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.ℜ 僕がなぜ霊性とか魂の実在する理由なんてこんなにも探ろうかとしているかというとこの経緯としては最初から話すとめんどくさいけど高校卒業まで正味10年ピアノをやり、実際にドラクエ 霊性・・・ 肉体に対応したもの。SQ、EQ、魂の品位や方向性としても使われてる。Wikipediaで調べるとまた別の意味で書かれてる。霊性とか霊というのは上位概念の便利さゆえ、神とか仏と同じで包括するものは広範囲に及ぶけど、ここでは更にその構成要素に、経絡を流れる「気」とか、ヨガでいう「プラーナ」等に、霊感はその気とかプラーナに感応する事に意味を絞ってます。cf.{僕は以前は霊性を「非物質的なもの」と表記していたけど物理学では相互作用があるものを物質と呼ぶようだ。光も物質。霊も「物質」という事になる。「物体」と呼べば良かった} 霊性感応は自身の霊性との同時的なところでもあるようだ。液体と気体が交じり合うような感じだろうか。鏡面のAuraのアンプの駆動が、反応の良いB&Wのスピーカーに浸透するように、霊性はお互いに連動しあっているのだろうか(オーディオマニア以外に意味不明な例え)。日常生活では、断食とか身削ぎをして山登りしたり、目標をもって日ごろのおつとめをするとパワーを感じると思うけど、神・仏の波形と調和すると直霊はハルクロdm88級の上質感に満たされる(オーディオでしか例えられません)。ハイエンド・オーディオになると高域がどうとか低域がこうとか「觀念」でどうこう考えるレベルじゃなくなる。全身で浴びて気持ちが良いかどうかというレベルになる。お釈迦様は「神などいないし輪廻もない」と言っていたと言われるし、臨済宗の開祖の臨済禅師は「仏を見たら殺せ」とまでいってるのだけど、それは修行者にたいする対機説法。それは世の中、騙すやつしかいないし、自分の見方を普遍化してるやつしかいないから。修行をしているのに甘い考えで仏さまを頼ってもいけないし、どうせ向こうから寄ってくるのは下仏だから。あと宗教をやるような人は関係念慮・関係妄想などの迷いをなくさないといけない。すぐにオカルト的な意味づけをしたがる(⇒都合のいいように予測を誘導される)。音の振動は存在してもそれは鼓膜まで。鼓膜より先は有髄神経のインパルスで 素直さには度胸が必要。気づくのも縁。 パワースポットブームの影響か?神が言っているらしい言葉をネットや雑誌でよく見かけるようになりました。それは本当に神なのか?神がそんなこと言うのか?魔につかれる者はだいたい心に隙間がある。自分は盆踊り大会のとき足袋ではなく白い靴下を履いているだけで、お寺の管長様は隣の禅師様に「足元を見ろよ」と指導されているのを見ました。厳しい世界だ。しかし線香の灰の落ちる音が聞こえるほど落ち着いている状態になるとあらゆる虚飾や娑婆気が手に取るようにわかるらしい。それと同じように、普遍性とのコントラストに照らせば浮出るものがある。伝統的な格式の伴ったところの霊性は、自然で素直で可愛くキメが濃やかで、余韻も深い。デュアルコンセントリックから醸されるTANNOYの深い味わいのように。「これは先進の回路でこれにすると云々」と技術者は論理的に提案する。でもTANNOYは人の感覚を信じる。伝統的手法をここまで熟成させてきた陰には、流行り廃れに惑わされない裏づけのある信条が伺える。もちろん同軸のツイーターの周囲を囲うのは金属板で、そこには理論とコストが掛かっているけど。 相手は生きている存在。パラゴンの血を受け継ぐエベレストDD66000の振動のように生きている。あいさつにはじまりあいさつに終わる、礼節に準じる心はお互いを生かす。自分の体調や感性に応じてふさわしい音程・ふさわしい調子・ふさわしい小脳的テンポをみつけて磨く。怠惰に物事を単純化すれば怠惰に単純化したそれらしか得られない。日頃から五体を使い、神・仏の方を向いて精進する。勉強でも目だけでなく指の先まで使ったほうが覚えも早いらしい。