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.ℜ 僕がなぜ霊性とか魂の実在する理由なんてこんなにも探ろうかとしているかというとこの経緯としては高校卒業まで正味10年ピアノをやり、実際にドラクエとか弾いてみたときの音楽の感動を大学の一人暮らしで思い出してせつなく、その補償行為もあってかオーディオへのこだわりのみは空駆けて、普通の人にとってはどうでもよいはずの音への究極のこだわりはやがて宗教に、哲学の限界とともに霊性感応に、霊格パロメータに、オーディオ体系ともどもつながってきていて、今さら安易な物理学の信者に霊性を否定されようが悦に入られようがそんな一般趨勢に批准しようなどとは思わない。それはどうでもいいけど人は動物とは違い、良かれ悪しかれ動物にはない感情を抱くゆゑ、人間には信仰が必要だと信じているからである。(中略)霊性にも調性があり生命力がある。音楽学では「調性」の対極にあるものは「 (上略)線香の灰の落ちる音が聞こえるほど落ち着いている状態になるとあらゆる虚飾や娑婆気が手に取るようにわかる。それと同じように、普遍性とのコントラストに照らせば浮出るものがある。伝統的な格式の伴ったところの霊性は、自然で素直で可愛くきめが濃やかで、余韻も深い。デュアルコンセントリックから醸されるTANNOYの深い味わいのように。「これは先進の回路でこれにすると云々」と技術者は論理的に提案する。でもTANNOYは人の感覚を信じる。伝統的手法をここまで熟成させてきた陰には、流行り廃れに惑わされない裏づけのある信条が伺える。 霊性感応は自身の霊性との同時的なところでもあります。液体と気体は交じり合う。それは鏡面のAuraがB&Wに浸透するように。霊性もお互いに連動しあっているもので、とくに神・仏の波形と調和すると直霊はハルクロdm88級の上質感になるのでございます。釈迦は神などいない輪廻もないというし、臨済は仏を見たら殺せとまでいってるのだけどそれは修行者にたいする対機説法。それは世の中騙すやつしかいないし自分の見方を普遍化してるやつしかいないから人に言われたことをそのまま鵜呑みにするなと自己の判断を重んじるため。また関係念慮・関係妄想などの迷いをなくすため。音の振動は存在してもそれは鼓膜まで。鼓膜より先は有髄神経のインパルスで 相手は生きている存在。パラゴンの血を受け継ぐエベレストDD66000の振動のように生きている。あいさつにはじまりあいさつに終わる、礼節に準じる心はお互いを生かす。自分の体調や感性に応じてふさわしい音程・ふさわしい調子・ふさわしい小脳的テンポをみつけて磨く。怠惰に物事を単純化すれば怠惰に単純化したそれらしか得られない。縁自体が怠惰に単純化するので、簡略化した世界觀を皆が持ち始める。日頃から五体を使い、神・仏の方を向いて精進する。勉強でも目だけでなく指の先まで使ったほうが覚えも早い。それと同じく 厳密には 霊性(スピリチュアリティ)・・・ 一般的には肉体※に対応したものとして使われる。SQ、EQ、魂の品位や方向性としても使われてる。霊性とか霊というのは上位概念の便利さゆえ包括するものは広範囲に及ぶけど、ここでは更にその構成要素に、経絡を流れる「気」とか、ヨガでいう「プラーナ」等に、霊感はその気とかプラーナに感応する事に意味を絞ってます。cf.{※僕は物理学に触れる以前は霊性を「非物質的なもの」と思っていたけど物理学では相互作用があるものを物質と呼ぶようだ。光も物質。よって霊感というものがあるのなら何らかの相互作用があるわけで霊も物質という事になる。物体と混同していた。まだ書き直せてない部分があります。ご指摘ください。Mail} 神社で祝詞を唱えれば霊性の一致不一致※はあるけど清明な作用がくる。(※空間に浮遊するヌースがあるとしても、心がそれと相互作用してなければなにもないのと変わりない)。たとえば近所の弘法さんが良い寺で戒壇巡りすると気持ちよく (たまに人は来るが安心して霊の浄化に時間費やせる。