2011年10月12日の御神籤


日泰寺

日泰寺=にったいじ・・・日本とタイのお寺です。友好関係を保ちたい。
覚王山日泰寺








arinecoinco
俺の描いた絵
名前はarinecoinco
鳴き声 募集中



全ての人間は異常である(他人から見た場合)
自覚はあるんでしょうかね。たとえば自分は異性愛で健常者だとか思っていてもそれは性的指向性が大多数と一致しているというだけの話で、同じ異性愛同士でお互いの根源的な趣味の事を忠実に語りあえばお互いに受け入れがたい状況に陥るのが目に見えてる。飲み屋の席ならお互いに忘れてるから良いけども。
人間の脳は犯罪者もそうでない人も構造は似ているらしいが100人いれば100通りの異なる使い方をしてるので全ての人はよく言えば個性的。悪く言えばすべての人がどこか異常。犯罪心理の研究者によると隠そうとしているか否か、隠せているか否かの差らしい。「あ、あの人もちょっとアレだったんだ。社交的で普通に見えていたんだけど」「ふぅ今 気づけて良かったな、結婚してから気付かなくて良かった」と思うこともあるでしょう。でもそれが普通なんです。
自分にはこう見えるからこうだ!という人はだいたい知能が低め。それ以外の見え方もある。知能指数の高い人ほど平均的な知能層が取り決めた「常識」とか「社会性」と齟齬をきたしてストレスを抱え込みやすい。平均的な知能層ってどんくらいだと思います?日本人は知能指数が平均104あるから高いと言われているが、俺から見たらTerribleな世界ですよ。どうせ恣意的な印象を持たれるなら溜まったものを吐いて正確な印象を持たれた方が良い。たとえアレでも正直な姿だから。また、友人は多いに超したことはないが、友人が多いほどそれがしにくくなるとは思いますね。友人が多くて社会的地位も確保されていてそれが出来る人はちょっと超越してる。そんな奴はおみくじでも大吉しか出ないだろう。
パラフィリア;性的倒錯
>同性愛は「先天性の精神障害」だという人がいるけれどその多くは精神障害(器質性の障害)ではないとされる(WHO)。胎内のテストステロンの分泌量に基づき決定された性指向障害を先天性だと言えば先天性だが。たかが同性を好きだというだけの話であるのに人間に瑕疵があるって、何を根拠にしているのであろう。たしかに「適応障害」のない同性愛者はほぼ皆無。人生で最も旺盛な10代に最悪の孤独に苦しみ、事実は受け入れがたく、たとえカムアウトしても嘲笑めいた仕打ちを受けて心的外傷を被る。「同性愛」が差別にならない事はない。人間の知能指数がそこまで高くない。差別をしまいとした善良さや、科学的な無知を回避した行動や、人のネガティブな経験を生きる糧にするサイコパスのような行動、人の弱みを握るとさまざまな反応がある。
>自分は同性愛(ちょっと異なるが)に産まれても良いことはなかった。結婚しなくても済むのは幸せなことであるが。人生で最も幸福だとされる結婚の幸せに共感することもないのだから、反面、独身に不幸は感じない。ただしどんなに欲しくても子供は作れない。娼婦を孕ませれば良いが。この孤独な人生を馬鹿にした人は来世ではその対象相応の人生を送ってみればよい。ヘイトスピーチをする人はIQが平均11も低いらしいが、たぶんそういう人は輪廻や徳積みが足りない。宗教者でもそういう立場の人は霊性が低い。瘴気を感じる。
十代の苦悩は常人の想像を絶する。常時それは自身に付き纏う呪われた現実だから。事実、自殺念慮率は明らかになっているだけで3倍。データによっては6倍。自殺率が高いとされる自衛隊でも1.5倍。みんなが生きている世界ってほんと、ゆるいんでしょうね。俺から見ると。…苦しみや悩み事が「一時的」な人が羨ましい。その一時的なものを乗り越えて、次の挫折を乗り越えて、世間では「一人前」となっている。一方、LGBTの場合は死して乗り越える。そういう次元になってくる。抑圧した感情を墓場まで持って行かねばならない。性的願望のあるうちは性欲の強さに比例して苦しみ、ゲボを吐き、性的願望のなくなる頃には世界に対して無感動で容姿も醜くなっている。そろそろ普通にコミュニケーションが取れると思っても遅く、対人的に対等の立場で気さくに話す機会には恵まれないだろう。社会的な立場も低い傾向。ストレスで循環器系や免疫系に異常を来しやすい。腰痛や胃潰瘍(胃とか腰は抑圧した怒りの影響を受けやすいと言われる)にもなりやすい。LGBTは、普通に生きるだけでも霊障を負いやすく健康は回復しにくく、常に疲れきっている。これだけエタヒニン(村社会の必要悪)の役割を果たしてきているのだから障害者年金(対価)を受け取る事は順当だと思い、実際受け取る人もいる。自分に都合が良いことやっているわけではない。都知事閣下の石原慎太郎も同性愛者は障害者・カタワだと言っているのだから正当性がある。世代により差別の形態はまちまちで、自分よりも社会の言動のほうがおかしい事も往々にしてあった。自分はまだ障害者年金は貰っていないがいつか堪忍袋の尾が切れたらそうするつもりである。あらゆるヴィカルマを神と警察に告げる。でもその頃には社会のほうが因果応報で破綻しているかもしれない。国の神が既にこの国を護りきれなくなっているかのように。先のことはわからない。