それと同じく 神社で祝詞を唱えれば霊性の一致不一致※はあるけど清明な作用がくる。たとえば近所の真言宗の寺が良い寺で、戒壇巡りすると気持ちよく (最近は50年前に比べると参詣者は1/3ぐらいに減ったらしく寂しいが、『 そのような霊験、自分にとっては毎日の現象だが、どうやったら説明がつくのか。ずっと考えてきた。仏の光触かむるものはみな〜 有無を離るとのべたもう〜(意味:仏の光明に照らされれば、有/無への極端なこだわりは失せる)・・・。お経や祝詞により僕のところに作用されてくるのは一体なんなのだ…?師匠がお経唱えたときの 心霊現象を物理的に科学する超物理学という世界がある。でもGoogleで見渡す限りは物理的とは言えないらしい。現象を捉えたものはたくさんある。 でもそこで霊性の実在を物理科学的に説明できるのは今のところ暗黒物質ぐらいしかない。でもその暗黒物質とか素粒子や量子の事は物理学者以外が論じてはならないことでしょう。ヒッグス場の実在が確かめられてニュースになったとき、物理学の准教授をやっている人が報道は間違えてる説明がおかしいとか文句言っていた。物理学出身でもないのに理解できることではないらしい。僕たちは水の分子はH2Oだと記号で知っている。でもH2Oをドラえもんの道具で10cmまで拡大して見て触れなければその本質を知っているとは言えない。半永久的に知ることのできないものごとになる。 cf. 〔暗黒物質の候補〕 -Wikipedia- ウィンプ(winp)=非常に弱い相互作用しかしない粒子。 アキシオン(axion)=冷たい暗黒物質(高速で動く素粒子) ニュートリノ(neutrino)=熱い暗黒物質(高速で動く素粒子)の代表例 タキオン(tachyon)=超光速で動くと仮定されている粒子。過去に向かって突き進む。(せいぜい知識モデルとかフォームでしか想像できないが〔 ビッグバン直後の滑らかな状態からは、現在までの重力では銀河、銀河団にまで物質は集められないので、科学者たちは宇宙の70%は、粒子とは異なり互いに押し出す性質を持つ「暗黒エネルギー」が占めていると見ている。このため、宇宙は加速膨張を行う。残りの30%は粒子。問題は宇宙に存在する全ての星を合わせても、宇宙全体の質量(エネルギー)の5%に過ぎないという点にある。 「白色矮星・中性子星」 …比較的小質量の恒星が燃え尽きると白色矮星・中性子星になる。こうした星が自分で出す光が小さい場合、暗黒物質の候補となりうる。 「恒星」 観測できる多数の恒星がそれぞれ観測できない惑星を持っている可能性があり、これが暗黒物質の候補になる。 補:米航空宇宙局( アメリカの医科大学では最近この手の研究が活発の様で「神の存在」は無理にせよ「祈りの研究」ではシビアで厳正な測定がされて結果が出ている模様。素粒子の観測機が人体に応用できないゆえ物理学的な要因はまだ見つかってはいないが医学的なレベルに基準を下げれば霊性の働きも検証されてる。cf. THE JOHREI INSTITUTE, 日本ホリスティック医学協会 さんかるぱさんのハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究の記事に要点が書き出されていて(具体的な実験内容・実験方法については参考文献を読むかハーバード大学、コロンビア大学やその手の研究機関に聴いてね)そのスピンドリフトという組織の実験結果を引用すると… 1.祈りは実現する。…麦の発芽の実験で、祈られたグループの種子のほうの発芽率がはるかに高かった。(何度実験しても同じであった) 2.苦しい時ほど祈りの効果がある。…発芽しにくいように、麦の種を浸している水に塩分を加える実験で、塩分の濃度を増やすほど(つまりストレスを多く与えるほど)祈りの効果が大きかった。 ←これは川に溺れてる人が空気を求める時のように、苦しむ状況にあるものの方が救いへの希求度が強いからである。悟りとか霊性感応においても同じ事が言える。神社仏閣では神仏(生命力があって有り難い清らかなもの)の方を向いてないと感応が薄い。