最近は50年前に比べると参詣者は1/3ぐらいに減ったらしく寂しいが、信仰する人しかほとんど来ないので『 心霊現象を物理的に科学する超物理学という世界がある。でもGoogleで見渡す限りは物理的ではない。現象を捉えたものはたくさんあり、 でもそこで霊性の実在を物理科学的に説明できるのは今のところ暗黒物質ぐらいか。なにかないものか。(神社に石投げたり仏壇壊したりしたら何か起こるか、とか試したくもなったけど何か起こっても物理的な根拠にはならない。個人的な思い込みだと片付けられるうえに霊障まで負ってしまう。それが狙い通りかも知れない。もし存在するなら霊性にたいして失礼であろう。神聖なものは透明なので証明からは遠のくが、今までどおり cf. 〔暗黒物質の候補〕 -Wikipedia- ウィンプ(winp)=非常に弱い相互作用しかしない粒子。 アキシオン(axion)=冷たい暗黒物質(高速で動く素粒子) ニュートリノ(neutrino)=熱い暗黒物質(高速で動く素粒子)の代表例。(こんなすごい物質群に満たされていることを想像した方がいいけど) タキオン(tachyon)=超光速で動くと仮定されている粒子。過去に向かって突き進む。(素粒子の運動を忠実に想像できる人は一人もいない。せいぜい知識モデルとかフォームでしか想像できない。〔 ビッグバン直後の滑らかな状態からは、現在までの重力では銀河、銀河団にまで物質は集められないので、科学者たちは宇宙の70%は、粒子とは異なり互いに押し出す性質を持つ「暗黒エネルギー」が占めていると見ている。このため、宇宙は加速膨張を行う。残りの30%は粒子。問題は宇宙に存在する全ての星を合わせても、宇宙全体の質量(エネルギー)の5%に過ぎないという点にある。 「白色矮星・中性子星」 …比較的小質量の恒星が燃え尽きると白色矮星・中性子星になる。こうした星が自分で出す光が小さい場合、暗黒物質の候補となりうる。 「恒星」 観測できる多数の恒星がそれぞれ観測できない惑星を持っている可能性があり、これが暗黒物質の候補になる。 補:米航空宇宙局( 後記…アメリカの医科大学では最近この手の研究が活発の様で「神の存在」は無理にせよ「祈りの研究」ではシビアで厳正な測定がされて結果が出ている模様。素粒子の観測機が人体に応用できないゆえ物理学的な要因はまだ見つかってはいないが医学的なレベルに基準を下げれば霊性の働きも検証されてる。cf. THE JOHREI INSTITUTE, 日本ホリスティック医学協会 さんかるぱさんのハーバード、コロンビア大学等で祈りの研究の記事に要点が書き出されていて(具体的な実験内容・実験方法については参考文献を読むかハーバード大学、コロンビア大学やその手の研究機関に聴いてね)そのスピンドリフトという組織の実験結果を引用すると… 1.祈りは実現する。…麦の発芽の実験で、祈られたグループの種子のほうの発芽率がはるかに高かった。(何度実験しても同じであった) 2.苦しい時ほど祈りの効果がある。…発芽しにくいように、麦の種を浸している水に塩分を加える実験で、塩分の濃度を増やすほど(つまりストレスを多く与えるほど)祈りの効果が大きかった。 ←これは川に溺れてる人が空気を求める時のように、苦しむ状況にあるものの方が救いへの希求度が強いからである。悟りとか霊性感応においても同じ事が言える。神社仏閣での霊性感応は神仏の志向状態でないと感応が薄い。ある人は霊感があって幽霊は見えるようだけど宗教屋の神はいないと確信している。幽霊は見えて神社仏閣の神仏が見えない(シンクロしない)という事は神仏に向かっていないからだと思う。神仏の方が幽霊より遥かに生命力があって有り難いし清らかだけど、そういう善なるものが世の中に在る事を信じられない、あっても共感しない…というのは今現時点での性情に因る(人であれ神であれ同じ事かもしれない)。またドライブが好きでよく神社仏閣巡りをするも信仰は薄く感応の薄い人がいるけどその人は「お経なら南無阿弥陀仏でもなんでもいいんだよ」とか達観してる。