ヴァイオリンの制作者は手でコンコンと叩きながら筐体を製造し、奏者は自分の楽器は自分の耳で選んでいるが、オーディオにおいても聴診器を使って〔SS-AR2〕リブを取り付けられたスピーカーの響きは自然。美音に於いてはコンピューター解析が活躍する側面はあるが〔I-ARRAY System等〕、美しい旋律はそうはいかない。名曲は人間の知能(あるいは人知の及ばぬところからのインスピレーション)によって導き出されるもの。オーディオでも名旋律の思考回路で作られたアンプもあり〔参考:QUAD44〕、その回路の創造はパーツの吟味とは次元の違う話であり才能とか感性とか、目的意識により知識の応用された世界になる。積み重ねが必要なので耳が良いだけの素人には出来ないし、スパコンが活躍する領域ではない。やはり、生きた感性によって造られたオーディオこそ生きた音のオーディオになりうる。という千年たっても変わらない事実がある‥。
音楽は神や自然の恵みを享受し人生の過渡で歓喜した折りに創造され表現される。音楽は喜びである。音楽は単なる音響ではない。よくここまで昇華した人間の精神を称揚し、鼓舞し、インスピレーションを与える霊性は人間より高いエネルギー。原始的なエネルギー。それを芸術という形にするのが人間です。音楽を単なる五線譜の旋律と和音の組み合わせだと不遜な態度で考えても音楽は得られない。退行する。オーディオ機器にも創造が働いている場合があって、あらゆる音楽性にたいしてその"味付け"を指摘したがる人は霊感や祈りなどという物理学でもまだ解明できていないものの存在など認めないことだろう。99.9%ね。まぁ その味付けがほとんど美意識の欠けた人為だと云うのならほとんどない方がいいのですが。たしかに。疲れるし。しかし‥やなのは現代人にとっては音楽とは完全に人間によって作られたものになっている事である。インスピレーションを日本語に訳すと『霊感』なのだぞ。西洋人は直感的で東洋人は皮膚感が繊細であるとの違いはあるが指し示すものは同根である。そこ(からの逸脱は科学に無知の古代人の原始的発想からの逸脱でしょうか。進化でしょうか。しかし神の存在については疑っても神の不在については疑わない…一応懐疑論者や不可知論者の立場をとって、現象の有無について‥大人の態度を示してみるも、ふたを開ければどちらかに偏っている。たいてい無に傾倒してる。‥なぜ潔癖症のように人為や人の主観を拒むのだろう。それが核家族化した社会の心理的に健康な姿なのだろうか。音楽が‥作曲者により音楽的妙趣を捏造されたものであるというのなら、オーディオも設計者により音響的妙趣を加味されたものであっても(あくまでそれが芸術であるなら)芸術と呼べるのではないの?設計者にもインスピレーションがあるのではないのかな。 あ…そんなに顔を赤くして怒らないでください。ごめんなさい。ガクガク(((((((( ・д・)))))ブルブル あれ?なにか地盤が緩いな…そういえば工場や建築の現場でもそうだけどあるレベル以上の人になると人の感覚は科学技術を超えるらしい。航空機の部品を製造している工場のある職人は精度を触感で決める(海外のマニアックな表彰を受ける技術)。またある93歳の溶接者の技術は溶接機で機械的に溶接されたものの硬度を超える。人の手でしか為せない部位がある。そこを任される。…優れた音楽は、神の信仰とか、祖国を愛する心がなければ生まれない。あるレベル以上の。作曲ソフトでハルモニアを形成して、適当にランダムで音を構成させて、偶然できががった旋律の機械的な作曲で、作れるものじゃない。オーディオも神の声と人の耳で作られなくてはモダニズム期の実験音楽やコンピューター音楽の様な音になる。文系理系でいうと完全理系の、純度の高さが数学的に際立った音楽・・  Σ ~(゚゚∀゚゚)~ それは自然環境音か。





音響さんのための古神道




音響工學
神道古神道
科学は帰納法…A'という事実があるからAは確かである。 哲学は演繹法…Aという事実があるからA’でもあろう。
単子を問題にする 縁を含む
音を説明する事が出来る 音楽を聴く事が出来る


