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洗脳の角笛
245 名前:ナナシンクロ・v・シティ 2009/04/25 02:22
道徳の善悪の物理的な考察----性の煩悩を避けると月を重ねるごとにかっこ良く、可愛いくなる。
かっこかわいい、それは主観によって判断された善性であるが、かっこかわいいとモテる現象があるゆえ、主観に留まっていない。自我の主観が非我による主観に一致してモテている。(なぜだろう?一体何が退廃で、何が美なのだろう?なぜ性行為をやめると美になるのだ?なぜ「美」となる?なぜそこで「かっこかわいい」が出てくる。なぜまたそれを求める。肉体がかっこかわいくなろうとして、以前よりキモがられたというオチにはなぜなりにくい。太古のゲロゲロした爬虫類からふわふわのイーブイへと進化す、それを進化と仮定するなら、なぜ進化によって美となるのか?ゲロゲロの爬虫類のほうに進化してもいいのではないのか。またなぜイーブイがかわいいと言える。美意識や無意識を無視する進化論で進化は説明つくのだろうか。進化に精~論やエランヴィタールの躍動はかかわりないのか?いつも唯物の論理はそこで止まっている。なぜ性行為をやめて精気が身体を満たしだすと、かっこかわいくなるという、かっこかわいいの現象が、なぜかっこかわいいのかが考察されてない。)
人の自然発生する行為には共通項がある。なぜ親が病気になったとき人は「祈る」のか。応援するチームの健闘を「祈る」のか。なぜ祈りを捧げる。「ふぉげる」ではだめなのか? 容貌や所作以外に道徳の善悪についても同じことが言える。自尊棄他は悪である。瞋恚や恨みは悪である。精~が病めばその度合いに応じて悪夢を見るようになる。悪とはそういう波動をもっている。善を保つには努力も必要で、努力相応のものになるというものでもある。そこで反証してみるに、精~的な協和と不協和は普遍的な協和と不協和であるのだろうかどうか?…なぜ精~修養をして協和したものが"挙動不審"と品評されにくいのか。精~論抜きにしては解らない。八正道も十誡も、協和した状態で行えば、なぜか精~特性がコヒーレントに向かいトランスペアレントになり、肉体も滑らかに弾力を帯びて、表情も所作もおのずと協和してゆく。森羅万象"偶然論"なら、そこで挙動不審な人物に進化してもおかしくないのではないか?滑らかではなくゲロゲロに進化してもおかしくないのではないか?表情も所作も不自然に形成されたものこそが進化と云っても正しいのではないか?それを求めていては頭おかしいのか?人それぞれ趣味があるだろうに。その美意識がなぜ道徳的でないのだと言える。それが神的な愛の形だとはなぜ云いきれない。

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