだから、それはそれで願望に沿ってることになるのではないのだろうか。今の感情的安定不安定が全ての人はそういう先々のバランスまで読めていない。

117 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/14 22:38
世の中に恨みを抱いている人を怒らせるとその怨念は正當化されてしまう
たとえばこの前電車で見掛けた(偶然にしてはちょっと出来すぎているかな)人は優先席で携帯を使う人を見た瞬間に蹴りあげて「それはどれほどの電波をだしとるんだ!!」と次から次へと条件反射に怒り散らしてたけどあれは壮観だった‥いや失礼そのとき因果応報を見ていたわけだが自分自身にはペースメーカーを使う原因はないようで‥‥家内かもしれないが原因はなんなのでしょう‥‥いや物扱いじゃまた社会の冷たさが身に染みる‥「警察呼びますよ!」とキレてた虎柄の女も將来は同じ種簇だけどDVは一生付き合わなければならないもののようで(条件反射がなかなか治せない)社会が悪いと自分も治らないわけなんです。DVの次にペースメーカーがくるのは紛れもなく因果応報だった。

118 名前:Hegel "向自有" 2006/11/22 02:00
變化は或る物がそれ自身に〔それにおいて〕(an ihm)もつところの「否定の否定」(das Negiren des Negativen)であるから、ここに向自有が生ずる。云いかえると、規定性は或る物が自分自身に〔即時的に〕(an sich selbst)もつところの内的差別性として、或る物の區別の相における自分自身への關係にほかならない。すなわち、或る物は向目的にある。

119 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/30 01:14 [URL]
腦は噐質的障害があれば精~病になる
自覚できる問題だから人格障害になる
哲学も宗教も藝術も
欠落に気附けるか否かが道の分かれ目になる

120 名前:杓子定規⊂⊃解離性障害 2006/11/30 01:13
当たり前のものを当たり前と認知できなければ、機能障害となる。宗教はその当たり前の認識から始まる。だから宗教と心理学は結構ストレートにつながっている。哲学の場合は主に懷疑や否定から始まる。もちろん同じ處には行き着くが。独学で間違えると病気になるのもまた共通。器質性障害にはならないので自覚できる筈だけど、誤った信仰・自負があると症状は長引く。

121 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:16
絶対精~や自然精~が得られた上での道徳批判ならわかるが、たいていはご本人が病氣で崩御している
道徳に批判されるから道徳を批判し因果応報に批判されるから因果応報を批判しかえす
そこまで墜ちるほどに運の悪い人なんだろうか

122 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/29 00:23
「苦」(現代風に言うストレス)の原因は今やパーソナリティ障害によるところが殆ど。
それらを滅諦していくことが要になる。

123 名前:無有恐怖 2006/11/30 00:50 [URL]
布教に弱いのは「ストレスへの弱さ」から来ているのかもしれない。押しつけられることにすごい構えてしまう。無有恐怖の恐れとは、そういう恐れのこと。
そこで不飲酒戒。ストレスを溜めている人が酒を呑むと悪くキマる。そのアルコールは精~を、解放以上に悪化させるから、最大多数にとっても害毒になる。その害毒が放たれて他のものに伝染る。原因は社会のみでない、己のうちにもある。自分さえしっかりしていれば、些細な物亊に拘らず、はっきりと断れるだろう。もちろん正當防衛もあるが、恐れがあるから燬損をする。

124 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:55
思えば酒を勧める行爲も布教活動である。出来上がってる世界だから盲点であった。
さて酒について
みいずや仏の光は遺伝子を構成する素粒子まで浸透し、効き目は三日間にも及ぶが(まがつひならもっと持続する)、アルコールは三時間しか持続しない。しかもシナプスの活動を怠惰にして去っていく。比例して概念や感覺は薄まる。多くの量を飲み続ければ抽象性は簡素な抽象性に、さらには言葉になりさがる。
抽象行動が解せなければBaudelaireの授業にはついていけない。語学力で單位は取れるが。また人とも、言葉の概念の幅が近視眼的に狭ければ、概念と衝突することだろう。それはほんとマジなのかという読解力に悪意のないところが現代人の特徴。
負の衝動は、他人の考えを気にする度数とcapacityの狭さとが乘算されて強まる。他人の考えなど気にならない質の人ならいいが、酒を止められないのなら、お互いに諦めたほうがよい。酒を呑むのなら他人のどうでもよいことを気にしないことだ。

125 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 17:41 [URL]
人が至れる次元は人によりけりになる。しかし自身が至れる次元の10パーセントにも今生涯で至れないだろう。脳細胞においても、アインシュタインで7%の活動だったようだ。統合された7%のみが常時平均賦活されている。普通の人なら夾雑物まみれで3%がよいところだろう。被洗腦論の虚無においては、萎縮すらしているかもしれない。
限られた時間と感受性。どこまで他者のどうでもよいことに構わずに歩いてゆけるか。
ストレスが増えれば食欲がなくなるのに見られるとおり、努力をすること以上に努力が*できることこそ、大切にすべき観点である。
衣食住の不備やら生まれもった素質の限界以外に負の人間關係も目的には大きな弊害になる。低磁場が腦細胞のDNA損傷を誘発したり環境ホルモンや不自然人工物が伝達を阻害するのは諦めるしかない。でも怨念や霊障や煩悩ぐらいは軽くしておいたほうがいい。お互いの進歩のためでもある。

126 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:25
過程の人には過程のものしか見えない。
もちろんすべての人間は発達過程だが、それ以上の亊は語れないし、同じ発達未満と同調する。

127 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 21:25
世の中には特別に優れている者と特別に劣っている者がいる。共に他者に理解されず共感すらされないので、孤独である。共に、逸脱している。片方は人格障害となり片方は天才・鬼才となる。それを判断するのが漏尽通というもの。自分は孤独なのだと同じ亊を言っている人間などいくらでもいる。

