【愛と憎しみの海】

 海へゆけば、肉体の海が海に応答する。太古からの海に耳をすませば、風が歴史を運んでくれる。海は人間のあらゆる海的な記憶を秘めている。海は母なる愛と深い憎しみ。海へゆけば、たくさんの変な生き物がいるけれど、すべて愛憎のパーセンテージで成り立っている。海の掃除屋であるホンソメワケベラに寄る魚や、別種で共生するケースも多い。なまこのほとんどは愛のようだ。喰われるがままにする。そんななまこのようになるにはどうしたらいいんだろう。海に潜ると鰓を養って海に戻りたくなる。悉有仏性の海に。


神のそばにいるとだんだんと身体がまろやかになってくる。肌がすべすべとしてくる。邪気がさーっとなくなってゆく。祝詞はゆっく〜り丁重に気持ちよく。百体清浄は20秒で6回より、1分かけて2回のほうがいい。青空の移り具合にあわせるゆっくりさ加減だ。

【海化か火の海か】

おしゃか様は海化するにこう教える 仏遺教経
マルドロールは火の海と化す芸術 第二の歌

日本神道の神は祝詞唱えると稲のようなさわやかさがする。日本酒の器のような白さで、日本海のようなおいしさで。地元の薬師寺はまがつひが次第に笑えてくる。家の仏壇はごはんのようだ。ごはんは胃にもたれないで温まる。シヴァ神は色の濃い甘いネクタールのような酩酊だろうな。キリスト教は均整のとれた音楽だった。精霊の海に満たされた。


【憎しみと慈しみ】


物理学・数学をやっている人は鬱病・統合失調症等になりやすいようだが後天的なものだろうか。理論に忠実であっても人体に忠実な「生き方」をしていないと非人間的な獲得形質を得るとか。宗教やっている人の中にも統合失調症患者は多いと言う人がいるがこれは偏見である可能性が高いし、治らない苦しみから宗教に頼っている場合が多いので先天的なものである。たしかに元は健全でも宗教をやっているうちに外道の制多に属し、途中から人間の道を離れる者もあるが。自分の観察では科学とか宗教どちらであれ後天的な精神病患者には共通して「愛」とか「慈悲」が欠落していたように思う。かつてそれを毀損していたなど。ニワトリ症候群も危うい。精神障害の一歩手前の人格障害に陥ると「愛」という用語にすら拒絶反応を示す。自然に触れたり全体が見えないと愛とか慈悲は見えてこないと思う。科学ではNOTCH4という形質の塩基配列が統合失調症に関係していると解明できる。ではなぜ、NOTCH4という塩基配列の割合が増えるのか。…というところまでは解明できない。オゾン層の破壊で紫外線が強まった事が影響してるのか?放射能が影響してるのか?食品の欧米化やインスタント食品の影響か?敗戦から60年経過し、生活スタイルの変化が長期化してDNAにも影響してるのか?核家族化によるニワトリ症候群が影響してるのか?大気汚染による大気の恒常性が失われつつある事やケミカル雨や工場排水は影響していないのだろうか?遊び場が無くなりゲーム&テレビパソコンで時間を過ごし、日常的に運動をしなくなった事は間接的な要因には挙げられないだろうか?などなど。仮説を立てる事は可能。獲得形質が遺伝しないのなら霊性や思想の影響もあるのかもしれない。神智学では小球は愛で引き寄せ合い憎しみで離散すると言っているが信仰生活の経験上正しいと思う。パワースポットに行くと表情が良くなる。パワースポットには人間を人らしく成形する力があると思う。愛や慈悲にも「質」の問題があり姿形の形成の美しさ(音楽的な調和)にも個性があると思う。人間の心と身体には病苦が付きまとうが治療の際に宗教・特に伝統宗教を疎かにしてはならないと思う。強くて清い愛があればDNAも健常な形状になるし、信仰の力があれば統合されてゆくと思う。怨念を超克する行も必要。