自然界の法則をありのままに再現するために。木々の枝分かれ、雲の形、風のそよぎ、波の寄せ返し…。それぞれ、複雑な形状のなかにも一定の法則があり、美しさや安らぎを感じることができる自然界。オーディオに求められる真理とは、その法則に基づいた自然な音を再現することに尽きる。- Back & Muller - 人間が石を平気で残骸とみなすようになったのは、みずからのもっとも貴重な特質のいくつかを放棄したためである。石たちは、上手に耳を傾けようとする人々にたえず語りかける。聴く者の知っていることを通じて、石たちは、聴く者の知りたがっていることを教えてくれる。-アンドレ・ブルトン-
宗教が意味不明、疑問だらけと思う人は、音楽と照らして考へてみるといい。 日本語の霊感は、西洋のインスピレーション。アンドレ・ブルトンのこの言葉はどちらかというと日本的な霊性。
「ケーブルでは音が変わらない。すべて思い込みである。ケーブルで音が変わる科学的根拠がない。」(実際には抵抗値や導体内部インダクタンスや浮遊電子の量に相違がある。) ヴォイシング(Mark Levinsonでは聴感でパーツ選びをする事)でオーディオを設計する。コンデンサのアルミ箔の巻きの強さにまでこだわってる〔Accuphase A200〕。
ある物理学の助教授によると「ヴィトゲンシュタインは地動説を人間の感覚にあわず理不尽だと仰っていたが、ニュートン力学を超えた一般性相対性理論で、強烈な重力の影響を受ける場所では時間は異常に早く進み、逆に強烈な重力の影響を受けない場所の外側から見た場合、強烈な重力の影響を受ける場所の時間が凍結した様に見える。一般社会に住む人間の感覚を遥かに超えた事象を彼はどう思うのだろう?科学者の記述も完全ではないが、彼らはそれを知っており、妄想や固定観念や思い込みを捨て、事実をありのままに受けようと努力している。」 とのこと。科学的な事実を主体にしている。 左記に対して天動説を支持。その理由…地球上で生きる限りは重力はほぼ一定に働いているし人間はこの地上で進化してきた。地球に生命が誕生し、地上に進出して以来、地上の生命は太陽と月が移動し昼と夜が繰り返される環境下を適応・進化してきた。人間が人間になるまでの間、星のカーテンをずっと見てきた事になる〔T-RECS〕。地動説が人間の感覚に合わないのは当たり前である。ミラーニューロンの働きと同じように、空の変化は肉体に記憶されて連動しているだろうと思う。時計遺伝子もある。ウィトゲンシュタインは生体を主体にして物語っている。宗教は正直さや肉体的な素直さで現象を認知してゆく方に重きを置く。音ではなく、自然環境音と音楽を聴く。
レンジの広いもの、周波数的にフラットなものを優位とする。人間味というエレメントを拒みひたすら物理特性を追いかける。 宗教寄りの人は百聞は一見に如かずで論理より体験で考える。物理特性より音の質感を求める。
味覚センサー、周波数測定器、CCD、LHC 舌、耳、網膜、成形されたDNAの意志
しかし周波数帯域がすべてではない。トランジスタやデジタルアンプは帯域的にはフラットで真空管よりDレンジもfレンジも優れているが、出力が落ちるとある段階でスパッと音が出なくなる特質がある。グラフで見るなら階段状に。振動の一つ一つ、個々の微粒子に於いてそのような特性があるので余韻が出にくく音色は無機質であっさりとしている。 真空管はフィラメントから熱電子を放出して音を出すが出力が小さくなっても音は途切れずに出続けるようだ〔musica〕。左記のような階段状の音とは無縁である。一つの楽音のみならず一つ一つの音の素粒子においても。真空管は帯域的にはバラバラでレンジも伸びていないが人間が最も感度の高い「声の帯域」が充実している。人間の耳には真空管の方が合っているだろう。〔真空管じゃ嫌な人 → HiT LTC101055S
トランジスタアンプを手がける大手メーカーが高い出力数を獲得しようとする理由は、音がクリップした時の音が不愉快だからのようだ〔LUXMAN〕。トランジスタアンプではクリップした時に奇数倍音が出る。 真空管では音がクリップしても"さはり"として聴こえる。真空管の過大出力では偶数倍音になる。だから真空管ではそこまで電源周りに神経質にならなくてもよいようだ。
音は空気を媒質として伝ってくる。音圧=空気を押す力の大きさ。 霊感とか以心伝心はヒッグス場かダークマターを媒質として伝ってくるものだと思う。
音楽は実在するのだろうか。
音楽:音素の連続が意味をもったもの
音響:瞬間的なもので音楽的には意味をもたないが音色としては生きた要素がある
騒音:不愉快な音響;寿命を縮める音楽
スペクトル:クラスタまで微分化された情報;科学
文学:音楽的な意味をもった生きた情報;楽譜
文字:文学的には意味をもたない單純な情報;記号。習字とか梵字は除く
言葉:そこに言霊があると音楽が実在する解釈も変わってくる
意識そのものが波形を持った波動と仮定すれば今の物理学の定説では素粒子群にも波動があるので、素粒子的な意識はそのスケールにも宿っていると言える。素粒子の数だけ波形を作る波動があり複合派になる。…音楽と音響で考えてみると現象にある音響と心にある音樂。ともに振動とか躍動。その結合(シニフィカシオン)は恣意的ではあるけれど、通様相的でもある。色不異空の悟りを考えるとソシュールが最後そのテクストを処分した気持ちもわかる気がする。ソシュールはそれ以上の事に気がついてしまったのだと思う。「言霊」という現象が万が一でもあると言語学の定説はどのように成るのか。問題となるのはその現象を生み出している根源たるところだが、それが論理とか客観の科学ではなく詩とか宗教の扱う領域になるのはヌースが音樂であることから考えると、現実問題としては自然の流れである。固有名詞を解体することは不可能(複合派までの全てを論理的に整合性の保たれた説明を為せるならともかく)。胎内記憶

・有機的な情報はエネルゲイアを発生す
・エネルゲイアには有機的な情報が含まれている
 ・・・> 以心伝心=意味のある偶然性(共時性)=「噂をされるとくしゃみが出る」(日本の迷信だが作者に何らかの意図はありそう)=「人の悪口を言っているとき、自分も言われている」(ロシアのことわざ)

樂譜は1ナノメートルにも記述できるがそれを読んで演奏すればホール全体に広がる。樂譜に記述されたものが記号ではなく有機的な何かなら、演奏するまでもなく音樂は実体化する。霊は微分化できる生きた情報である。ただ音響にも生理的・意識的感化はあるにはあるが、それとは比較にならないぐらいに霊的エネルゲイア(;エランヴィタール)は心身にたいして影響を残す傾向がある。なぜならそれは生体自身;全身全霊に影響を与えているから。またそのときには音樂を音樂として解するようにして霊の情報内容を読めずとも、作用後にニューロンの綜合が行われているので、適正化に応じてなにかが得られてることもある。たとえばオーディオでいうとAccuphaseのE-530とE-550のような微妙な差異は、店頭では違いがわからないが、家で鳴らせば一日も経たずにわかってくる。
 〔種々のカテゴリーによる音の分類〕
音の成分による分類 純音と複合音(衝撃音、連続音)
音程の有無による分類 楽音とそうじゃないもの
主観による分類 ききたい音(情報音)と
ききたくない音(噪音)
phon=音の大きさのレベル
sone=感覚的な音の大きさ
 〔音源と音響パワー〕
人が発声する音声のエネルギーは数μWであり、1億人が同時に話しても、100Wの電球数個を点灯することができるにすぎない。人間の発声器官と聴覚器官による音声のコミュニケーションは、エネルギー的にきわめて効率のよい手段であるといえる。(近代科学社『音響・音声工学』)
音によって音楽のイメージが変わる人と、変わりにくい人がいる。音楽のイメージが変わりやすい人は、いい音で聴いたほうが音樂を楽しめやすい。光も音も生きた現在進行形の振動で、生きている人間のSignifieにそのまま影響してくる。アポジーのリボン型モニターは機械的に美しい高音が出る。弦楽は新しく響き[Signifiant]、そう想起される[Signifie]。まろやかなATOLLなら円熟したPlasson(仏・作曲家:1933-)になって、貴金属合金なconisisなら前衛的なFurtwangler(ドイツの指揮者。作曲もしている)になる。同じ海でも日本海の人と地中海の人とではイメージする海が違う。「海」とか"la mer"の違いになる。逆に、「あ・うん」の呼吸を表すオン、アーメン、オームは遠く離れた異国の地でも共通している。なので、エイドス(イデア)で音楽を觀照したい場合は音質は関係ないと思うが、一般的な音楽鑑賞では音質が関係する。どちらがいいとか優れているとかいう問題ではない。脳とか聴き方の問題。 そこに浮遊するヌースにも音樂がある。そのヌースの意味するところは絵本を見る子供の心境なのか(・∀・)? 、汽車にたいする想いか、プロメテウスの法悦か。宇宙の広さに比例した情報がある。(ヌースはそのままの形状で運搬・感応するので、自分が他人にたいして言いたいことは他人が自分にたいして言いたいことであるというのも、認めたくはないけどよくある側面。恋は盲目だというが、相手に純粋な恋心ほど純粋な恋心を促すというのもたしかである。電車で隣にいる人に念を送ると反応をする。こちらは当然ポーカーフェイス。)
音は空気を媒質とした粗密波だけど、基音と倍音などの複合波により無限の波形(音色)を出す。音色といっても振動でしかない。さらに鼓膜より先の有髄神経の先にある恣意も無限なので、その音色のあらわれは無限乗になる。そのうえ時間の軸上では発生したり減衰したり音樂になる。たかが空気振動でもそんなにも無限の様相を秘める。しかもヌースを含めると、原子や素粒子の振動も乗算されている世界。= 科学は時間を止めた世界なので科学の枠組み自体に音楽はない。科学は説かれている時間を含めると音樂になる。
音叉=特定の高さの音を発する道具。ピアノの調律でも使う。音叉の発する音は、ほぼ純音である。叩いた直後にはさまざまな上音を含んでいるが、この形では基音以外の音は持続し得ないので、すぐに消え去り、純音が得られるのである。
電磁相亙作用=電場あるいは磁場から電荷が力を受ける相亙作用といい、基本相亙作用の一つである。電磁相亙作用で発生する力は電磁気力といい電荷にはプラスとマイナスがあり、同じもの同士で斥力、異なるもの同士で引力が働く。ゲージ場理論より、相亙作用を媒介する粒子が存在し、電磁相亙作用の場合は光子が媒介する。電磁相亙作用を媒介する光子を仮想光子と呼ぶ事もある。Wikiより
その空間に特殊な磁場[A]があると自分の特殊ななにか[A]は共鳴する。あるのは磁場だけではないと思う[]。伊勢神宮に行って清々しくなる人は過半数だと思うけど、一部の人はそのときに御稜威を浴びて気持ちよくなっている可能性もある。
ゆうふらのことば
温度、湿度があがればsound absorptionの程度は小さくなる。それは媒質である空気の粘質によるところ。
固体・気体問わず温度があがれば粒子運動のエネルギー減衰量も小さくなるので、その指標にmarantzのアンプにはサーモアップメーターがついている。冬の電源投入時はそのとおり冷たい音。媒質に吸収されやすい状態。あったまったあとに優しい音が出てくる。空気感という極微レベルが生きてくる。
プロ野球では夏にHRが量産される。それは投手の体力が落ちてくるからというのもあるけど、湿度が高いほうがボールがよく飛ぶという理由もあるようだ。