128 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/11/13 21:55
すべてが自分に關係ないものとして生きていれば、主義主観に傾倒せずに済む(一切は空)
怒りに囚われて怒りを繰り返す人は、主義主観(色)に囚われている
現實は不立文字(空)なのに、文字列に条件反射してる
文字でなければ、一体何に反応しているのだろう

129 名前:七シンクロニシティ 2006/12/10 02:16
少しでも陰氣ないざこざが減ればそれだけでも存在意義があること思う。無駄な精神コストを省けるので。旅行や散歩を楽しんで少しでも祓われてこれば、神社に行く足も無駄じゃない。精~科に通う必要のある人が行かないので、代わりに誰かが行くことになるのは心理学の世界でも霊の世界でも変わらないけど、全体を思えばそれも功利的かな。

130 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 02:20 [URL]
あえて呼ぶ「霊氣」というものは、否応なしに浸透してくる。それは「霊性」というものを形成する。栄養と同じく。信じていなければ、浸透はしていても、なんでもないというだけの話。栄養と同じだ。でも「信仰」と「智識」はあったほうが腑に落ちることも多い。亞鉛を取れば性欲が沸いてくるのは確かだ。霊氣の影響を受けた脳の波形が1247α54なら、意識が1247α54に並んだときに'氣'づき、理解したとなる。
波形が維持されてるのは直靈3日、禍津日なら30日。眷属が来ている場合は別で、カルトの眷属は何もしなければ3年はついて来るだろう。そのたびに宗教へのむかつきが嵩じる。その辺すべて経驗してる。普通の仏閣でもこれはあった。何がいるのかは行ってみないとわからない。自分とシンクロニシティしたものが来る。
ほとんどの人が語るだけで語るだけなのは宗教嫌悪者のいうとおり事実で、インターネットの掲示板では潜んでる障害・病理の感じられない宗教人のほうが稀だった。宗教嫌悪者も、その精~基底には結構病理が潜んでいるけれど、精~に深く介入していない分よいのかもしれない。


131 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/11 22:24
仏教に通有するのは固定して囚われない態度。難思議なるものに委ねる。宗教侮蔑用語の「信じる系」は観念派の異議と同じになる。

132 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:33
プルシャ(真我)にはマリファナなしには至れないとも言われている。
一時的に精~が失調したとき、そんな状態を体驗することはあるにはある。
本来は正しい修行によって至る継続的な状態。
本当の自己を見つける努力のたまものである。
我々は細胞で認識し、語っている以上、身体を使った行法は必要になってくる(精~的な行;認知療法も大切だが、身体のほうが正直だ)。生活リズムや栄養のバランスを崩すと、虫の居所が悪くなる。
一酸化炭素を酸素の50倍の勢いで取り込んでしまう赤血球
悪は爲し易い
でも時間と共に血液が淨化してくれば、比例して氛もすがすがしくなる。伝統的な行法を習得すれば、霊性は効率よく向上すると思われる。もしもプルシャに至ることができれば、さぞかし人生樂しいことだろうなぁ。

133 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:34
人によっては「神への祈り」はひとつの修行法にもなる。自己の壁を取り払うための。
信仰に至った人のうちの一部は、散華した經験に基づいている。

134 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:27
名前は顔に統合されているが、文字だけで顔のない交歓では、非我がそこに現れる。
猜疑心を與えられると、自分に向けられる目の数は倍数になる。4つとなり8つとなった。
それがポケモンに囲まれているような非我ならいいけれど。

135 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/22 02:27
「仏教は、先祖供養を商品とした、ネットワークビジネス。払った金額で、位牌供養の格附けが決る。菩提寺にお金を払わないということは、先祖に対して粗相するのと一緒。仏罰が下るということになる。だから、抜けられない。でも、今は家督制度が薄くなり、先祖供養という認識も薄くなってるから、お寺のネットワークビジネスも崩壊の一途を辿ってるのが現実。まあ、霊障とか祟りとかねも多いよね、かれらは。因果応報もそうだわ。」

葬式仏教はダシにしやすい。経濟教の洗腦ではすべてがこの考えになることもたしかだが、その思考方式に合わせたシステムでしか解釈されていないので、ある意味論理的には完全性を帯びているが、空性とはいえない。葬式仏教はマッサージと同じだ。自分でマッサージ・ストレッチするならタダだが他力でやってもらうならそれなりの対価;信仰は必要になる。
仏の力を借りずに成仏相応の安らかさを得ようとするんなら、それなりの阿頼耶識形成は必要になってくる。懺悔も浄信もそれなりの行いもなしに、心澄み渡ることはない。

136 名前:決定係数 [日照時間] 2006/12/04 07:48
                北日本
日照時間と腎不全(男性):0.53:負の相関 (西日本0.25、全国0.01)
日照時間と自殺(男性)  :0.55:負の相関 (西日本0.06、全国0.22)
日照時間と胃癌(男性)  :0.11:負の相関 (西日本0.07、全国0.01)
日照時間と脳梗塞     :0.28:負の相関 (西日本0.24、全国0.07)
日照時間と不慮の事故(男性):0.23:負の相関 (全国0.00)
(この不慮の事故というのが気になる。)

137 名前:ソーラーエネルギー 2006/12/02 00:24
地球上のエネルギー殆どすべてが太陽からきてる
最近太陽を熱利用で工夫するパッシブソーラーシステムも増えてきている
太陽電池は発電をしているのでアクティブソーラーシステムといわれる
ソーラーシステムより葉緑素のほうがあらゆる面でいいけど太陽光を無駄に消費するコンクリートを覆えるところがいい
太陽を無駄にしないことが最も肝要で海の水を砂漠に持ち込むエネルギーを生み出せればそこの土地も動植物に活用できる

