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洗脳の角笛
244 名前:ナナシンクロニシティ 2009/04/22 22:33
[霊性]は非我の影響で性質が変わる。電車でも前後駅で人が乗ると重くなる。金山駅で人が降りれば軽くなる。平均より気の重い人はその逆になるだろう。お墓も一千体もいるから重い。御霊の心が空から程遠いのだろうか。でも供養を続ければいずれ平等覚に近づけるはず。昭和天皇は伯家の鎮魂法を受けられ、三千柱以上をご浄霊されたという。
霊性は多分魂の振動(エランヴィタール)したもの。となると[魂]の機微はもっと繊細で個性的で、直接的な影響を受けるものになる。好きな子が乗ってくると(向こうがこちらを意識している場合)その影響で背中が温かくなったり嬉しく緊張する。その子の生きている世界、青春のみずみずしい感性を楽しめたりする。勝手に想像が膨らむ。それが僕の経験できなかった青春となると僕はその力によって救われたり(補完療法)、その力を受けたあとで自分の人生に比較してしまい自棄になりその力を無駄にしたりする。
ネット上は非我からの作用がなく気軽に自己の魂の性向のみで記述できる。話題になっているその世界を実際には知らなくても主観で判断できるので自己の魂の性向がそこにダイレクトに現れることになる。人が介在してない。よって臨床心理を行うにはその記述が一番客観的に判断できるものになる。でも臨床心理師が見ていることとなれば裸の自己は現れにくくなる。ネットの意思表明は裸同然に弱い。弱いものほど匿名性の井の中で吠える。暗ければ可能になるという世界。そういう弱い者は海に流せばよい。
エランヴィタールとか霊性というものには意識の問題が介在している以上、意識を無視して語ることはできない。認識することもできない。「以心伝心」が(作られた意識よりも多く純粋無意識によって)フラットに往還している様子は、それを意識をしていなければ解らない。無い。神棚に神饌を供えて反応(祓い清めの作用)がくるという日常についても、それを意識してすぐさま普通の人(EQ105-115)にわかる種類のものではないので(もともとが神に音叉する出生;位の人でもない限り)、今の信心のない人間は、科学(その恣意的な定義)に都合よくも自己洗脳してきているので得をするわけでもなく損をするわけでもなく、平凡な考えで生きている。

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