cf. 熱雑音
音の振動という繊細なエネルギーを扱うオーディオではアイソレーションやケーブル対策など頻繁にされるが、そのノイズはどこにあるのか。また定在波は。ある種類の音のみが返ってくる場合が、それが物理的反響か、気とか磁場からの反射なのかは、人の耳では判断が難しい。でもそれが反響ならばいつも同じ反響が聞こえるだろうし、気の反射ならば随時変わるか消えてるだろう。(オーディオの定在波とは関係なく、はっきりとした音がすることがある。たしかに、ひゅるるる鳴っている。んっ。と言うのもいる。言葉でないそれが何を意味するのかは知らないが。しかしユングのフィレモンと同じく自分以外の何かだと理解はできるが、「鳴っていることを聞く」クオリアを表現する方法は芸術以外にはない。循環論法にしかならないので。)
[空間に浮遊するヌース]
空気感と同じく、空間に浮遊するヌースである霊気は、非常に繊細な情報である。その繊細な作用が 意識と 繊細に同期したときに はじめて觀じることができる。キャリブレーションが難しい。
〔音の干渉作用について〕
音は縦波で、圧力変化を正負交亙にすばやく繰り返している疎密波だけど、正負を負正に同期させると疎密と密疎が重なり合い、音はキャンセルされる。マクロには音源から離れた瞬間から相殺は始まっている。また正負と正負を重ねると、その音は強め合う。このような干渉は日常的に起きているけれど日光の鳴き竜(フラッターエコー)やオーディオチェックディスクのうねり(周波数のズレ)、ノイズキャンセリングヘッドホンなど安定的なものでない限り実感はできない。
ラップ音という現象がある。主に霊障だと言われる。僕も霊障で音が鳴る。フッとかヒュッとか空気が擦れるような音だけど、音圧が低いので耳元で鳴らなければ聞こえない事が多い。「ラップ音」という言葉は2chのラウンジかどこかで知った。ラップ音鳴りはじめたwww とか突っ込み入れる人をよく見かけたので。2002年頃。自分はまだ知らなかったけどわりと一般的な現象なのだと思う。住居とか場所柄の問題もあるだろうな。広島の安宿に泊まった時はラップ音がすごかった。その時は霊障ではないけど。もっと般若心経を唱えておくべきだった。心地よい反応が聴けたので。ラップ音と呼ぶのかは知らないが「ヒュ~っ」という音が聞こえることもあります(もちろん風の音なら風だと判断してる)。そういう音圧の高い現象が起こるとしたら神社仏閣です。自分が霊障を持っているときで、それが神社仏閣の清浄な霊性と干渉を起こすのだと思います。それは音ではあるがICレコーダーので録音は現実的ではない。ラップ音は空気の擦れる音だから特殊なトーンではないし、普通なら何も疑問に持たないでスルーするような当たり前の音であるので、それが生活音なのか風切り音なのかラップ音なのかノイズなのか、峻別するための定義が必要になる。ラップ音自体、常に同じ音ではない。
「幻聴」という現象がある。自分は一度しか経験ないが、そういった経験がなかったから十年経ってもよく覚えてます。あれはおそらく統一教会の霊障で。独り暮らしのアパートで。女子高生の笑い声のような音が部屋を行き交いながら※ステレオフォニカルに鳴っていました。統合失調症の症状(中嶋 泰憲)このサイトによると幻聴が起きても一般的の人の場合は一時的なものらしい。僕は統合失調症ではないらしく(医師が判断した)、やはり日常的には幻聴体験は難しいものである。酒飲まないから知らないだけかもしれないが(酒飲むとそんな境界線が曖昧になるのか。酒飲んで酔っぱらって何か幻覚が見えたとして、酒から醒めてもそれが現実だったのか非現実だったか、あとでわからないほどのものなのかな…僕にはわかりません。経験がないから。)また、精神医学的には幻聴はメンタル的に特殊な状況に置かれている時に起こるものとされている。幻聴とか幻覚、または交代人格というものは、基本的に苦しみを伴います(その病理を持つ者は健常者より自殺率が高いなど)。過度のストレスや脳の障害を伴う事が多いからです。でも僕の幻聴体験は特に特殊な精神状況にあるわけではなかった。さらに、関係を持っているのが統一教会とか宗教の人だとは知らなかった。特に悩みもなく、特殊な精神状況ではなかったので、幻聴ではなく実際の音だったのかもしれないですが、それはわかりません。(※ステレオフォニカルに聞こえたのは音源の範囲が広かったからかもしれません)
アンプは、プッシュプル出力では個性やオーディオ的色気が出やすく、シングル動作は力感は落ちるけど自然な音が出る。管球はシングルがやはり人気がある。より数学的な動作をするトランジスターアンプではプッシュプルが主流で、ツイン・ダイヤモンド・バランス差動回路を使ってカレントドライブするSANSUIのX-Balance回路など、出力される音の位相に究極まで整合性をもたせようというものだった。SANSUI特有の行書体トーンはモデルチェンジを重ねるほど楷書体にメタモルフォーズしていった。よりコヒーレントに導き出された音であるが、悪く言うとより差動アンプで造られた音でもあった。
ろうそくの火は音の振動によって消える。
ある特定の音域で筒に共鳴すると消える。- 『世界で一番受けたい授業』より
〔アクティブノイズコントロール〕
・ノイズキャンセリングヘッドホン… 騷音と逆位相の音波を生成し、ヘッドフォン内部で外部の騷音を能動的に打ち消すもの。SONYやBOSEから出されている。
・本来/非本来… +と-を逆に繋いでも設計時の音は出ない。ツイーターに低音の成分が流れてしまい、ツイーターが飛ぶ危険性がある。