138 名前:踊るシヴァ~χ 2011/05/30 14:00
先祖の先祖の先祖のまた先祖を辿れば2の何乗もの血縁としての先祖がいる
内縁としての先祖も含むともう日本全国みんな家族同然
またやDNAの原始まで辿れば世界じゅう皆兄弟ということになる。
その原始を生み出す力の方に、神や阿弥陀仏がいるわけだが
先祖までしか想像力や功徳力が働かないのが通例
そういう理由から先祖供養とか葬式仏教という形となっている
実際、死を目の当たりにしないと、そのような宗教性を、人は得ることはない

139 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/11 18:51
どうせすべてが集団幻想(蔑語の暗喩)のうちにあるのなら、よいイデオロギーをもっていたほうがよい。
すべては妄想なのであるのなら、厭世に感応するより、そこは鈍感でいて人の善意に反応し、自分の感傷に浸っていたほうがよい。

140 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 03:00
邪見を満たす読書をすれば、余計に邪見にまつわられる。よく「一人でいると目が釣りあがる」その例を見かけるが、おそらく邪見ゆえ。いや僕の邪見だろうか?
30代で哲学の発達はほぼ終了する。知識は増え続けるが。卒論の教授もそれまで海外に出かけたりして勉強をしていたのだっけ。だからあんなに尊敬できる人になった。東大の花形の学科の卒業生だし、もともとの素質もあるのだろうけれど、行動力が伴ってる。現実の世界に触れてプレジオジテされている人は現実がブレないから読書をしてもあまり邪見には纏わられない。
高校の英語の先生も何かに小説を投稿したようで、入撰したら一緒に焼肉たべに行きましょう。と既に入撰した設定の笑いをとっていた。生徒に聞かれると授業中その小説の内容を揚々と解説してたりした。授業がつぶれるのでわざと聞いたり。でも落撰して、なんか撰考委員に文句言ってたな。ああいう人たちは***だから学歴で決めてるみたいな。それには少し落胆した。まぁ小説なんて箱庭で書けるもんじゃない。努力才能はもとより、実体験が必要。懊悩が必要だった。恵まれている人には浅い文章しか書けない。

141 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 23:29
怒りにまかせて書けば、その怒りは肥大する。肥大化すれば腐る。
今日一日の感傷を日記に書けば、その感傷はあとあとまで残る。
知識・分析力のある人は説明の時にこそ輝く。詩作で飛翔する'経驗の人'とは反対になる。人間は近視眼的なもので、たいがい文・武どちらかに傾倒しているものだが、双方、ボールペンで書いた日記がそれより飛翔して輝いている状態が理想になる。

142 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 22:31
だれしも自分の思想を真實だと述べている。故に自分の経驗するところでないものは妄想だとばかり言っている。止揚のなされていない論理はただ浅いだけであり、それもまた真實かな。
ただ森羅万象、よくわからないことばかりだが、「世の中わからないことばかりである」と達観をすればよいというものでもない。それは無関心と同じ意味になる。
自分を惹きつける疑問が一つでもあれば、その人は生きていける。

143 名前:本を読む動機 2006/11/18 23:38
あまたある名著も、読み手の次元の低い動機によって、次元の高さがスポイルされてしまう。
見識の証明ために読めば、その人は聞き手を求めなければならなくなる。せっかく得た知識も、話した瞬間に放たれる。
議論の補強のために読めば、その人の自己保身の道具に成り下がってしまう。
社会の逼迫から読めば、その人は余計な知識で大切な想い出を追い出してしまう。
本は、雜念なく、素直に、あくまで好竒心に任せて読むべきだ。そうすれば話振りは分裂性的な違和感なく本当の躍動に満ちていて、肢体不安定な揚げ足取りにいびつに同調する必要もなく、自分の知的な喜びだけは美しい結晶としていつまでも残ってる。

144 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:13
人が神について考えていたら即座にそれを崩壞せねばならないこの精神。ロートレアモンのほうが僕よりはわかっているが、彼は24で原因不明の死を遂げているので、彼に聞いてもその医學はわからないことだろう。

145 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 22:00
人が「最も●●なのは、○○だ」と結論を下すとき、本當にそれが「最も」なのかと疑う。一時的な感情に任せられていないのかと。根源的に変われないと思っている者は変わらない。たいていの人間の主觀は、自己に決めつけられすぎている。

146 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:56
神社やお寺や霊氣の強いところへ行き、3日か半年間ほど、そこの霊性の蔭翳で心情やら嗜好やら支持やら思想・美意識とやらに、變化というか慣性というか性質彩われていることに気付けるのなら、上質な肉をしているといえる。変な思想を持った宗教施設に行ったことにより、そのとおり過激な思想に彩られていることに気付けるほど形而上に客觀性をもった人は少ない。そのときではなくあとからでも気がつくのなら、感覺のよいほうだろう。縁か偶然かは知らないが、名前も忘れたが、あるお寺か観光地には強欲な感じの人間が集まってくるともいう。

147 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:36
佛像にはしたたかな表情があり見る人の行いや心がけに応じて表情が変わる
そういう處に
無意識は反映され
靈は読む

148 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 19:54
人格というのは複合的な要素の集約したもの
水があれば微生物が発生するように
生物は生きることのできる環境では
究極に完成された形へと向かってゆく
もし地球以外の土壌でも進化して人型になるのなら
それは物理的に必然的に生命はそうなるものだと考えるのが自然
宇宙が元々そういうものだと考えるのが自然になる

