− 旧約聖書:カインとアベル −

 アダムとイブはEDENの園で遊んで暮らしていた。しかしある日、ぜったいに食べてはならないぞと神に差し止められていた善悪を知る木の実を、蛇に化けたサタンに唆されて食べてしまう。そしてEDENを追放されるが、あたかも子供のように純粋だった夢の世界が、褪めた現実の客観世界に堕落するかのようである。善悪を知る木の実とは、性器のことでもあり、タバコ、酒、マリファナといった類のものでもあろう。

 やがて現実世界として現実に突き当たる。EDENから追放された有限生命のアダムとイブは性交を見出し、子孫と共に生きようとする。そしてカインとアベルが産まれる。これは傲慢と謙虚、不信心と信仰、客観思考と主観思考など、対極的な性格をもっており、主にアベルの側を善の象徴と見なされる。いかになにが善なのかというと、哲学的な話になってしまう※。カインは客観思考なので、アッチ系と呼んでるものの助言に対しては、空をかいてるようにしか映らない。たとえ聞き入れても反動形成にしかならない。
 人間をEDENに戻してくれぬ神へ、カインとアベルも捧げ物をし続けていたのだけど、神に受け取ってもらえたのはアベルだった。カインは受け取ってもらえなかった。

 ※アウグスティヌスは「絶対的に完全な存在である神から目を背け、有限な自己の主張に固執し、あたかも自分が絶対であるかのような傲慢さをもって生きるところに原因がある」と考えた。神の善によって導かれる幸福のみが真の幸福であり、人間の主観的な傾向からのみ求められる幸福を不幸であるとも語っている。ハァ??ダカラナニ??オマエハナンナノ!?? あ゙?? 兄カインはむかついて弟のアベルを殺した。
 カインは神に対するうさを晴らしたことだし、見方を変えればアホな迷い・関係妄想などがなく幸せな生き方をしていると言えるかもしれない。カインとアベル、どちらも人間的であるが、どちらかを選ぶかといったら、、。それは己の霊性による。



 参考:原始的な姿



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