補記:忠実度としての問題… スピーカーから空気振動として音に変換されるのは一説には4%。キャビネットに触れて手に振動が伝わるということはそれだけ音エネルギーが損失しているということ。ウーファーの前に手を差し伸べても通常は知覚できないのだから結構大きな損失ということになる。その側面を楽器にするのはセンスの伴う高度な技術になる。ref. HARBETH HL-Compact7, Spendor Classic, Victor SX-V1 SX-V7, JVC KENWOOD SX-WD300, KisoAcousic HB-1
正相と逆相の関係は呪いと慈悲の関係にも似ている。パラメータ的に相対的になっている部分に干渉させればその分は消える。なぜ消えるのかわからないけど思念は進行波じゃないからだと思う。素粒子は紐状態とも言われていて振動数や波形とは異なるかもしれないけど、一般的に低振動と表現されるドロドロした重い思念も、光明を照らされれば主觀的には救いといわれる状態に戻る。逆に呪いに乘じて呪いを返せばむこうには当然慈悲などあるはずもないので負のスパイラルに陥る(強め合う)。カルナーとかマイトリーというのは結構出すのが難しい。修行必須。だから神社仏閣でお祓いでもするのが普通。神様はあなたの言うことは聞かないから、お金を出して信頼のある神主さん(中間管理職)に取り次いでもらう。戦爭を終わらせるのは笑わせること。関西人のメソッドを勉強するのもいい。(よく幽霊が見えるとかあるけど、光ではなく目に見える霊はたいがい磁界に歪みを伴ってるなどの不淨霊。それは2000年以上もまえに『ファイドン』に書かれてる。魂を淨化する効力をもつのがフィロソフィアだというのがプラトン・ソクラテスの認識でもあった。お経にはその力がある)。
Stratum
オーディオでは楽音の骨格までは出てもホールトーンまでは忠実には再現できない。擬似的には再現できるけど。というのもオーディオではホールトーンが出たとしてもいつも一定のトーンだから。マイクがホールトーンを聞き取れないのだと思う。集音できるのだとしてもケーブルのインダクタンスに負けるレベルだと思う。通過したとしても録音容量で足りないと思う。録音して再生ができたとしてもアンプの相殺に負けるのだと思う。そこまでドライブできたとしてもスピーカーでは再現できない。なぜならスピーカーには4%の変換能力しかないから。その4%のうちの多くは骨格。音圧の強い部分だと思う。残された96%のうちの多くは無意識の領域のように表には出てこない。でも機材がうまく噛み合って通過して出てくるホールトーンもあり、また通過してない場合は機械による擬似的再現により、そのトーンは一種類に聴こえるのだと思う。 霊性が実在するのなら霊感にも再現性があるはずだろうと言う人がいるがあるだろう。人はそれを知らないだけである。東京にいても東京文化会館にも東京芸術劇場にも行った事がなければそのホールトーンを知らない。ホールトーンのように淡くて繊細な音素は機械では再現できない。だがホールトーンは実在する。その素粒子のような振動は空間を満たしている。機械で再現できないから実在しないわけではない。霊性も実在する。科学で見当つかないから実在しないわけではない。神社仏閣に行けば感じ取れる。拝殿より本堂内に充満しており大祭の時にはさらに強まるが、人により気感には幅があり機械のような感度の人もいると思うが人は人なのでアナログでわかるものだと思う。大差はないはず。今は神仏とは意識内容が異なっていて相互作用せず向こうからも嫌われていても、死にかけた時に必死になればわかるだろう。
〔音速=波長×周波数〕
〔周波数=音速÷波長〕
音速は湿度や温度などの媒質の条件により変わる
光(電磁波)の速度は一定

周波数と波長の関係(常温:音速=340m/s)
20kHz 1.7cm/s
10kHz 3.4cm/s
2kHz 17cm/s
100Hz 340cm/s
20Hz 17m/s
低音ほど波長が長い。20Hzは1回振幅する時点で17m進んでる。だからオーディオの低音というのは最低域の方になるとスピーカーからリスニングポイントまでに一回も振幅しきってないぐらい長い波長になる。
魂の永遠性を説かれれば「そんなものは実在しない。妄想である。永遠というのなら『エントロピー増大の法則』に反するではないか」。と言う人もいるが『エントロピー増大の法則』に沿って考えればパワースポットも成り立ちそうである。力の強いところから弱いところに流れる。集まれば拡散する。ガソリンみたいなもので。…パワースポットは自然(もともとは太陽)の力。それが集約し、飽和状態になり、放出される。そのエネルギーが心地よいのは温泉のようなもので、自然界のバランスは人体にとっても都合が良いからだろう。また神棚・仏壇においても御札・掛け軸等に人工的に集約された力も拡散する。お経や祝詞を唱えて力が集約し、力の弱いところに向かって溢れてくる。「霊体」についていうのであれば、霊も拡散し、元の個性は消失するという有限性も成り立つが、魂とか霊体を構成しているものを素粒子だとすると、素粒子は時間が違うからという解釈も成り立つ。止まってるとか。ニュートン時間での永遠はないと思うけど。
霊性には速度はないと思う。なぜならお神籤は連続するから。この確率を肯定的に看做すなら空間は霊性に満たされているとも考えられる(「霊性」=狭義には「気」「プラーナ」「クオリア」「空性」など。アナログ的な表現)。その霊性的ななにかを「ヒッグス場」とか「暗黒物質」などの用語に割り当てた場合、暗黒物質も暗黒物質なりに意思のような運動や情報があるとは想定できないものでしょうか。Toneや音樂のように。自分は素粒子は4次元リサージュ図形のように不可解なものだと思う。
電波は電磁界振動であり、そこには必ず電界と磁界が存在する。電波は電磁界エネルギーが存在するので宇宙空間にも伝わる。でも音波は媒質がなければ伝わらない。疎密波であり遠くまでは伝わらない。 霊は振動でも言い表される。『チャクラ』では振動という表現になっている。ただ電磁波や音波と同じく伝搬するときに振動しているのかどうかはわからない。振動には時間が必要だが、素粒子には時間がない。電界は導電性をよくするので、媒質はあるかもしれない。
隔壁 []ℵ
入射エネルギー:Pi
透過エネルギー:Pt
吸収エネルギー:Pa →熱エネルギーとして吸収され失われる
反射エネルギー:Pr
反射率:r=Pr/Pi
吸音率:α=(Pa+Pt)/Pi=1-r
透過率:τ=Pt/Pi
実用的には透過率をデシベル値で次のように表わした透過損失R が、遮音効果を表わす数値としてよく用いられる。
R = 10log10x1/τ = 10log10xPi/Pt [dB]
音は反射のたびにエネルギーの一部が吸収されるが、気はそこまで減衰しない。気の残響曲線のゆるやかさは音速/気速の関係や、波長の長さ、壁の反射率等による。気はおそらく素粒子で構成されており、脆い物質ではあるが音には比べられないほど長い間 室内にエネルギーの定量状態を保つ。ゆえにおつとめのされた本堂は気に充満している。大祭では特にエネルギー密度が高い。
プラーナのレベルになれば瞬間になる(超ひも理論)。気よりさらにミクロなのでこれ自体に感応はできない(プラーナに連動した流れは感じ取ることができる)。