149 名前:中沢 新一 『精霊の王』 2006/11/19 20:26 [URL]
「蹴鞠が現世によい影響をもたらすとは、そのとおりであろう。
しかしどうして死後のことにまで影響を与えることができるのかね。」と成通卿。
すると別の鞠の精がまじめな顏をして応える。
「人の心はたえず思い乱れ、一日のうちに心に浮かぶ思いのほとんどが、罪の種子となっています。しかし、鞠を好む人は、いったん庭に出ますと、それからあとはただ鞠のことの他には何も余計なことを思わなくなります。そうなれば自然と心の罪はなくなっていき、輪廻転生にもよい影響をもたらす縁が生まれることとなるのです。蹴鞠をすれば功徳を積むことになるのですから、ますますこの道にお励みなされますよう。蹴鞠をなされるときには、私たちの名前を呼んでください。そうすれば、木を伝ってすぐに参上します。かならずご奉仕申し上げましょう。ただしまわりに懸木のない場所でおこなわれる庭鞠は、ご遠慮のほどを。木から離れてしまいますと、私たちはご奉仕することができません。さて、これから後は、ご自分にはこういうものが見守っているのだと、いつも私たちのことを心に懸けていてください。そうすれば私たちはたえずあなたを守護し、ますます蹴鞠の道に上達することを約束しましょう。」
こう言い果てるやいなや、鞠の精たちの姿はかき消すようにいなくなった。

150 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/11/14 19:28
空間とは、物事の単なる背景ではなく、それそのものが自律的な構造をもっているのです。"Einstein"

151 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/18 20:54
神というものを半導体のプログラミングレベルで考えているうちは概念に於ける物質的衝突がある。御名のほとんどはおそらく靈音で決まってる。ほのれびほのれびちはやぶる。古事記は顯界の読み方をしても成り立つことは成り立つが感覺としては甘い。靈のない人は神のストーリーは風のストーリーぐらいに捉えるべきだ。

152 名前:ナナシンクロニシティχ 2006/12/02 02:21 [URL]
あえていう「霊感」における「」とは、色不異空の「」のこと。

153 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:30
キリスト教もコスモゾーン的にわからなければ「救い」が本来どんなものかは理解できない。また霊的にわかっている♂がいたとしても、決してそれを「救い」などと口にすることはない。もともとの言葉を別の言葉にするから長くなる。「救い」はもはやどこかへ消えてる。

154 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/26 20:27
神のいない教会の教職者が神を語ると、あぁヒューマニスムだなぁ、という解釈になる。それはそれでよいが、万軍の主との脈をつなぐには余程潔白でない限りは無理だろう。それは實践とかいう類のものでもない。ガス形体のようなものに審理されているのだから。当然精~とか善悪云々が直截的に關系してくる問題でもないのだ。いつまでも虐げられたもののままで、変に独我論に身を包めばもはや本来のキリスト教としての實現は厳しくなるだろう。ガス形体は登るまで待っているが、その前に寿命が尽きている。残念ながら、彼らの馬鹿にしている一般的な者たちのほうが、云々。

155 名前:Hegel 2006/11/23 01:27
職業(Beruf)は一種の運命(Schicksal)と見られるが、一定の職業については、一般にそれにくっついた外的必然性の形式はすてなければならない。職業は自由に選び、自由に續け、また果たさなければならない。
説明。人間は、運命がもついろいろの外的な事情や一般に人間が直接的にもっているようなすべての外的な事情に關して、それを自分のものとし、それから外的定在の形式を取り除くようにしなければならない。人間が自分の使命に忠實であるなら、すなわち人間が自分の職業を全面的に果すなら、自分が運命によってどんな外的状態におかれているかは重大なことではない。或る地位にある職業(或る地位に召されていること Beruf zu einem Stande)は、一個の多面的な實體である。職業は云わば素材(シュトッフ)であり、材料(マテリアール)であって、不純な點や欠け易い面や地につかない部分が少しもないように、あらゆる面を隅々まで磨き上げなければならない。私がそれを完全に自分のものとするかぎり、私はその中にあって自由である。人間は自分の職業を果たさないときは何よりも充たされない。ところが、人間は眞實に自分のものと思えないような關係におかれることがある。しかもこれは同時に、その人間の身分である。人間はこの身分から自分を解放することはできない。すると、人間は自分自身の意に反した關係の中に生活し、行爲することになる。

156 名前:Hegel 2006/11/23 01:31
人間の職務における忠實と服従、並びに運命に對する服従と人間の行爲における自己忘却は、絶對的で必然的なもののために虚栄心、自惚、利己心を放棄することを根本條件とする。
説明。職務は普遍的なものであり、必然的なものであって、人間の共同生活の一面をなしている。従って人間の全事業の一部分である。人間は職務をもつとき、普遍的なものに参與することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職務はもとよりそれぞれ限られた領域ではあるが、それにもかかわらず全體の必然的な一項を形成するものであり、またそれ自身一個の全體でもある。人間がものになるためには、自分を制限することを知らねばならない。すなわち、自分の職務を全く自分の事とせねばならない。すると、職務は彼にとって何の拘束でもなくなる。その時には人間は自分自身と、その外面性、すなわちその職域と一體になる。ここでは職務はすなわち普遍的なものであり、全體である。人間が――空虚なもの、すなわち非本質的なもの、無価値なものを自分の目的にする時には、事柄そのものに對する關心でなく、自分のこと〔事柄〕についての關心が元になる。空虚なものは何らそれ自身で存在するものではなくて、主觀によって支えられているものにすぎない。人間はそこではただ自分自身を見るのみである。例えば、人間が一般に自分の行爲において自分の卓越さを意識するとき、従って事柄についてではなくて、むしろ自身に關心をもつときのように、道徳的な虚栄もあり得る。―― 一寸した仕事を忠實に果す人間は更に大きな仕事に對しても能力のあることが分る。と云うのは、それで彼の従順の精~が分り、自分の願望とか傾向とか妄念を捨てるものであることが分るからである。

157 名前:Hegel 2006/11/23 01:29
人間は知的教養と道徳的教養とによって、他人に對する義務を果す能力を身につける。他人に對する義務は實在的(レアール)な義務と名付けられてよい。これに對して、教養に關する義務はむしろ形式的(フォルメル)なものである。