ある人は霊感があって幽霊は見えるようだけど宗教屋の神はいないと確信している。幽霊は見えて神社仏閣の神仏が見えない(シンクロしない)というのは今現時点での性情や霊性のありようの問題だと思う。またドライブが好きでよく神社仏閣巡りをするも信仰は薄い人がいるけど、その人は「お経なら南無阿弥陀仏でもなんでもいいんだよ」とか達観してる。薬師如来に「南無阿弥陀仏」を唱えてみても、たしかに感応はする。でも日頃からの意識の持ちようの問題があるだろう。その達観者はそのパワースポットでどれほどのパワーを得てきているのか婉曲的に確かめてみたけど非常に薄い印象だった。まぁ「霊感」で感じ取っては来ている様でしたが。仏様を敬って五体投地してない人は、宗教の伝統や作法などなんでもいいとか思っている。そんな無意識の構造があるから、感応が深まらないという事例だろう。井の中の蛙ではいけない。 3.祈りの量は祈りの効果と比例する。…発芽の実験で、祈る時間を2倍にした場合は、発芽率が2倍になりました。(ここは「発芽増加量」で測った方が確実な気がする。) 5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない。…例えば種子を用いた実験では、種子の数が多くても少なくても、結果は同じでした。このことから、祈りの対象数がいくら増えて、例えば1人の人への祈りであろうと、5人、10人であろうとも、祈りの効果は変わらないのです。(これは祈りの力を受け入れようとする意志力を持つものの頭数が比例して増えるからだ、という理由もあると思う。) 6.祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい。…実験によって、祈りの経験の長い人のほうが、浅い人よりも大きな効果を生むということが分かりました。ですから「困った時の神頼み」で、急に思い立って祈る人よりも、ふだんから神棚や仏壇に向かってお祈りをしている人の祈りのほうが、はるかに効果が高いのです。その意味では、神主や僧侶、神父、牧師さんの祈りの効果は大きいと思います。 とのこと。創造神や宇宙の発生以前の世界については古事記では「それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。」と冒頭でいきなり解らないものと不可知扱いにしてる。日本人は自然観察に長けた民族で、古事記の大地の生まれ方の記述は現象に忠実だと思うけど、そればかりは「調べようがない」のだと。 しかし「 遺伝子工学ではDNAをDNAたらしめている力は ロゴスではなくミュトスで語る古事記や書記では、人間は神によって創られたというより、神から産まれてきたという感覚。どちらでも良いけど 古事記では宇宙発生以前は解らず。次に天之御中主神(天主・御中主:絶対神)・高御産巣日神・神産巣日神があらわれて:以上、造化三神(うつし身をもたない)>>>>>別天神・神世七神>>>イザナギ・イザナミ>>>> 天照大御神(高御産巣日神の命令で高天ヶ原の統治)・素盞嗚尊・月読命:以上、三貴神>> 天皇関連の神>>産神> 誕生神(氏神)・他>広意義での八百万の神>人間神(乃木や豊臣など)>霊獣>人工的な霊>他と出てくる。人間はその過程のどこかから居る。また、自然神(川や木や岩に宿る神)の起源はうんと早いようだ。日本的な霊性はここにある。 倫理の教科書を読むと神道には「うけい」という神事があったみたいだけど(今は廃れてる)神仏の存在とか情報を、エクトプラズムを、我々はどうして知覚できるものか・・・・犬の嗅覚は人間の100万〜1億倍ほどあり、走査犬には10日も前に通った道がわかる。通っただけの道が。神経細胞の質・量に理由があるのだろうか。 インド北部のイスラム寺院では儀式で大麻を焚くらしい。それで宗教的雰囲気を増すようだ。たしかに麻薬は感覚を拡大させる。しかし霊感とは必ずしも脳内麻薬で得られた感覚とは同質のものではない。