たしかに何でもいいんですけどね。薬師如来に「南無阿弥陀仏」を唱えてみても、たしかに感応はする。…でも無意識の領域で齟齬が生じてる。その達観者はそのパワースポットでどれほどのパワーを得てきているのか婉曲的に確かめてみたけど非常に薄い印象だった。まぁ「霊感」で感じ取っては来ている様でしたが。仏様を敬って五体投地してない人は、宗教の伝統や作法などなんでもいいとか思っている。そんな無意識の構造があるから、感応が深まらないという事実はある。経験済み。井の中の蛙ではいけない。できれば神のように気高い霊性の高みを自らが志向をしてほしい。 3.祈りの量は祈りの効果と比例する。…発芽の実験で、祈る時間を2倍にした場合は、発芽率が2倍になりました。(ここは「発芽増加量」で測った方が確実な気がする。) 5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない。…例えば種子を用いた実験では、種子の数が多くても少なくても、結果は同じでした。このことから、祈りの対象数がいくら増えて、例えば1人の人への祈りであろうと、5人、10人であろうとも、祈りの効果は変わらないのです。(これは祈りの力を受け入れようとする意志力を持つものの頭数が比例して増えるからだ、という理由もあると思う。) 6.祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい。…実験によって、祈りの経験の長い人のほうが、浅い人よりも大きな効果を生むということが分かりました。ですから「困った時の神頼み」で、急に思い立って祈る人よりも、ふだんから神棚や仏壇に向かってお祈りをしている人の祈りのほうが、はるかに効果が高いのです。その意味では、神主や僧侶、神父、牧師さんの祈りの効果は大きいと思います。 とのこと。創造神や宇宙の発生以前の世界については古事記では「それ、混元既に凝りて、氣象未だあらはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。」と冒頭でいきなり解らないものと不可知扱いにしてる。日本人は自然観察に長けた民族であったと思うけど、そればかりは「調べようがない」のだと。しかし祈りを医学的に検証する事に限定すれば前提の妥当性・論理的整合性・検証性・再現性・反証可能性を満たす事が出来るという算段はある。医学というものは観察で成り立ってる。 遺伝子工学ではDNAをDNAたらしめている力は ロゴスではなくミュトスで語る古事記や書記では、人間は神によって創られたというより、神から産まれてきたという感覚になる。どちらでも良いけど 古事記では宇宙発生以前は解らず。次に天之御中主神(天主・御中主:絶対神)・高御産巣日神・神産巣日神があらわれて:以上、造化三神(うつし身をもたない)>>>>>別天神・神世七神>>>イザナギ・イザナミ>>>> 天照大御神(高御産巣日神の命令で高天ヶ原の統治)・素盞嗚尊・月読命:以上、三貴神>> 天皇関連の神>>産神> 誕生神(氏神)・他>広意義での八百万の神>人間神(乃木や豊臣など)>霊獣>人工的な霊>他と出てくる。人間はその過程のどこかから居る。また、自然神(川や木や岩に宿る神)の起源はうんと早いようだ。日本的な霊性はここにある。 倫理の教科書を読むと神道には「うけい」という神事があったみたいだけど(今は廃れてる)神仏の存在とか情報を、エクトプラズムを、我々はどうして知覚できるものか・・・・犬の嗅覚は人間の100万〜1億倍ほどあり、走査犬には10日も前に通った道がわかる。通っただけの道が。神経細胞の質・量に理由があるのだろうか。 インド北部のイスラム寺院では儀式で大麻を焚くらしい。それで宗教的雰囲気を増すようだ。たしかに麻薬は感覚を拡大させる。しかし霊感とは必ずしも脳内麻薬で得られた感覚とは同質のものではない。霊性で感じる素直なものである。