158 名前:Hegel 2006/11/23 01:31
義務の履行がどちらかと云うと個人の主觀的な特性と見られ、個人の自然的性格に屬するものであるかぎり、それは(Tugend)である。

159 名前:Hegel 2006/11/23 01:29
徳は一面、自然的性格に連なっているものであるから、一種特別の道徳であり、一層生彩(レペンディツヒカイト)と迫力(インデンジテート)をもつ道徳である。同時にまたそこでは義務の意識は本来の道徳の場合よりも薄い。

160 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:31
純粹な信仰を持ったことのない教職者の宗教論は論に対する敬意がない。しるしを拒むのはしるしがない者であることが多い。魔女刈り批判が魔女刈りしているという構図が気にならないのが気になる。「祈りは罰ゲーム」。祈りを小馬鹿にしてる。信仰を経ずに神を棄てて、不信心な教職者はいったい何に至りうるんだろう。

161 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/12 23:58
妄信と不信は赤外線と紫外線
共に可視光線が見えていない

162 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/26 20:31
神が商品に、言語が記号になりかけている教職者が「まあ、信じていることが事実だと思ったり、御利益があると思うのは、宗教的には不信仰。これは基本なんですが。」等というのもなにか同簇嫌悪である。「自分は健常者です。」そんなオカルト信じていませんと沽券に牽制する。怒りに満ち溢れたクランケの集いではアテレーの反対から物言うことが賢いようで。しかし数年後に平靜になった眼で振り返ってみれば、どんな精~形成にたいし、逆相に正相でパラレルしているのか、よくわかることだろう。読めば読むほど聖書は神を否定しているらしい。晉通に述べられているものを、向自有の読み方をして高みに至っている。レトリックを宗教の本質とするとこが日本のキリスト教の限界といったところでしょうか。

163 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/10 02:14
模範解答にしかめしく問題提起をするものの過半数は、点のとれてないもの

164 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/23 01:12
ラ・ロシュフコー的な諧謔のつもりか、地獄こそ天国である、とする人もいるが、地獄は地獄だよ。地獄に行きたいといきがってるようだが、それほど美しい地獄を描けるとは、たいした信仰なもんで。
レトリックをレトリックと気附けないと洗腦は深いことになる。コードへの規則化にはニューロン全体の統御が伴ってる。

165 名前:ナナシンクロニシティ 2007/01/10 03:24
通底してる科學と宗教が相容れないのは物理以前の問題ではない(止揚できるか否か)。
感情的になりやすい人は知能以前の問題になるだろうけど。

166 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 00:14
戒律や原罪はあったほうが霊的な成長は早い。下手に被れるとカルト性にも至るけれど。どこの馬の骨かもわからない人に学んだりすると、いずれ人の道を踏み外すことになる可能性が高い。よほど生來の魂が純粋だったり、正しい信仰がなければ。乖離性ほど信じる系を燬損するが、他力はあったほうがよい。絶對精~から乖離したり異常な人格になったりせずに済む。
とはいえ末法の時代なので人は霊的な経驗に乏しい。僕も久々に近くの遍照寺にいったときの話、あぁそうだった、仏脈とはこんな感覚だったわみたいなことを思い出した。
ゲド戦記のキャッチフレーズを連想した。[人が忘れているもの]は多い。使ってない機能は退化する。
人は人を口で汚すが、他人に精~汚染などの迷惑をかけないでいられるかな。讒言は必ず自分に返ってくる。時間をかけて。そう。逆サイドから圖星を突けば
過剰反応。他者否定すれば深入りした大義名分で自己正当をしなくてはならなくなる。人間否定は独り言としても因果する。心で怨むだけなら自分の心に慣性をもって因果してくるだけ。でも口で罵るから目の前で罵られるのだ。日ごろから心に気をつけていればカルマも減っていく(カルマがあるからそれを行う連鎖を断つことの難儀さ)。合理的とは早いこと。せめて生起量は三分の一ぐらいにしておきたい。
それと~佛の前で人の不幸を願うと自分のアレテーまでも失ってしまう。
ガミガミした者は多くに望まれているとおりになる。キリスト教の滅びるとは滅ぼされるということ。~佛を本当に知るものは信頼しているもの、また~殿に行けば消え去ってしまうことに例外のないことを確認しているので(コスモゾーン)、ただ繰り返しお經や祝詞を唱えるのが結局早いのである。興味のないことまで勉強し覚えようとすれば「興味のない」記憶が増えるばかり。それと同じで靈の世界も自分が信仰することが威力を持つのである。

167 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/06 02:03
物事の表には裏がある
人を呪わば穴二つ

168 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:22
精~は呼吸のうちにある。観念のうちにはない。

169 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:28
日の丸ニッポン瑞穂の国
そこに農薬カルト在日暴力団
これだけ変なものが流れてくると鎖国は正しかったふうにも思えるね
近代化ってなんだろう
それは伝統を失うことだよ 理解できなくなるまで…
ほらアルツハイマーが蔓延してきた

170 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:28
科学馬鹿の家庭で育った子どもは育たない
この先日本人の霊性もどんどん落ちてゆく
円の信用も落ちて 精~薬が普通に必要とされる時代が来るだろう

171 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 23:05 [URL]
でも精~薬では治らないし、精~薬を必要とすること自体が"異常"であるのに共同幻想はこわいもんです
余計に悪化させてゆく
科学によって悦に入ってきた人間はルシファーの炎に焼かれて、結局最期には泣くんだよ

172 名前:三つ子の魂100まで 2008/05/05 21:49
あまり親が厳しいと反動形成で人格が歪むケースがあるらしい。
そういう反省をしている親がたくさんいる。
そういう親はなかなか優秀なんだろう。
そういう反省ができる、ということは、そういう因果を”洞察できている”ということだから。