(必ずしも霊性であれば大丈夫なわけではないが… アクシオンは電子質量の1000億分の1という細やかさ。自分自身の霊性が繊細になれば、その網の目にかかり易くなるのではないか。暗黒分子としてでかくなるほど、粒子間を移動しにくくなり、霊性の気感の段階で感じ取れるようになるとか(バイオ粒子反応)。初めは祝詞を唱えても感応しなくても、神仏を崇敬する念を養い宗教的に生きて優しく繊細になるにつれ(愛で合成され)、霊体も時間をかけてキメ細かくなり、神仏からの助けもあってその優しい意識をもった暗黒分子(霊素)に感応動交するぐらいになる。反対に…靈を構成する粒子群はでかくなればすり抜けての移動はできないことにもなる。前ページに書いたあの人魂は意識なく彷徨ってただけだけど、ちゃんと開いた戸を通っていった。無思考に。灰色のメラメ〜ラの人もいた。あの霊魂は蛍光灯の光を反射するのでなく壁の背景が見える暗いめの透明だったので、おそらく磁界の歪みを起こしている体だろう。磁界じゃないかもしれないが量子的な場が歪めば光の進路も歪むのでメラメ〜ラに見えるんだろう。そのとき金縛りを起こしたのは多分、自我の歪み(霊的磁界の)が生体に異常をきたしたからだろう。オーブの写真のように(たいていは埃やカメラの機構だけど)、光のDレンジが拡大すると見えてくるものはあるかもしれない。神仏の光はエネルギー隆起状態により見える。温度は感じなかったけどその光により精神が癒され悪感情も浄化するので精神も霊的磁界をもっているといえる。ソクラテスも墓場にうろついている霊はまともな霊ではないと言っていた。プラトンはフィロソフィは浄化力をもつもののことであると言っていた。お経を唱えるのがよい。(∩ ゚д゚)アーアーアー キコエナーイ さて人間と 網膜には映らない存在、どちらが高次かといっても定性的には比較できないが、やはり細胞や思念に純粋な作用をもたらすもの、御稜威、光明、アミダーユス、そういう力の放たれるものは神や仏と呼び敬うのが相応しいだろう。生命の源泉に通じているのだから。独善的な悪さをもたらすものは魔かな。◎狗は天魔のしもべで霊神の進化した存在。あらゆる人間を見てきているので巧みだ。その巧みさは我の強さに比例したところでもあろう。外来カルト、黒魔術白魔術、Satanic Bible、…非常に厄介猪八戒で面倒な界隈。不浄霊となるのは意識体レベル(阿頼耶識)に不浄を遺した霊魂。それの集まる(好む)場所は気が悪く(瘴気)、悪寒を催す。肩や脹脛が重くなる。でも心経100回も唱えればそういった霊障も少しは消える。偉大なものになると地球のようにでかかったり月のように麗しいだろう。 ・・・あぁ福禄寿の頭のおおきさよ。チャネリングのほとんどは低次元な高級霊だけど毘盧遮那クラスになるとうかがい知れないと思う。千種の手を無意識に扱える千手観音のIQはいくつだろう。我々は肉体があるから一つの顔しか持てないけど十一面観音は時空に囚われずに同時に多くの顔をしてる。おそらく実物は彫刻で物体化された仏像の姿以上にカオス。ゲーデルエッシャーバッハ。かの不可分な数式を現前に出だすと神の思考は所詮御伽噺にしか見えないとか。いや。それを論理で読めばダニューバーはそのとおりレングードの神となるだろう。オーディオでも葉脈的な振動が出せなければ機械的な音色(おんしょく)になるが、ダニューバには計算できないものがミュトスである。おしゃか様が生前;肉体を持ちながらにして涅槃に至ったというのは伝説的なところだろう。魂は法力あるものに供養してもらえばいつしか成仏できる。あちらの世には善も悪もない。定義がない。アナログ的な性質だけがある。幽界は法則そのもののような活動形態。人間世界には法律やヒエラルキーが明文化されてるけど六道やらの境界は不明確で、意識精妙体の世界はカオスにたゆたう。そのカオスが、ある宗教ではまるで無間地獄という実態で、学者は学者同士、企業は企業同士で友情やら敵対関係があるとか。浄土には通過儀礼( |
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