(必ずしも霊性であれば大丈夫なわけではないが… アクシオンは電子質量の1000億分の1という細やかさ。自分自身の霊性が繊細になれば、その網の目にかかり易くなるのではないか。暗黒分子としてでかくなるほど、粒子間を移動しにくくなり、霊性の気感の段階で感じ取れるようになるとか(バイオ粒子反応)。初めは祝詞を唱えても感応しなくても、神仏を崇敬する念を養い宗教的に生きて優しく繊細になるにつれ(愛で合成され)、霊体も時間をかけてキメ細かくなり、神仏からの助けもあってその優しい意識をもった暗黒分子(霊素)に感応動交するぐらいになる。反対に…靈を構成する粒子群はでかくなればすり抜けての移動はできないことにもなる。前ページに書いたあの人魂は意識なく彷徨ってただけだけど、ちゃんと開いた戸を通っていった。無思考に。灰色のメラメ〜ラの人もいた。あの霊魂は蛍光灯の光を反射するのでなく壁の背景が見える暗いめの透明だったので、おそらく磁界の歪みを起こしている体。磁界が歪めば光の進路も歪むのでメラメ〜ラに見えるんだろう。そのとき金縛りを起こしたのは多分、自我の歪み(霊的磁界の)が生体に異常をきたしたからだろう。神仏の光はエネルギー隆起状態により見える。温度は感じなかったけどその光により精神が癒され昂揚し、悪感情も浄化するので精神も霊的磁界をもっているといえる。暗黒の霊性は磁界を歪ませる精神をした存在といえる。ソクラテスも墓場にうろついている霊はまともな霊ではないと言っていた。プラトンはフィロソフィは浄化力をもつもののことであると言っていた。お経を唱えるのがよい。 さて人間と 網膜には映らない存在、どちらが高次かといっても定性的には比較できないが、やはり細胞や思念に純粋な作用をもたらすもの、御稜威、光明、アミダーユス、そういう力の放たれるものは神や仏と呼び敬うのが相応しいだろう。生命の源泉に通じているのだから。独善的な悪さを作用するものは魔かな。◎狗は天魔のしもべで霊神の進化した存在。あらゆる人間を見てきているので巧みだ。その巧みさはルサンチの強さに比例したところでもあろう。外来カルト、黒魔術白魔術、Satanic Bible、…非常に面倒な界隈です。不浄霊となるのは意識体レベル(阿頼耶識)に不浄を遺した霊魂。それの集まる(好む)場所は気が悪く(瘴気)、悪寒を催す。肩や脹脛が重くなる。でも心経100回も唱えればそういった霊障もたいてい消えてるので人間時ほど頑迷ではないんだろう。その後霊性が伸びるかどうかは信仰とか心の在り方に拠るところが大きいらしいが(結局は元の場所に戻る)。またオーブの写真のように(たいていは埃やカメラの機構だけど本物もある)、霊魂にも反映する色とか形がある事は論理的には考えられる。偉大なものになると地球のようにでかかったり月のように麗しいだろう。 ・・・あぁ福禄寿の頭のおおきさよ。チャネリングのほとんどは低次元な高級霊だけど毘盧遮那クラスになるとうかがい知れないとか。千種の手を無意識に扱える千手観音のIQはいくつになるんだ?? あぁモオツアルト。ゲーデルエッシャーバッハ。かの不可分な数式を現前に出だすと神の思考は所詮御伽噺にしか見えないとか。いや。それを論理で読めばダニューバーはそのとおりレングードの神となるだろう。ダニューバには計算できないものがロゴスである。機械ごときに至れない次元が涅槃なのである。おしゃか様が生前に涅槃に至ったというのは伝説的なところだろう。でも法力あるものに供養してもらえばいつしか成仏できる。あちらの世には善も悪もない。定義がない。アナログ的な性質だけがある。幽界は法則そのもののような活動をする。人間世界には法律やヒエラルキーがあるけど六道やらの境界は不明確で、意識精妙体の世界はカオスにたゆたう。そのカオスが、ある宗教ではまるで無間地獄という実態で、学者は学者同士、企業は企業同士で友情やら敵対関係があるとか。また浄土には通過儀礼( |
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