173 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:07
父親と母親の遺伝から同相になっている部分があり、良い同相は良いとして悪い同相(悪癖)は逆相で消すべきである。
~社仏閣に参詣すれば既に高く発達した霊性により良い部分は増幅され、悪い部分は縮小される。

174 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 22:22
 
おのれこそ、おのれのよるべ、おのれをおきて、だれによるべき、よくととのへられし、おのれこそ、まことえ
がたき、よるべをぞ得ん。  〈ダンマパダ・160〉

善くなさるべき法を修めよ、悪しくなさるべき法をやめよ、法に従いて行ずる人は、この世においても、また
ほかの世においても、こころよく休らわん。 〈ダンマパダ・169〉

175 名前:ナナシンクロニシティ 2008/05/05 23:03
レベルの高いところには人が集まる
プロ野球の試合とか
IntelとAMDの競争とか
大学教授の講演とか

ただ共感がないと無駄になってしまうのが悲しいかな
世の中多様化しすぎているので鳥居には入ってこない

176 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 00:15
何もせずに高まることはない。いやらしい言葉が自己にまつわるように。

177 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 20:19
自分のアウラがたとえば1000Hzで神が20000Hzだとしたら、神への祈りは倍音として届く。反対に700Hzの人には自分の心は低い周波部しか届かない。700Hzの周辺で解釈される。
霊性は、上がる時に下げる者が來る點、人間の学歴や地位と似ている。上にいるものは下からの批判を我慢するのみである。逆にそれに足を引っ張られるわEqualに対応するわでは、いざこざが絶えない。霊性的に似たようなものである。素人にたいして本気になれる自称玄人の多いこと。本当に霊性の高い人は我慢どころか哀れむ。哀れむどころか樹齢2000年の集う自然には見えていない。通過してる。

178 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/25 19:39
毒から得られるものは耐性ぐらいで
次元の低い者から得られるのは復習ぐらいである

179 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/09 21:49
昨日の夢は霊的だった。クリスチャンの怨念を買ったのか知らないが、もののけ姫を痛烈に批判していた。Chopinの子犬のワルツに団体意識を感じるのは日本人ぐらいらしい。Tchaikovskyのくるみ割り人形がBGMに使われていて、それに団体意識を感じることを馬鹿にしていた。その表現は「滑稽さ」ではないのか?と思うのであった。

180 名前:ナナシンクロニシティ 2006/12/21 01:36
交換関係で成り立つものがある。参考:うどんの噺。修羅界にいる人は自分だけがうどんを食べようとするので食べられない。箸を相手に差し出して、自分も差し出してもらうのが普通である。先祖のために何かをすれば、自分でできない何かもしてもらえてる。

181 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 00:27
~とは他者である。思い込みの~ならそれは自分だろう。
無私になれば群れることにも無自覺になる。群化を恐れるのは自意識の恐れでもある。また逆に無自覺な人は語らないので誰が~を知っているかどうかはわからない。案外ポッと出た言葉がそれかもしれない。
~という本性に至るには自分の本性を見極めなくてはならない。人は違えど同じなので人と同じものを見ていれば~(あるいは惡魔)にも通じるだろう。孤独な文字追いでは集団ヒスにもなる。群化でも孤独でも無自覺な境界が失われている人性こそ~との境界も失われる。だから公平無私という言葉が本当になる。
人との群化と~とのシンクロは比例關係にある。殻に閉じこもった人にはなかなか氣がゆき渡らない。そちらのほうに無自覺になる。
世界を見ていなければ世界は広がらない。日本のよさもわからない。日本は本当に惠まれている。知っているもの勝ちだという。人生の撰択肢が豊富にある。ダイビングすれば海の世界まで広がる。絶対やったほうがいいという。地上もすばらしいことがわかる。地上は本当に惠まれている。
宇宙の形質そのものにフォーカシングしてなければ人は鼓舞されない。生命から乖離していてはなにも感じれない。イメージがあれば対象にシンクロすることができる。

182 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/14 22:15
最新の3D画像処理技術で100人の顔を平均すると、普通の顔になる。骨格や肉質や皮膚の流れ、DNA的要素は入ってないので、違和感のあるデジ顔ではあったけれど、ユキビタスなものとはやはり自然とか普通のうちにあることと思う。
同じく神についても、心象をサンプリングすれば實相に近似してゆくことと思う。

183 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/15 01:30 [URL]
魔が聖に異性化すれば聖と呼ばれる。
魔そのものを聖なのであると定義したい人の定義はおいておいて、
本来魔とは人にあらゆるもので目をくらませて自分側に率いれようとする類のもの。
魔も上の方になればあらゆるものを與えることができる。
終わりし時の人々は生け捕りにされて、その意のままになっている。
ただひとつ與えられないものは、無償の愛や慈悲の心である。
正統の~は成長に結びつくもの以外は與えない。
もしも怨念と慈悲の片方の深みしか経驗していないのならば
~は信じられるが魔はわからない
魔は信じられるが~などはいない、となる。
正邪の区別もままならないままに。

184 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:44
人は霊性において平等の条件におかれているが(空気はどれだけ吸ってもタダ)、品格のあらわれにおいては優劣がある。
何が上で何が下か。他存在とのかかわりにおける自意識内の問題であれば、井の中の蛙には本質的にはない。コンプレックスもなければ成長もないし卑屈さもない。でもこの社会で生きる限りかかわりが生じる。そこで高いものに囲まれれば必然と謙虚になり低いものに囲まれているものは飽き飽きする。二流のものを讃えれば自分は三流になる。でもやっぱむかつくから自分は三流をこき下ろして二流になろうとする。ふつうは前後賞で似たもの同士が集まっている。品格の上下は、自分の素性の素直な現れというよりは、縁によって形成されてしまうところが大きい。
グレイドの高いものからの批判は叱咤となりグレイドの低いものからの批判は冒涜となる。自分のもろもろの性情のせいで罪のない人の心情を害した。そこで習慣を変えれば性情も変わり、一つグレイドはアップするが、高ぶっている者は依然似たようなものなのである。品格は霊性に出る。この同じ条件下に生きつつも、縁と習慣によって差異が生じてくる。

