− 神がいる世界 −

「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。世界がこれまで持った、最も神聖な、最も強力な存在、それが我々のナイフによって血を流したのだ。この所業は、我々には偉大過ぎはしないか?こんなことが出来るためには、我々自身が神々にならなければならないのではないか?」というニーチェの帰結は一神教へのルサンチから。科学は進歩し人は物質的になり、戦後になってサタンの怨念も晴れたのか人間は目を醒ました。「我々は神を殺してしまったのではないか。」 我々は神を殺してしまったのだ。
人間は想像の産物ではなく、子供として地上に送られた肉体的存在である。しかし、恐竜なら愛玩で済んでいたものの、神の心に限りなく近い存在であるがゆえ、自分の存在に気づいてくれないことを余計に寂しく思うようになった。人間は親子で愛し合うも自分が創造の親なのに・・・と複雑な気分である。同時に人間もなにか不足感があることを感じている。でもそれが何であるかはわからない。
神は子供が幸せなうちは気づいてくれなくてもまぁよしとするが、悲しんでいたら矛盾した気分になる。かわいそうな人は神を求めれば救われる。孤独な人は神に向かえば救われる。イエスも悲しい人であった。神を実況した彼の言葉を信じよう。牢獄・密室で天に向かって手を結んで救いを求める構図がこの種の祈りにふさわしい。なんて考えないでいい。苦しみの極地にあるときは祈ってみよう。ホームシックのとき、下痢のとき、朝起きたくないとき、神に祈ってみよう。裕福な気分のときにもっと満たしてくださいと祈ってみてもそれ以上は与えられないけれど、苦しいときには救われる。



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