(霊格は、気の清らかさ等、品位で格付けされる。それを否定するのなら宗教もカルトも存在しない。霊性に応じるには日本中を放浪するのもいい。そのうち恣意的でない何かが伝わってくるようになるだろう。特に神社仏閣はエネルゲイアが濃厚なのでわかりやすい。そこでお経や祝詞を唱えるのもいい。DNAへのホルミシス※にもなる。祈ると神気がくる。自分はどこから來たのだろうという疑問のとおり、その神気がわが構成要素そのものなのであった。※ホルミシス効果とか超音波療法など細かい振動はDNAに影響を与える。20000Hz以上を聴くのは耳だけではない。ケチャックなどの民族音楽でも20khz以上が無いと興奮しないなどの統計があってCD規格時には反対があったらしい。まぁ可聴帯域の充実が優先だけど。)

WiNDy EXTRA HYBRID [ZR1000]
一般に吸音材といえば、音を熱などとして吸収する割合の高い材料をさす。グラスウールや布などの多孔質は高い周波数の音をよく吸収する。スタジオの壁や天井などに使う穴のあいた板は共鳴現象を利用しており、穴の寸法や密度、背後の空気層の厚みなどで決まる共鳴周波数を中心にした山形の吸音特性を示す。ホールなどで低音を吸収するには、壁を2重にし、板の振動を熱エネルギーに変えて吸音効果を出している。(近代現代社『音響・音声工学』)
室内音響における最も基本的な現象は、残響(reverberation)現象である。残響時間T[s]は、セイビンの残響式で求められる。(音源動作→) 成長曲線√ 平衡状態、(音源停止)、残響曲線~\
室内音響のアプローチには、エネルギー粒子の流れととらえる幾何音響(geometrical acoustics)と、音を波動としてとらえる波動音響(wave acoustics)とがある。部屋の寸法が波長に近くなる周波数領域では波動性による定在波現象が起きるため幾何音響的なとらえ方はむずかしいようだ。参考:サントリーホール
音波に関しても、光と同様の反射・屈折の現象がある。2種の媒質の境界面における反射率、すなわち反射エネルギーと入射エネルギーの比は、反射率:r=(Z1-Z2)/(Z1+Z2)である。大気中や水中に温度差による音速の違いがあると、音の屈折現象が起こる。 夜間に遠方の音が聞こえやすくなる理由の一つは、地表が冷えるためである。昼間には音の達しない無音帯(shadow zone)が発生する。
音波の回析、すなわち無音帯にも音波が到達する現象も光と同様の現象であるが、可聴周波数の音波の波長は可視光の波長に比べてはるかに長く、身のまわりの物體の大きさとほぼ同程度であるため、光の場合よりも顕著に生ずる。低周波騷音を遮蔽するのがむずかしいのは、波長の長い低音が特に回析しやすいためである。
AVアンプではDSP(Digital Sound Processor)等の音場創出プロセッサで、音場のシミュレーションに応じた音場制御(sound field control)を行う。残響付加装置(reverberaor)にてホールトーン、エコー感を人工的に創り出す。ソノリティはこの段階で亊実上消えうせているが、どちらかというと映像が主体になっているのでこれはこれでよい。 宗教の場合、人工的に演出されたヴァーチャルな錯覺を本質的な感応とすると誤謬が生じる。通常本質ではない施しのある宗教は異端とされる。真贋等をありのままに見抜く能力を漏尽通というが、これは最高格とされる。でも最近は気配読める人間が減ってきたらしい。そういう映画が流行らないから。
  人間にはロゴスもミュースも迅速にアウフヘーベンのできる素質がある。禪や禊にはコストはかからない。二河白道のように、右にも左にも偏らず、禍津日(歪み)を直靈(アキュレート)にし、その魄を膨らませることに専念すれば、数年で数回モデルチェンジできる。
オーディオには'音楽性'という厄介な指標がある。なにをもって音楽性と言うのかは人間自身の問題になる。機械的な理由も複雑多岐に亘る。一例としてはウイーンアコースティックのスピーカー[S-1]の音樂性の高さはXPPウーファーが調音結合〔coarticulation〕の役割をしているからだと思った。Auraのアンプも同じ〔組み合わせ〕。このタイプの音樂性だと、高いほどに分析能力は損なわれる傾向にある。駆動力を高めると結合が離れてしまう。〔BBS 生命には希求が含まれる。希求というエネルギーがあるからこそありのまま生命となった。神の存在理由それ以前に人間を存在たらさめているもの、神の意志に根差し物理法則のまにまに形象され、命そのもの又は生命たらしめているものがある。世にいうプラス思考とかいうのは体主霊従になるから効果が薄い。直靈の薄い人は分析的で無機質になる傾向。直靈が音響學でいうところの調音結合の役割になる。
ソノリティ(=Sonorite)とはイタリア語で「音色や響きの具合」。あちらを立てればこちらが立たず的な現象が機械には往々にしてある。樂音本来のソノリティは固体内の伝搬距離に比例して失われていくように思う。
ROTELは基盤をなるべく使わない努力で設計されている。その設計のうちに、必然的な普遍性を心がけている。Accuphaseや今のmarantzはもっともパリティの整合性の高そうな再現力。源泉→浴場の伝搬距離の必然で音のもつニュアンスや色気・音樂性はやや醒める傾向にあるが、識者として音楽を語るようで、批評眼は確かである。
値段に比して抜群に解像のしっかりしたスピーカーはあるけれど、値段に比して抜群に音楽性の優れたスピーカーはあまりない。それはきっと材料より人件費のほうが高いから。
金刀比羅宮はべっこう飴の味がする。水のように単純な物質でも、天然水のように僅かなミネラルがバランスよく含まれているだけで、おいしく感じる。霊性のすがすがしいところは自然が保たれてる。自然の霊性が保たれていたので、いにしえの時を経て発生してきたものも人にとっておいしいものになる。(たとえば湧き水。渋温泉とか白谷雲水峡とか絶妙にうまかった)。
また、自然が人をつくるかたわら、人から自然界の物質に馴染んでいくという側面もある。たとえばコントレックスなどの硬水は日本人には不味い。アトピーに効くとのことでまずいけど無理して飲んでいた。でも体質がコントレックスの体質になるにつれ美味しく感じるようになった。不思議だ。もうコントレックスのあの異様な味じゃなきゃ楽しめなかった。
音像定位=ステレオ再生における、音のフォーカス。モノラル再生ではこの感じは得られない。LRが同じ周波を投げかけて、認知がシンクロする場合に限るようだ。
反響定位=ある音が反射して別の方角から耳に届いても、正確な位置を確められること。
この前釜鳴りの神事を見させてもらった。神様を呼んで釜に入っていただくと、音が出る。師がイヨーッと掛け声で気合い?を入れるとなににも触れてないのに音量が増す。不思議だった。穢れがあるなどすると神は来ないらしい。そのときはまた穢れを祓うなどの儀式を執り行う。お経を唱えても釜鳴りの音に力強さが増す。釜に穢れとか障りのある人が近づくと音が消える。→みんなで祝詞心経を唱えて復活させる。神仏からの情報がある人(神仏がその人になにかを伝えたい)が近づいても消える(→そのときも師がうかがいをしたあと、みんなで祝詞心経を唱えて復活させた)。また、釜鳴りの釜は近づける位置によっても鳴ったり鳴らなかったりするのでおもしろかった。人の下半身付近では消えかかる。釜から離れると再び鳴りだす。シモは穢れているのだろうか。二礼二拍手でも音が整う。釜に米を入れるとまた音量が増す。神様でなければ、その穢れ障りによる音の変化は見られないと思う。電子音のように一定の音圧・音色で鳴り続けると思う。
音色自体も不思議で、雷⇔神鳴⇔釜鳴りとの語源もあるようだ。雷の居所を釜に、エネルギー源を米に・・・優しい音がすごい音量となった迫力。米の価値がわかった。その音がまたステレオフォニカルで不思議な共鳴で、どこに音源があるのかがわからない。神はエネルギー体そのもので、そのまま音を發しているので、まさに立体としての音源になる(楽器でも厳密にはそうだけど)。その音場のもつ濃密な霊性との連動もあってか、反響定位しない。
方位磁針でも障り等は確められる模様。鳴りやむ部位は、Juno Reactor - Mutant Messageこの映像のノイズ部[×]に同じ。たまたまかな、関係ないかな。
音源の形態には三つある。普通のスピーカーは点音源で、上下左右に広がるもの。耳に到達するまでには反響成分も加わる。(しかし超音波ほど波長が短く、回折しにくい性質があるゆえ、広くリスニングエリアを稼ぐには球面波が理想。muRata製作所のスーパーツイーターは球形の圧電セラミック。振動板が呼吸振動しているという理想的な球面波を出す。これは非常に実用性に富んだ方法になる。)
FUJITSU TENのタイムドメインスピーカーは点音源を売りにしている。もちろん点音源というのは仮想的な話であり(TD508IIのユニットは半径8cm)、点も線も純粋には存在しないが、限りなく付帯音をなくし、音速を高めて音離れをよくすると、スピーカーの存在は消える。ステレオで再生すると3Dになる。それは認知上、単音源となっている。まぁゆらぎの原理のごとく、音樂性の培養は単純にはいかないが。