185 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 03:01
理系脳か、文系脳でも醒めた人ならファンダメンタリストでいい。~に通じるなら名前まで覺えておいたほうが協力してくれるだろう。名の表記が誤りでもなにを示しているかが問題なのである程度の違いはどうでもよい。人が信じることがよい。何度も言うが~に通じるにはファンダメンタリストが早い。ガヤガヤと煩わしい者はもうどうでもよい。

186 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/19 18:01
琺を犯すもの
国を侵すもの
腦を冒すもの
それらは問答无用で排除
そこに回避性の迷いが生じるのはその逆が無いということ
ヘーゲルの絶対精~が理解されて無さ過ぎる

187 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 02:04
心理学的には安心できる人格がマトモとされる。
円熟している人がいい。

188 名前:ナナシンクロニСティ 2006/11/20 02:59
漏尽通がわかれば評論家の存在意義もわかるだろう
人は燬損とか盲信しかしないのだから

189 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/20 01:42
日本語には度胸と愛嬌という言葉がある。この言葉は外人には理解できないものらしい。
人間は犬猫を育て、鳥をかわいがる。それを見る~は人間をどう思うのだろう。猫は本能的なので雀をつかまえ遊び、飽きたら瀕死の雀はほったらかしに縁側に寝ている。それを見つけて人間は、また雀を看病しないといけないとぼやきつつ猫の無邪氣さ加減にはくすぐられている。
人間と猫の中間よりやや上に蛮族がいる。

190 名前:ナナシンクロニシティ☾ฺ 2006/11/25 19:39
太古はおおらかだった
今は着替えを携帯カメラで撮られてみんなに回されて恥ずかしくて登校できない時代
たかだか着替え中なのに、タブー形成されている

191 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/21 01:48
'念佛だけをありがたがっている葬式仏教' と映るのは単にその価値觀から乖離しているだけのものでそれもまた宗教である。それが排他的になれば現代のカルトと同じになる。「一人気味悪くボソボソと唱えていて、一体そんなものに何の価値があるのだろうか・・・」と、実際に上の人が説いているのだから。不可知をわからず「そうだそうだ」の世界。人類に怨み抱いていたり、單純な奴ならそこでひっかかるな、と。僕が問題にしているのは、一体なにから乖離しているのだろうか。(一体何ゆえ國民性に乖離するのか)。しかし、10m以内の位置で唱えるとものすごい作用が来るな。それは万民に共通する気持ちよいエネルゲイア浸透だと思っているけど、もしかすると西洋圏のドラキュラであるところの十字架にもなるのだろうか。

192 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 17:57 [URL]
地場の影響で思想は彩られる。ずっと地場からくるなにかを浴びていたら思想自体がかわる。同様に教唆や主張は、そのとおりにしたら彼のようになるということを意味している。(そこまで客観的に見通すには多少日記頼りにもなる)。効率とか進歩とか人倫無視の因果衝動に任されてやっていることはたいてい無駄骨に終わってる。だけならまだよいが。煩悩を肯定し(元々宗教というのは魔道にも落ちるという両刃の性質を帯びたもの)どれだけネガティブで世の中の仕組みを薄汚くビュルレスク描いていても、社会的に優れたプレジオジテな人物であるのならその在り方や教義を一理あるものとして見ることもできるだろう。でも見てきたものの実際は自身がその通りであった。(何を言明するかが問題のすべてになっているかのようにもはやレトリックが現實に思えてしまいながら、人を現實どんな道に導きたいのだろうか。時が進むとそうだそうだの世界になっている。まるで宗教。万民被洗腦論は依然として現實に還元できていないのに經営指南書には気持ちの悪さを感じなければならないなど。(信仰とタブーは相関關係にある)。結局は無宗教も、強い信仰に基づく疑似宗教ということになる。(願望同調が転じれば集団ヒス)。おそらく心理学者の九割はキラキラのキララを最も健常だと判断するだろう。精~医学者たちはもう一つのかの界隈のほうはどう判断するかな。本人たちの願望とは鏡像関係の定義が返ってきそうで恐ろしいですね。その証拠に徐々にノイローゼは進行してきているのではないかな。夜中、自らに被爆して。)

193 名前:無眼界乃至無意識界☾ฺ 2006/11/13 18:33
願望の同調がタブーをも引き起こす。人は言葉を話す以上、目に見えない何かを信仰している。目に見えないものがあると、目に見えないものの理想は出てくる。理想が出てくればそれを読めないものへの反發も出てくる。そこにある美学に反する何かが不快だという塲合、反發するものによる集団意識が形成される。さらに反動することによりタブーは形成される。
クリスマスも「イエス様そっちのけで痾保騷ぎはいかがなものでしょうか。」と批判して無キリストのクリスマスがタブーになる。世の中には各種のタブーが伝播しているが、タブーの大本の源泉を辿ると、美学の浅はかさに目頭を立てた處に逢着する。人の感性は平等ではなかった。初期は軽かった雰囲気も、決め事は増えて、次第にどんどん重くのしかかるようになる。タブーとは年輪を重ねるほどに歪な形になってゆく傾向にある。初期の純粋な理念はもはやない。そこで無眼界。目に見えるものすら恣意的な意識の産物であろうに、目に見えないものに解釈を重ねると、目に見える以上のスパイラルが生じる。その複雑系にやがてついていけなくなり崩壞を待つのみとなる。杉が長生きなのは我が無く透明だから。透明な流れの中に汚れに囚われていない。特に屋久島の縄文杉(樹齢7200年)などはエキセントリックな屋久杉の中にあっては特別に普通な形をしている。ユキビタスである。我々の螺旋に於いても同じである。レベルに高低はあれどレベルの高低などない。正邪はあれど正邪などない。という判斷もいらない。