…というような事を書いていたのが夏ぐらいだったかな。あの頃は訴えるような衝動で神社仏閣巡りをしていた。大吉はずっと出ていない状態だった。LGBTでも友情や恋愛に恵まれてきた人や悟れる人は中村天風の本でも読んでね。闇に包まれる前に。その中村天風はパワースポットに行っても何も感じない程度の霊感の人ではあるが、軽妙に人生哲学を語られてる。同性愛のように難しい問題は乗り越えていないだろうけど方向性はよい。イージーリスニングのように受け入れやすいだろう。自分はこの本を2010年11月に薦められたが読んでおけばよかった。せっかく縁を導かれたのに読まないと意味がない。あの子は最大の「チャンス」だった。ものすごくシンクロニシティーなことばかりが書いてあった。読むと積極性に目覚める。運命に負けないようになる。「陽気の発する処金石また透る」という諺とかなんでもかんでも「積極的に生きる事」に結びつけてしまうほどの知能の持ち主だが、さっぱりとしていて簡潔である。僕が思うにはこの諺は素粒子等で考えるほうが真意に通じると思う。気が真っ直ぐで美しく強い場所なら金石の分子も数学的に美しく形成される。分子の並びに歪みなく迷いとかストレスがなく形成されたので金石がS/N比高く透るのだろう。また金石自体にも気が宿るので気が生命的ならば美しく光が反映するだろう。その陽気というのは無明ではなく真理を体現するところから来るもの〔如来〕であるけど。そして生まれたるがままに積極的に生きれば人生も輝くという事でその解釈で良いわけであるけど。…知能は高くないのかもしれない。
神とか仏の信仰を否定しているけど、悪種の否定では無い。そんなもの「存在するのかしないのかわからない」と思っていて「迷信」だと彼には映るので否定している。否定にも種類があり、悪趣のものは「自分は賢いから無神論なのである」「自分は子供の頃からそういうものを論理的におかしいことが解っていた」だとか高慢をきたしている。そのうらはら、人に尊敬されてないからルサンチの埋め合わせに宗教信者などの弱者を罵る、という構造。でも想定通りに信者は馬鹿では無いので、やがて科学カルトとなりホロコーストをするようになる。この中村天風という方の場合は、積極性が大事なのだと訴える過程で、迷いの末に神仏にすがる人を連想する思考回路。否定者にも種類があるが一方で信仰者にも種類がある。御利益信仰から神仏にすがる人や、神仏は崇敬するだけで自身は信仰生活を全うする人がいる。後者の中には淨信(純一無雑の信仰)を持っていたり、修業的信仰もあり、梵我一如でブラフマンから来たるものに通じる場合もある。自分は前者だがね。
:ブラフマン;ब्रह्मन् brahman=宇宙の根本原理。宇宙の源。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。Great indeed are the Gods who have sprung out of Brahman. - Atharva Veda (偉大な事実は、ブラフマンの中から湧き出て来た神々である。 - 『アタルヴァ・ヴェーダ』)
名前:ナナシンクロニシティ 2008/10/22 21:26
独りで生きられる人と独りでは生きられない人がいる。
女性は離婚後も独りで平気で生きているけど男性は離婚後に自殺する率が高まるらしい。男性はDepend型の性なので独りでは生きられないのが普通。男性は弱い。弱いから虚勢を張っている。また、ネットや漫画やゲームや音楽に生きるのは独りで生きられる人とは必ずしも言えない。なぜなら物事を書くにも創造するにも時間空間の乖離した場所に読者や観衆がいるから。日記すら自己が読者である。その場で終わってない。独りで生きるとは物質的な他者が介在しない状態になければならない。原始の神のように。・・・信じられない事に、この世は己のみの世界ではなかった。自分の思い出が歴史の総てではない。表文化されていない古代にも思い出は確かに存在していた。