ちなみに若い人の方が音源の方角がよくわかるらしい。歳を取ると救急車の方向がわからない。
面音源というのは壁全體が振動板という感じで、環境に左右されにくい。点音源は距離が2倍になるごとに6dBずつ減少するが、理論上面音源は距離によるレベル変化がない。NXT方式のMusic Galleryはたしかによく音が届く。SP→Listenerに並行的に運搬される。ヘッドホンなどもそうだ。空間の広さはソースの広さ、ライブ感はレコーディングのライブ感となる。完全にソースに包まれている。あえてスピーカーで譬えるならJBLの4312MkII等の広い面音源性により漲るジャズ。JBL S3100などのフロア型は間接音を使わずともスピーカー自体がソースの中の間接音を運搬して空間を出す。もうほとんど面音源である。またQUADのESL-63はディレイ回路を使い実際の音源のように聴かせている。 よく世紀末やら恐怖を煽る宗教があるが、それはその霊性の世界観そのもの。たとえそのとおりになっても、とりまきの霊による自作自演の場合も多い。嘘から出たマコト的現象となって信仰が深められてゆく。宗教団体をやめても法律的には問題はない。ヘッドホンから外にでても、音楽を聴けないというだけである。音樂が聴きたければもっと自然な音のヘッドホンを使いましょう。その際教材とかCDとかさっぱりと処分しましょう。ディプログラマーに強制改宗してもらうのもいいけどそれもまた宗教。自然発生した霊性で自然にディプログラミングされていくのが本來は理想。
線音源のSPとしては松下がアレイスピーカーシステムを販売していた。これは音が上下なしで左右に広がる設計なので、残響のない空間でも音声が聞き取りやすいなどの利点がある。会議室などのPA向け。講話なんかでも使えそうだ。距離によるデシベルの低下は、線音源は-3dB/dd。点音源の半分。 先入観、プラシーボについて ― コーヒーのアンケート調査の実験では、中身が同じなのに、赤い缶の場合はコクがあり、黄色い缶は甘めで、ブルーの缶のコーヒーには酸味があると答える傾向にあったらしい。コーヒーでは視覚、詩や論文では権威にかさを着せられる。― 学生に詩を読ませる実験で、J.W.エリオットという著名な詩人の書いた詩だと言って読ませたら、イミフな詩に意味深なものを見いだし、君たちと同じ大学生の詩だと言って同じ詩を読ませたら貶す傾向にあったらしい。
指向性=エネルギーの放射or入射方角の強度分布。
アポジーのリボン型モニターは相当指向性が狭かった。再生環境にシビアで、1度向きを変えるだけで定位がガラリと変わる。平面型SPの特性なのか、スピーカーの真正面にしか音が出てない(平面波)。その分ニアフィールドでピンフォーカスが決まるときは快感で、上体をゆするだけで音像が揺れ動くのも心地よかった。(位相は間違えてない)。その点エクリプスはユーザーフレンドリーで、音は球波形に広がるのでリスニングポイントにより立体が崩れたりしにくい。指向性と定位幅は相関する。
人間の耳は音源の方角を当てることができる。耳介とか蝸牛とか三半規管などすごい怪奇なつくりをしている。
うさぎは耳を四方八方に向けて音源を推測する。その変わり極小の音も聞き取れる。
霊性に指向性がある場合、人間は霊性の発生源を当てることができると思うが、そうでない場合はどういう風に霊性を感じ取るのだろう。おそらく気が充満する風に感じるんだろう。また釜鳴りのように発生源に包まれてるとなると、ヘッドフォンのようにステレオフォニカルになるのだろうな。L・Rと自分、それが長三角形になればピュアオーディオ的な関係が得られる。神棚や祭壇に向かう際にも、ある程度離れると音源との客観性が出てくる。受動・能動が平衡して行き交う関係になる。
無指向性 cf: “Sountina” 『NSA-PF1 「以心伝心」は受け取る際に音源を捉えていることはあるにはあるけど無指向性に近いだろうな。テレパシーのように意識的にやることは出来るけど、たいがい無意識に連動してる。くしゃみが人にうつるように。(…くしゃみが人にうつるとは高校時代に友達が実験して言っていたことだけど、年を取るにつれて無くなっていくと思う。無関心になって。しかも友達同士でしか起こらない。)
エージングすれば、永遠と流し続けると鳴りの悪さとか無感症なところなど、改善される部分は改善される。〔sonore1〕。たとえばアクロリンクのケーブルにも外部応力に対応するためのセルフアニール処理が施されている。〔ACROLINK ヨーガは普段伸ばすなんて思いつかない側面を伸ばすポーズが多い。伸ばすだけだとストレッチだけど、プラーナの流れを感じ取るよう訓練を継続すれば、だんだんとコツがわかり、たまにそれが感じられるようになってくる。
超音波(ultrasound)とは、振動数が可聴周波数領域を超える音波をいうが、一般には、空気中のみならず種々の気体、液体、あるいは固体などの媒質中、あるいは媒質表面や境界に沿って伝搬する弾性波の総称である。媒質が気体や液体の場合は、ほとんど縦波しか伝搬しないが、媒質が固体の場合には、縦波のほかに横波や、固体の表面に近い層を伝搬する弾性表面波(SAW:surface acoustic wave)などが伝搬する。
周波数が高くなるに従い、音波の伝搬に際しての減衰が急激に増し、固体、液体、気体の順で減衰が大きくなる。空気中での減衰がきわめて大きいため、超音波を空気中で使うことはまれで、液体または固体中での応用が大部分である。
自然界の超音波を用いている動物としてよく知られているものに、イルカとコウモリがある。イルカは、超音波のクリック音を水中に発射し、小魚からはね返って来る音をキャッチしえ餌を見つけている。一方、コウモリは、自ら30~70kHzの超音波を発し、物体によって反射されたこだまを検知・分析する能力(生物ソナー)をもっている。
ブラフマンとアートマンは通様相的関係にある。なぜ灯籠の平面の石につく模様は、丸かったりまだらなのだろうか。
音の方向は耳の渦巻き経路の反響や、強度や速度の推移、または視覚情報や頭の回転等による変化で推察されている。音のみでなく思想でも同じく、どのような経路からその人がその思念を抱いたのかも論理や経験以外に感覚的にも看取されるもの。神社には様々な人の念が渦巻くからお持ち帰りしてしまう場合もある。さてこれは主觀なのか客觀なのか。(参考:国家の品格)
戒壇巡りをすれば気配が判るようになる。普段使ってない感覚が稼働する。反響音の洞察が深くなる。生物ソナーで対象の位置を捉えられるようになってくる。真っ暗闇。死後の世界に似ている。一回でもやっておけば多少は不便が減るだろう。
密閉型バスレフ型
バスレフの低音はキャビネットを回折したもので純粋な低音ではない。密閉型は明瞭度が高いけど低音は出ない。モニター傾向には密閉型が好まれて、量感が欲しい場合はバスレフが好まれる。
低音再生には箱の空気のばね定数の問題があって小型SPは特に向いていない。だからソナスのConcertinoでもそうだけど、バスレフでも中高域にエネルギーを廻して濁らせないSPもある。
 