194 名前:無無明& ◆oAwSy1sOqk 2011/08/24 20:00
語りえぬものについては沈黙しなければならない(ウィトゲンシュタイン)、とか、言語は恣意的である(ソシュール)、など言い方は様々あるけれど、それを理解しているゆえに他者に、「その神とは、一体なに?どこにあるのか?」「その否定は相手の存在を肯定しているのではないか?」などと追求するのは、無明の追及である。
無明すらも無 ― その境地に至らなければ苦しみは脱せない。現に反發に遭い、その相手を妄信者扱いして気が済んでいる。
自分の名前に否定的である対象を無にできないで日夜条件反射していながらでは全ては無にはならない。それが自称虚無主義の限界である。自分に否定的である対象を無化するのみであって、全てを総じて受け入れる空なる気持ちになれてない。無に歸するために名称と生身を一致させて対象への批判の実体性をもたせるけれど、もし名前と生身の一致を認めることができるのなら、マントラも~咒も認めることにもなろう。完全な無なら、相手の概念の無化だけではなく、自分の概念も無化しないと片割れになってしまう。相手の存在を認めるのなら、自分の信仰を肯定することもできなければならない。どちらにせよ公平無私で無伺定で無想三昧に通じるためには、まずは一方通行で偏ったりしない試練を乘り越えることになる。自他との境界をなくせば自由自在になる。

195 名前:無智亦無得 2006/11/13 18:55
善いことをしても見返りを求めていると、せっかくの善行は、無恩によりて腐る。腐りきれば神の無償の愛も感謝を求めていることとなる。世界観に影響。人は見返りを求めているとせずにはおれない。愚痴を強く吐けばその強さに応じた呪いとなり、呪いは思想として己の中に確固たるものを遺す。薫習。それは慣性の力を持ち、消さなければ輪廻する。
無に帰する。純粋な陰徳。

196 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/16 23:28 [URL]
人はそんな客観の及ばぬ因によりて腐心していることがあるので、かの善の慣性よどうか報われますように。
觀世音南無佛。經文のエネルゲイアによりて腦の大部分を占めている嫌いとかいう集合無意識、好きとかのニューロンの集合体は遊化し、ネガティブな集合体を解体し、人間の発露で覆ってしまいます。たとえばこのようにして善の輪廻は束縛から放たれますように。
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまに はんどまじんばらはらばりたやうん
尾骨から背中も''光''が増えますように。

197 名前:亦無無明尽☾ฺ 2006/11/19 23:43
無無明はできても、無無明尽は難しい。
気持ちよい風呂で自己を謙虚に堕とすともっとほっとする。
無無明尽とは、そのように謙虚に落としている状態時に「そういう偽善的な態度も好きだナァ〜」などと最もおぞましい類の人間に言われても何とも思わないこと。最もおぞましい類という人すらいない。包み込めばむこうの病因が快癒に向かう。無無明尽が会得できれば、さらに安らぎがある世界が待ってる。もちろんその超克も、超克であるがゆえのもの。アルツハイマーならば簡単になるのかもしれない。
腦(肉)+筋肉+骨+内臟(肉)=死体
腦(肉)+筋肉+骨+内臟(肉)≠人間
死体に生命が加わり生き物となる。≠人間から左半分を除けば生命が残る。それが目に見えない靈というもので、無に歸すれば即心即無ではなく即心即佛になる。色不異空から全体を俯瞰するなら靈とかアウラが残ることになる。そしてそのアウラとかコスモゾーンが生命であるから、我々はその生命に障害がないときに安心する。木漏れ日の美しさとか人との連なりにおける清々しさがある。生きたプラーナの浸透で。

198 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:52
人は窮地(酸欠)に陥った時に初めて神(酸素)を求める。
靈学的な考えに於いては、霊性が存在するということについては肉を構成するものがタンパク質であることほどの自明性である。いるいないの議論は双方原理主義を除いた普通の人は、3カ月もすれば飽きている。反対に私怨などの根深い囚われのある人は物理的にタンパク質とは一体「何」のことを言っているのか、その「割合」は、それを構成するものの「内容」とはには考えが及ばない。結局のところそれはどうでもよく、冒涜できればよいので。循環論法を怖れた循環論法。もはや「ある」「ない」のシステム上の問題にしかならない。生みだされるものは生命まで否定する「無」の人間学ぐらい。反対に自己の世界のみを肯定する排他的な哲学。

199 名前:ナナシンクロニシティ 2006/11/13 21:54
たとえ偽装された悪徳であろうが、世の中の美徳とされるものを冒涜する心は悪しきもの哉

200 名前:創造論と進化論・v・ 2006/11/13 22:23
創慥論も進化論も八百万の概念があれば矛盾しないでいられる。進化はDNAの構成からの評価で結果論。創慥は、指南とも考えられる。~の見えざる力、暗在する力によって進化する。というか、變化する。寺社の気をかむると表情が良くなる。それと似てる作用で。その小さな進化の積み重ねである究極に長いスパンを一瞬に結論付けて見れば、創慥とも云える。論理思考の西洋かぶれに語らせると結論のみの解釈になる。それでは中ヌケしてるので、本来なら歴史の敷衍が必要になる。「霊的真理」以上に霊的に大切なものが、日本人にとっては古事記や日本書紀の叙述。それらは高天原(宇宙)についてはほとんど書かれていないが、国づくりに関わった天津~や国津~の噺は日本人の魂の規定になり、靈の彩りにつながる。実際~社で祀られているのは宇宙の抽象的な~ではない。ほとんどが伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み以降の~になる。その~気が人間、特に日本人の個性に近く、魄は次第に実相を帯びてゆくのである。

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