独りで生きられる人とは一体なにか。― 植物は無我である。無我になり虫に喰われまた根を張り葉を広げ太陽に生かされるところに生命力を見いだすことはできるが、意識はないから。愛執を絶ちすべてを絶ち解脱する…すなはち『ヴェーダ』でいう真我とは現象そのものとなること。多分、五感のすべては仮想だというのは解ったけど、霊感とか第六感はどう片づけたらいいんだろう、最終的には脳細胞…感覚で感じてるものだけど、それ自体からも囚われなくするには「真我」という考えが必要だというところから発生したものだと思う。涅槃に行ってしまうこと。真我状態となり(霊性としての個性があればそこより子孫たちが発生)、子孫は真我の映し身として行き交う。様々な夢と体と行き交う。
孤独な僕は神社へゆく。その時にのみは独りであって独りではない。感応してる最中は孤独を感じない。人間皆孤独なその状態を自身忘れているからというわけでなくまた非我である神を想定されているからでなく霊性と合わさっているから。神とは自分ではないが古(いにしえ)より神であるその存在は今の交わり現象を楽しむか、神としての職分をもつのでそうしてくれる。nousが広がりをみせるほど多くの現象または人に合わさり霊性的に感情をともにする。強い相互作用があり時空に境界のある高分子には有り得ないが、量子?霊性的には可能なこと、すなはち海みたいに自他がないので独りでも群れでもないwholeになるのである。
あの子に会えなくなり、恋愛以前の状態に戻る。↑は要するに何が言いたいかというと肉体同士は物質的には電磁気力があって強く反発するので抱き合う形をとるが霊性(「気」「プラーナ」「クオリア」「空性」)同士なら肉体的な姿勢に関係ないという事。通過するし。物体は量子から発生している。理想を言えば統一教会が教えるとおり〈神+男+女+子供〉で円満だけど独り身でも神仏があればいいのでは。伝統仏教の教祖様は全員妻帯には否定的見解でしたしね。
この日々は現実がつまらないし霊性以外のことは見えていなかった。「つまらなそうに見える」「宗教に入るように見える」と言われる生徒の気持ちがわかる。自分は少年愛が原因でつまらない。もしかしたらその生徒もそうかもしれない。自分はもう遅いがもし高校時代に性指向障害が直っていればリア充の人生になっていた。大学も知能相応のところに行き、適性のある仕事に就いている。「宗教に入るように見える」とは言い得て妙なり。本当につまらないですからね。性指向障害として半欠けで生きていると、欠落部を求めるようになる。そうこうしているうちに気づくのだろう。ふらふらと神の存在に。だがもしそれが現実だとしたらどうするんですかね。こんな死に損ないを生かしてくれる尊いものを無に帰して来世ではそれなりの人生を送るんでしょうかね。霊媒体質の自分は割合多めに外部の霊性の作用で人生観なり細胞の形質なりが象られている。霊気の躍動vitaがなければ空虗になる。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。色(音) 不 異 空(楽)。宗教は音響ではなく音楽である。自分はオーディオマニアだから音自体も音響工学も好きだけど、音楽の楽が抜けるとつまらない。
胎宮」「胎生」=「心地よさ、自分の思い通りになる世界に在ることをよしとして、外が見えない、常に仏法を見聞することを得ない在り方」
苦労はそういう立場や環境に置かれるか、そういう境涯に生まれないと出来ない。たとえば麺より米のほうがダイエットになる。理由は咀嚼回数が多いから。…と言われても、麺類より米食の方が美味しくないとできないから。麺類で意識して咀嚼回数を増やすこともなかなかできないしね。苦しみに耐えることの出来る人と苦しみに耐えることの出来ない人との間に意識の格差がありすぎる。よく「インドは50℃を超えるほど暑いが日本みたいに湿度は高くないので日陰に入れば涼しい」とか言われるが本当だろうか。報道では暑くて死亡している人が大量にいる。そんな灼熱地獄みたいな世界にインド人は生きている。
―☆―☆―[普通の生き方をしていても到達できない地点がある]―☆―☆―




これ読んで不愉快になられた方の逃げ道

絶食系男子の日常

同性愛者の自殺念慮率は三倍。知能自身が一番 知能相応の地位や立場を築かれていないことを知っている。