クローン斥力
陽子と陽子の間に働く電気的反発力。核子には核力があるので原子核たりえている。また原子核の大きさは原子の1万分の1cm。原子を甲子園だとするとその中のボールよりも小さい。小石ぐらい。原子はいかにスカスカであるか。原子核と原子核の距離はその大きさから見れば遥か遠方のものとなる。しかしこの小さな原子核は原子の質量の大部分を占めていて、しかも電子の軌道をも制御している。核エネルギーはここからエネルギーを取り出されたもの。(参考:ナツメ社『図解雑学 原子力』)
ミクロで見ると粒子には情報がある。(反対に蚊の行動を拡大してみれば、雀に似てる)。ワットヤイチャイモンコンではすごいパワーに満ちたけどそれは外延の情報。エピステーメを読むのが難しい。珍しい人ね!よく来てくれたね!!というノリノリ感なら知覚できる。遺伝子から表情までそれが持つ力は作用してくる。日本人として蘇生するなら御稜威がふさわしい。霊性⇒遺伝子。形状を保って顯現。
放射線の遮蔽
荷電粒子線であるα線(素粒子名:ヘリウム原子核)は紙で、β線(素粒子名:電子)は、アルミニウムで遮蔽できる。
非荷電粒子線であるX線とγ線(素粒子名:光子)は物質中の透過距離が長い。遮蔽に用いられるのはコンクリートや鉛(レントゲンで腰に巻く重いエプロンの中身は鉛)など、原子番号が大きくて密度が高い元素になる。X線とγ線はともに電磁波であることから、原子核よりも電子と反応しやすいからである。
中性子線(中性子)の遮蔽は他の放射線とは異なり、水やパラフィンなどの水素を多く含む材料が適している。水素原子と中性子がほぼ同じ質量であるので、水素と中性子が衝突すると中性子の飛行速度が大幅に減少し、速度が遅くなれば物質と衝突しやすくなるからである。
気のエネルギーは地球の反対側まで届くらしい。時空を超えている。重力の影響はわからない。電子においては光速を超えられない。超えられない壁がある。気はガラスを通過する。合掌した手のほうから気持ちいい気に覆われてくるのでわかる。「気づく」とは「気がつく」ということ。靈性と癒着する・或いは振動が連動すると「感じ」られる。 +○+ 空気(気体)や、ガラス(液晶)や、閉じた仏壇(固体)が絶縁物コンデンサとしての役割を果たしてないので、霊感で得られたそれは電子ではないことはわかる。空気や絶縁物を通過するものの中で考えなければならない。'気'は光子、W粒子、Z粒子、グルーオン etc 全てを含むので同じと言えば同じだけど別と言えば別になる。濃密な本堂の中よりも蒸留された感覚があり、気のすべてがゆうゆうと通過するわけではなさそう。またもっと繊細で透明なものになると、それより網の目の粗い霊體は通過してしまっていることだろう(受け止めるがない)。ひいては神の気と仏の気は異質な味わい。気の種類は八百万という解釈になるだろう。+○+
電子対発生= 強いエネルギーを持つガンマ線は、何もない空間に質量を持った電子と陽電子の対を発生させることがある。 宇宙は相転移し続けている。太陽は生命の原始。太陽から命が産まれてくる。
DNAに放射線が当たるとDNAにある分子の持つ電子がはじき飛んで電離を起こしたり、放射線を分子に取り込んで別の分子に変化したりする。この結果遺伝情報に欠陥が生じる。また生体中の水分子を分解して、反応を起こしやすい物質(ラジカル)を作り出し、DNAを傷つけることもある。
細胞分裂が盛んなところが放射能の影響を受けやすい。(骨髄の造血細胞、生殖器、腸管、皮膚など;参考)。特に胎児への影響は大人よりも遥かに大きい。幸いDNAには自己修復機能があり、大部分は元の状態に修復される。70歳以降はガンの死亡率はぐんと減っていく。(ナツメ社 『原子力』)
①デカルトの方法序説にあるとおり、二十代は穩健な意見に従うべきである。それは最も賢いひとたちの集まる意見。極端は悪いこと。極端はそれが間違えていたばあい、引き返すのが困難になる
②放射線は酸素や紫外線、カフェインやアルコールと同様、少量なら生理的な刺激となり、有用になる(ホルミシス効果)。ラジウム温泉やラドン温泉など、神社仏閣まいりと同様に、DNAレベルから心地よいのはそのためである。(厳密には神仏のオーラは刺激による生理作用ではなく、古代より普遍的にある蘇生作用そのもの。傷部は酸欠にならないよう、肝臓より運搬されたグリコーゲンの発酵エネルギーで生きるらしい。それと同じ。参考:葉室勅昭『見えないものの力』)
高分子 高分詩
音響工学じゃないけどサーチュイン遺伝子というものが発見された(米国マサチューセッツ工科大学)。この遺伝子は断食をすると働き出すみたいだ。
サーチュイン(Sirtuin、SIRT1)遺伝子=10番目の染色体に存在、長寿遺伝子と呼ばれ、100種類の老化要因を抑え、肌、血管、脳などさまざまな器官を若く保つことができる。NHK
40日間の断食、クンバカ、十戒、スパルタ等々、多くの人(現代人)は脳やメンタルに悪いと思ってる。でも総合的に見るとわからない。いじめや奴隷などで無理矢理やらされるのは悪いだろうが、甲子園など目指すものがあるのなら良い、DNAがそれに向かふと思ふ。
同位元素=陽子数が等しく、中性子数が違うもの
同じ質量数でも陽子の数が違い、化学的特性が違うもの、たとえばニッケル(58)と鉄(58)は、同位元素ではない。
人工同位元素=天然核種である岩石のセシウム(133)は非放射性だが、原子炉で発生するセシウム(137)は放射性がある。天然核種と人工同位元素には放射特性に違いがある。
左は自然食とサプリメントの違いを連想する。人工同位元素であるコバルト(60)はガン発見などに有効活用もできる。
ケフィアグレイン (Kefir grains、ケフィア粒)は、一個一個の別の菌なのに、ひとつの生き物の部位みたいな感じに集まって膨らんでいる。ひとつの魂もそのようにして成り立っているように思われる。八百万の魂がひとつの魂になるようにして、物体化し、ひとつの生き物になっている。
 〔音声や振動の物理的性質〕
スペクトル包絡と微細構造により、声の質でID認証できるセキュリティも開発される。オーブンは、マグネトロン(-)から放出された電子が壁面(+)へ向かい意図的に曲げられた軌道によりマイクロウェーブを起こす。そのマイクロウェーブは水分子が共鳴(振動)しやすい周波数に調整されているので、器は熱くならない。
[シンクロニシティ]
駄文しか書けないから省略
可視光線と不可視光線。
短波長の電磁波(ナツメ社)
妄信と不信は赤外線と紫外線・・・
Luang Prabang〕〔ダイナミックレンジ〕〔遠近の差
LED(発光ダイオード)
電気系;音響系




       й  й
      皿]+[皿]
       ●  ●
      (〃∮ 〃 )
      ∑(‡‡ ‡‡L π
        ◎ ◎ ◎ ◎  =ε キコキコ

      まだ成長途中(28%)



音響エコーキャンセラー / ホルマント(formant)/ スペクトル概形・・・周波数[Hz]と振幅[dB] / スペクトル密度 / スペクトル包絡 / 高域強調(high-emphasis; pre-emphasis)/ ディエンファシス(de-emphasis)/ サウンドスペクトログラム(sound spectrogram)/ 基本周期(foundamental period)/ 基本周波数(foundamental frequency)/ 調音パラメータ
ある日寝る時に藥師如来用の供え物をカサコソと食っているゴキブリがバチバチッと煥爛を發して目が覚めた。電気つけると相変わらず三宝(神饌乗せる台)の瓶子の下にゴキブリの姿。その電気ショックで死んでいたとしたらびっくりだったけど、三方叩くとすごい元気に動き回るからもっとびっくり。すべてを生かす。〔ごきぶりの詩〕。以前は祈祷を受けたとき、自分の名前が呼ばれたときに、一瞬きらきらめいた仏の気で浄化された。言霊の作用だろうか、名前にも反応する。千と千尋の神隠しのごとく、名前は大切である。この現象からまた幾分、科学に規定された世界にたいする限界性が広がる。
生霊・足霊・玉霊
生魂・足魂・玉留魂
道反魂・死反魂
神など存在せず、あるのは神気のみでないのだろうか。とも思ったけど個別の意識では無いそれ自体が音樂的な振動なのではなく、神棚に神饌を供えれば反応があるので、その'気'を放つ元があるということになる。お神籤が連続・起伏する事から僕の事がわかっている。意志をもっているという事になる。それは存在形態が違う生命と言える。
オーディオにおける音楽性とは一つにはエーテル性の成分の品位がある。この良し悪しにより音楽を聴いて愉しくなるか自分に合わないかになる。これが無くなるとたとえ表層観念の音としては形状的に整っていて各々の音像もピンと出てきていても、心はつまらないことになるか、無難な音になる。エーテル性による音楽性の感覚を例えるならスッポン堂の(生きたままの生食いには落ちるけど)目の前で砕かれた純度100%のスッポン粉末を呑んだときのような高揚感やウナギを食べたあとの肌のつやつや感。農薬や放射能による老化というよりはただ単に食物に栄養;生命が薄いから(自然が死んでいるから)自分も死んでいたのだとわかる。そういう側面が。
レーザー光は回折しにくいので蛍光灯の光とは違い、粘性のある液体の中の泡のように見える。半導体LEDの消費電力は非常に小さいのだけど、光の道筋がどうしても見えるのと陰の部分はどうしても陰になるゆえか、まだ蛍光灯の替わりにはならないようだ。 仏壇に経本を唱えると満たされる。仏様のお姿が光るなどの現象もある。まさに仏絵の後光のごとく。その光はエネルギーの励起状態により光となる感じだった。太陽光のようにシルバーだった。光の性向としては半導体LEDのように揺らがない光線の集まりで全方向にもわわんと広がっていた。[宗教問答]。時空はつながっている又は時空という概念がないので、神札やお姿で全體に通じている(Vairocana)。
自分は神様仏様は好き。気功は「その人」の気になる。動かすパワーはあっても人間の気なので、おもしろくはない。人間である自分がそれを受け取っても神気ほど清々しくならない。屋久島ぐらいに清澄でないと「自然」ではない。自然と云える霊性は雪に白鷺。あまり目立たないかもしれない。
eV=エネルギーの単位[エレクトロンボルト]
水素と酸素の化学反応により生まれるエネルギーは1.2eV。ウランがストロンチウムとキセノンに核分裂するときのエネルギーは200MeV。核エネルギーは化学エネルギーの1億倍相当になる。
特殊相対論=物質が光速(C=3×10 8乗 m/s)に近い速度で動いている場合には、その物質の質量が増加する。この質量の増加分は加えられたエネルギーと比例関係にある。(アインシュタイン)


屋久島の鹿
以上、〔宗教以前〕